戦乱の時代の子としての宿命を背負った悲しみと祈りと
一昨年のNHK大河ドラマで奥州藤原氏の三代・秀衡(田中泯)も登場した『鎌倉殿の13人』では、和田義盛役の佐藤二朗が台本を受け取る度に「え?ここで殺すんですか!?」「いやいやいや、いくらなんでも殺さなくてもいいでしょう?」と驚いてばかりだった、と冗談混じりで述懐していたが、中世と武家の時代の始まりの現実は、本当にそんなものだった。
なにも頼朝の鎌倉政権だけが特別に血みどろな陰謀に満ち溢れていたわけではない。奥羽の統治者となるまでの清衡の人生もまた、生前の行いの業から修羅道に生まれ変わるしかないというより、現世からそのまま修羅道に生まれついたようなものだ。
父・藤原経清は血筋は平安京の貴族社会の中枢・藤原北家につながるとされるとはいえ、新興の武士階級の地方豪族で、清衡がわずか7歳の時に、前九年の役(1051年〜62年)で源頼義に敗れて命を落とす。幼少とはいえ嫡子だった清衡も普通なら殺されていたはずが、母が頼義側・安倍氏側で勝った清原氏に嫁ぐことで、命だけは救われ、父を滅ぼした一族の養子として育つことになる。
だがこの清原氏がまた、いつ血みどろな内紛で分裂してもおかしくない状況で、案の定成長した清衡もそこに巻き込まれる。後三年の役(1083年〜87年)だ。対立した義兄・清原真衡の側に都から派遣された源義家がつき、敗れた清衡と父親違いの弟・清原家衡が降伏したところで、真衡が急死したため、義家の裁定で家衡と清原家の所領を分割することになった。ところが今度はその家衡が清衡の屋敷を襲撃、清衡の妻子や一族を皆殺しにしてしまう。清衡は源義家の援護を受けてこの弟・家衡を討ち取り、清原氏の所領のすべてを手にした。
この勝利に際して家名を養子先の清原から父の藤原に戻し、奥州藤原氏を興すが、これはつまり、母を同じくする弟を殺した結果でもあった。
中央の政権からは東夷と蔑視されてぞんざいに扱われ、混乱が続いた東北地方を平定し、平泉を拠点に仏国土の王道楽土を具現しようとした清衡には、このような苦しみを繰り返さないようにという思いもあったのだろう。展覧会の最初の展示品である中尊寺建立供養願文(鎌倉時代の写し)にも、そのような主旨が書かれている。
法華経の教えからしたら、功徳、利他業の大乗戒に則って平和と繁栄をもたらすことも清衡の思いの中にあっただろうと推測できるし、それは平泉の繁栄として一定の成功は見た。
だが晩年に至った清衡が自らの生涯を振り返った時、民に繁栄と一応は平和をもたらしたとは言っても、とてもではないが許されたり、平和の実現や寺院の造営、仏教文化への寄進でも贖うことができるレベルを超えたような重い殺生を、好むと好まざるに関わらず犯してしまったことに苛まれたであろうこともまた、想像に難くない。
しかもなんとか東北地方を平定したものの、中央の政界は院政期に入って混乱や争いが相次ぎ、地方もまたその余波から逃れられない時に、平和国家の王道楽土を恒久的に実現できたとは、清衡にはとても思えなかったであろう。
阿弥陀信仰がそれまでの仏教と大きく異なっているのは、どんなに重い罪を犯した者でもひたすら阿弥陀如来にすがることで救済されるかも知れない、という希望が残るところにある。鎌倉時代に入って法然の浄土宗(東京国立博物館で今年特別展「法然と極楽浄土」を開催)、そして親鸞の浄土真宗が誕生したのも、武士が殺生戒を破り続けなければ生き延びられない時代を反映してでもあった。
金色堂もまた、そのような救済の最後の希望を求める晩年の清衡の思いを反映して建てられたものであり、そして自分だけでなく多くの者たちが生き延びるためにやむを得ず罪を犯し続けるしかなかったであろう時に、その無数の罪人たちにとっても救済されるかも知れない最後の希望を絶やさぬためにこそ、極楽浄土の色である金色に輝き続けているのかも知れない。
そしてまた、わずか7歳で現世の人道にありながら、生きながらの修羅道に巻き込まれた清衡の痛みがあったからこそ、清衡の墓でもある中央壇の仏たちは、まるで童子のような顔や姿をしているのかも知れない。
ウクライナの占領地では子ども達がロシア領に拉致されて再教育を受けたりロシア家庭に里子に出されたりしている。ちょうど父を殺した清原氏の子として育つことになった7歳の清衡のような立場に置かれたその子らは、大人になったらロシアの兵士としてウクライナと戦うのだろうか?
