極楽浄土の世界はなぜ金色に輝いているのか?
中尊寺の僧侶ですら鞘堂のガラスの内側に入って金色堂の前に立つことはあっても、堂内にまで入ることはめったにない。古代の仏堂というのは内部は仏の神聖な空間で基本的に人間がそうそう立ち入る場所ではない。こと金色堂は後述する特別な理由で、安易な立ち入りが憚られる場所でもある。
特別な法要を堂内で行うにしても、須弥壇を一定の距離から仰ぎ見る位置に留まる。
つまり中尊寺の僧侶ですら、こうも間近にこれらの像を見ることはまずめったになく、このような表情で、ここまでやさしげなお顔だったとは驚いた、とも言われた。
展示されているのは金色堂の三つある須弥壇(仏堂の中で仏が安置される檀)のうち、創建と同時に最初に造られた中央壇の諸仏だ。
本尊は阿弥陀如来に勢至菩薩・観音菩薩が付き従う阿弥陀三尊だ。阿弥陀如来の手は瞑想する姿を表す定印で、左右対称を意識したポーズの勢至・観音両菩薩は外側・中尊に対し反対側にやや腰を捻り、中尊の側の腕を自然に下げ、外側の手には蓮華を持っている。
様式的にはやはり定朝様なのだが、ふくよかでどこか肉感的だ。横から見るとこの時代の立像は前後の幅が極端に薄くなっている場合が多いのが、この両菩薩はそこまで薄くないせいもあるのだろう。
勢至菩薩の朗らかな顔に対し、観音の方はいささか憂いを帯びているが、双方ともやはり子どもの顔を想起させる愛らしい丸顔が印象的だ。腕から垂れ下がる天衣が風になびくようにたなびいているところも折れずにしっかり残っていて、全体に軽やかな躍動感のアクセントを与えている。
阿弥陀如来は衆生の救済を絶対的な本願とする仏であり、とりわけ平安時代の中期以降、死後の救済(極楽往生)を約束する仏として信仰が高まった。
仏教の本来の世界観では、あらゆる生命は生まれ変わりを繰り返し(輪廻転生)、生きることの本質は苦しみで、その運命から逃れる(解脱)には釈迦のように悟りに到達するしかないと考えられていた。中尊寺本体の本尊は釈迦如来であり、藤原清衡も釈迦如来に帰依し(よって清衡経の見返しの絵は釈迦如来が多い)、俗人も功徳によって悟りに至る可能性を説いた法華経を重んじた最澄の天台宗の教えにのっとって、最澄の直弟子慈覚大師円仁の開山と伝わる中尊寺を自らの統治の中心とした平泉の関山に移し、壮大な伽藍を建立した。
清衡一切経もまた、一切経は仏教教学の基本文献であり、つまりは中尊寺を東北地方最高の修行と教学の場として整備する一環として書写されたのだろう。