金色堂に込められた藤原清衡の祈りとは?
展示会場の中央いちばん奥、阿弥陀三尊の中尊・阿弥陀如来坐像の背後に、なにか金箔の貼られた平なものが置かれている。
どうも大きな櫃か箱のように見えるが、近づくと金色堂が建立された本当の理由というか、この金色の阿弥陀堂のもうひとつの重要な役割が分かる。
この金箔貼りの大きな箱のようなものは、三つの須弥壇のうち中央壇の中に納められていた藤原清衡の棺である。左右に後に増築された二つの須弥壇の中にもそれぞれ二代・基衡と三代・秀衡の遺体を納めた棺が安置され、金色堂は奥州藤原三代のいわば霊廟でもあるのだ。
(なお秀衡の須弥壇には、その息子で源頼朝に滅ぼされた四代・泰衡の首級も納められている)。
金色堂が霊廟・墓所であることをさりげなく実感させる展示プランの中で、この棺が阿弥陀如来坐像の背後にあることは、いわばこの展覧会の真の意味での肝心要なのかもしれず、また先ほど金色堂はそう安易に入堂していい場ではないと書いたのも、ここが墓所だからだ。
清衡の棺に納められていた副葬品の刀や、小さな金塊も展示されている。
仏教の元々の教えは、釈迦に倣って釈迦の遺したヒントをもとに、戒律を守り修行し瞑想を重ねることで悟りに至れば、生きることの必然としての一部である死や苦しみから解脱できるという思想だ。最澄は法華経を重んじて大乗戒=菩薩戒を説き、出自や性別などに関係なく誰もが慈悲の心を実践し仏法に尽くし功徳を積めば解脱の可能性はある、と教えた。
藤原清衡が中興させた中尊寺は、そうした仏教の教えの正統・王道を継承する寺でもあり、また清衡が東北地方を平定するにあたって犠牲になった戦没者たちを追悼する意味もあった。
だが仏教の禁忌からすると、もっとも解脱や死後の救済から縁遠い人間たちがいる。
六道輪廻の思想では、生まれ変わる先は現世での行いに寄る。仏教の戒律で最も重要なのが殺生戒で、あらゆる命を奪うことをは厳しく戒められる。まして殺人を重ね続けた者の来世となれば、血みどろの戦いに明け暮れる修羅道か、生前の罪で気の遠くなるような歳月をひたすら罰せられて過ごす地獄道しか、普通に考えれば行く先はない。
職業的・生まれながらの社会的な役割として、その殺生戒を犯し続けることが宿命となった者たちこそが、平安時代後期に日本の歴史を動かす主役となった。
武士である。