「ルール」を守り、「ルール」について考えるのは、結局は「人」である

画像: 大智律師(元照)像 鎌倉時代14世紀 奈良・西大寺

大智律師(元照)像 鎌倉時代14世紀 奈良・西大寺

仏教とその歴史文化の展覧会としては、この展覧会は案外と、いわゆる「仏像」が少ない。代わりに多いのは、鑑真、空海、叡尊と覚盛の肖像彫刻をはじめ、時代時代でそれぞれに「戒律」の運動を指導して来た仏教指導者・僧侶の肖像だ。

いわば「仏教のルール」についての展示なのに、もっとも印象に残るのは人間の顔であり、その人たちが書いた文書などの文物だ。そこで我々が本当に学び、考えさせられるのは、その人たちの真摯な営みなのかも知れない。

その意味で、この展覧会はとても「人間くさい」仏教展でもある。

画像: 南山大師(道詮)像 南北朝時代 14世紀 奈良・西大寺 道詮と元照は中国における律宗の祖師に当たる

南山大師(道詮)像 南北朝時代 14世紀 奈良・西大寺
道詮と元照は中国における律宗の祖師に当たる

その「人間くささ」の印象の根幹になっているのは、それぞれの肖像に描かれた人々の豊かな個性に違いない。

いずれも尊敬された高僧だからこそ肖像が残り、絵画や彫刻自体が信仰の対象で、崇拝の儀式に使われるもののはずだ。しかしその「とても偉い高僧」のはずの人たちの姿が、どれも等身大で、お高く止まったようなイメージとかけ離れて、とても人間的で、親しみさえ覚える。それなりに理想化された聖人のように描かれていたのは、最澄と親鸞くらいだ。

画像: 興正菩薩(叡尊)像 南北朝時代14世紀 奈良・西大寺

興正菩薩(叡尊)像 南北朝時代14世紀 奈良・西大寺

「戒律を守る」宗教運動というと、なにやらお堅い、見ようによっては「偉そう」で「上から目線」なイメージを想像してしまうが、実際に目に入るものは全く異なっている。

「菩薩」の尊称がある像でありながら、大悲菩薩・覚盛の像は姿形そのものは「普通のおじさん」にすら見えるし、興正菩薩つまり叡尊の国宝の肖像彫刻は、なんと好々爺然とした温厚な人間らしさに溢れていることか。

しかし決して理想化・美化された像ではないのに…いや表面的な美化・理想化が排除されているからこそ、そこにはただの「普通のおじさん」や「好々爺」ではやはり済まない、人柄の重みのようなものがどこか感じられる。

画像: 俊芿 附法状 鎌倉時代 嘉禄3(1227)年 京都・御寺泉涌寺 国宝

俊芿 附法状 鎌倉時代 嘉禄3(1227)年 京都・御寺泉涌寺 国宝

俊芿の肖像ならば、「学究の徒」を感じさせる、細身で生真面目で神経質そうな顔立ちだ。だがそこにひ弱さはなく、真っ直ぐ見据えた澄んだ目が、なにか人柄の強さのようなものを感じさせる。

そこではたと気づかされることがある。「戒律」を守る、「ルール」を守るというのは、人間の真摯な営みだからこそ意味を持つのではないか?「偉い」人だから戒律を守れる、「ルールを守る」から「偉い」のでもなく、「戒律」と向き合ってきた日本の仏教史とは、それぞれに現実を直視して悩み考え抜きながら「ルール」と向き合い、時代時代の現実に合わせて自分の道や解決策を見出して来た営みに他ならないのではないか?

画像: 道詮律師像 中国・南宋時代 嘉定3(1210)年 京都・御寺泉涌寺 重要文化財 俊芿が宋から持ち帰った律宗の祖師の像。後期には対になる元照の像が展示される

道詮律師像 中国・南宋時代 嘉定3(1210)年 京都・御寺泉涌寺 重要文化財
俊芿が宋から持ち帰った律宗の祖師の像。後期には対になる元照の像が展示される

「戒律」を守るのも「偉く」なるためでも、まして人の上に立ちたい願望でもなく、より「善い」人間になろうとする努力であって、それぞれの高僧が「正しい人」だったとしたら、それは「善く」あろうと真摯に生き抜いて、「戒律」なら「戒律」という自分が学んだことに真摯に向き合った結果に過ぎない。