今、ガザ地区で生きながらの地獄ともいうべき戦争に巻き込まれた子ども達がなんとか生き延びられたとしても、心には自分達をこうも冷酷に殺した敵への怒り、清衡がまず7歳で母以外の家族を失い、長じては異母弟・家衡に妻子一族を皆殺しにされた時に感じたであろうのと同じ恨みが、必ずや残るだろう。いや昨年10月7日の攻撃自体が、一皮向けば「残虐なテロ」というより、三代に渡って屈辱と殺戮に晒され続けトラウマを抱えた少年たちが大人になった怒りの暴発に他ならない。虐げて来た側もまた、正義などどこにもないとしか思えないホロコーストを生き延びた者達を第二次大戦後に大量に移民させることで独立し、その独立と同時に戦争を始めた国家だ。この争いを宗教争いなどと冷笑するのは誤りだ。もし双方が信じる神が本当にいるのなら(そしてイスラム教もユダヤ教もキリスト教も、信仰対象は同じ神だ)、どちらもの側でも自分達に対するこのような不正義を、神がいるのなら許すはずがないのに、としか思えない様に育つしかなかった者達がいたからこそ、終わらない苦しみなのだ。
1000年近く前の日本に生まれ、晩年に金色堂を建立した藤原秀衡もまた、同じような痛みと苦しみに幼少期から晒され、殺生の罪を背負い続けることでしか生き延びられない宿命を否応なしに背負わされた子どもだった。
釈迦、そして阿弥陀に帰依することで恨みや怒りをなんとか乗り越えたのであろう清衡が築いた平泉の平安と繁栄も、たった四代のひ孫・泰衡の代で戦乱に潰えてしまう。今日、平泉に奥州藤原氏が造り上げた仏教に基づき平和を祈った都市の遺構は「仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」として世界文化遺産に登録されている。藤原時代の建造物で唯一残ったのが、金色堂だ。
芭蕉が当時はかなり傷んでいた金色堂を見て「五月雨の 降り残してや 光堂と」と詠んだことにも、その様な人の世の歴史の深い悲しみを感じとったことがあったのかも知れない。
建立900年 特別展「中尊寺金色堂」
Special Exhibition Celebrating the 900th Anniversary of Its Construction
The Golden Hall of Chūson-ji Temple
会期 2024年1月23日(火)~4月14日(日)
会場 東京国立博物館 本館第5室
〒110-8712 東京都台東区上野公園13-9
https://www.tnm.jp/
開館時間 午前9時30分~午後5時 ※入館は閉館の30分前まで
休館日 月曜日、2月13日(火) ※ただし、2月12日(月・休)、3月25日(月)は開館
主催 東京国立博物館、中尊寺、NHK、NHKプロモーション、 独立行政法人日本芸術文化振興会、文化庁
後援 天台宗、岩手県、平泉町
協賛 SGC、光村印刷
観覧料金
- 一般 1,600円
- 大学生 900円
- 高校生 600円
- ※中学生以下、障がい者とその介護者1名は無料。入館の際に学生証、障がい者手帳等をご提示ください。
- ※本展は事前予約不要です。混雑時は入館をお待ちいただく可能性がございます。
- ※会期中、一部作品の展示替えを行います。
- ※チケットの払い戻し・キャンセルはできません。購入の際はご注意ください。
- ※営利目的でのチケットの転売は固く禁止いたします。
- ※チケット購入はこちら https://art-ap.passes.jp/user/e/chusonji2024
公式サイト https://chusonji2024.jp/
お問い合わせ ハローダイヤル:050-5541-8600
招待券読者プレゼント
下記の必要事項、をご記入の上、「中尊寺金色堂」@東京国立博物館 シネフィルチケットプレゼント係宛てに、メールでご応募ください。
抽選の上2組4名様に、招待券をお送り致します。この招待券は、非売品です。
転売業者などに転売されませんようによろしくお願い致します。
☆応募先メールアドレス miramiru.next@gmail.com
★応募締め切りは2024年2月17日 日曜日 24:00
記載内容
1、氏名
2、年齢
3、当選プレゼント送り先住所(応募者の郵便番号、電話番号、建物名、部屋番号も明記)
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