画像: 道元禅師像 鎌倉時代13世紀 福井・宝慶寺

道元禅師像 鎌倉時代13世紀 福井・宝慶寺

そこで再び、あの「鑑真和上坐像」に向き合う。

画像4: 鑑真和上坐像 奈良時代8世紀 奈良・唐招提寺 国宝

鑑真和上坐像 奈良時代8世紀 奈良・唐招提寺 国宝

館内の展示構成上、文脈的には展示の最初の方にあってもおかしくない「鑑真和上坐像」は、3階から始まる展示順序の後半の、1階の奥の一部屋に弘法大師空海、興正菩薩叡尊の坐像と共に展示されている。だから最初にまず「鑑真和上坐像」をみたいと思ってその部屋に行くと、そのあと3階に上がって歴史を時代順に追った展示をみて、ちょうど戒律の復興運動が隆盛を迎えた鎌倉時代のあとくらいで、再び鑑真に向き合うことになる。

そこで改めて確認するのは、ある意味人間くさい、決して理想化され美化されたものではない高僧の、等身大の肖像といえば、この脱活乾漆の繊細な表現の像のリアリズムこそが、その最高峰であることだ。

理想化や美化がないといえば、写真などでこの像が紹介されるとき、この展覧会のポスターも含めて、たいていは真正面から撮影されている。ところが真正面の写真なら必ず気づくはずの大きな特徴に、実物を見て初めて気付かされた。

画像5: 鑑真和上坐像 奈良時代8世紀 奈良・唐招提寺 国宝

鑑真和上坐像 奈良時代8世紀 奈良・唐招提寺 国宝

鑑真は座禅する姿で、手のひらは正面に重ね合わせた禅定印だ。如来の坐像などでこの手の形になっている場合はもちろん左右対象で、ゆったりと手前に曲げられた腕の先、体の中央に手が来ている。対称性は視覚的に理想化・美化にもなるが、一方でそれが最も自然にも思えるし、だから写真などで見て鑑真和上坐像もそうなっているはずだと、筆者などは勝手に思い込んでいた。

だがそれが、実は違ったのだ。

「鑑真和上坐像」の手は、左右対称の位置になっていない。中心からかなり右にズレているし、禅定印の手は如来像などでよく見られる位置よりもかなり後ろの、体に引きよせた位置にある。

上腕部はむしろ若干後ろの方に斜めになっていて、上体は若干、前屈みだ。一見、静かに落ち着いて見えるのに、実は体を少し前に乗り出して、肩と腕に力が入った姿勢なのだ。

画像6: 鑑真和上坐像 奈良時代8世紀 奈良・唐招提寺 国宝

鑑真和上坐像 奈良時代8世紀 奈良・唐招提寺 国宝

禅定印の手が右に大きくズレているのは、正面からの写真ならすぐに気づくはずだ。慌てて見直すと、チラシやポスターの画像も確かに、腕と手が右にズレている。なのになぜ今まで、気づかなかったのだろう? しかも、本物を見ればすぐに気づくことだ。

この姿勢がなにを意味するのか、といったような話ではむろんない。

ただ、この座り方と手と腕の位置は、恐らくは生前の鑑真の、その晩年の姿を正確に再現したものなのだろう。そのことと、恐らくは普通に仏像に見られる美化・理想化された、ゆったりして見える座り方と比べて、この最晩年の鑑真の座り方が全身にかなり力が入った姿であることに、なんともいえない深い感動を、覚える。

画像: 「ルール」を守り、「ルール」について考えるのは、結局は「人」である

開催概要

凝然国師没後700年 特別展 鑑真和上と戒律のあゆみ
会期 2021年3月27日(土)~ 5月16日(日)
※会期等は今後の諸事情により変更する場合があります。
前期展示:3月27日(土)〜4月18日(日)/後期展示:4月20日(火)〜5月16日(日)
※一部の作品は上記以外にも展示替を行います。 ---
会場 京都国立博物館 平成知新館 https://www.kyohaku.go.jp/jp/about/fac/chishinkan.html
休館日 月曜日
※ただし5月3日(月・祝)は開館、5月6日(木)休館 ---
開館時間 午前9時~午後5時30分まで(入館は午後5時まで)
※夜間開館は実施いたしません。
主催 京都国立博物館、律宗総本山 唐招提寺、日本経済新聞社、京都新聞、NHK京都放送局
特別協力 華厳宗大本山 東大寺、真言宗泉涌寺派総本山 御寺 泉涌寺、真言律宗総本山 西大寺 (五十音順) ---
協賛 岩谷産業、カシオ計算機、NISSHA、日本通運、三井不動産

画像7: 鑑真和上坐像 奈良時代8世紀 奈良・唐招提寺 国宝

鑑真和上坐像 奈良時代8世紀 奈良・唐招提寺 国宝

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