それが平安時代、木の仏像の時代に入ると、こうした奈良時代の表現とは対照的なように、仏像は確かに身体の表象であると同時に、あくまで木が木であることそのものの存在を通して、背後にある大自然の存在をも同時に表現しているかのような仏像が現れる。
あえてリアリズムを徹底させない彫り方の一方で、同時代の中国・唐から学んだ精緻な彫刻技術も駆使されていて、特にカヤやサクラなどの硬い木材を使った像では、極めて緻密でシャープで工芸的な表現も冴えている。例えばこの二点の菩薩像の上腕の腕輪や、下の菩薩形立像のとても薄い衣などには、そうした精確な彫りの技術の高さがよく見える。
「南山城」というと「ナンザンジョウ」と読んでしまいがちだったり、南にあった山城で中世の武家か戦国時代についての展覧会か、などと勘違いしてしまいそうになるかも知れないが、「山城」は京都府中南部の旧国名で、「南山城」はその南部地域のことだ。南山城地域は、平城京(奈良)から平安京に遷都した後にも朝廷や最有力貴族の藤原氏にゆかりのある重要な寺院が残った奈良と、その新首都をつなぐ位置関係になるため、政治的にも宗教的にも重要だったことが容易に想像できるし、だからこそ平安時代初期の優れた仏像も、多く遺されているのだろう。
この和束町・薬師寺の薬師如来坐像はかなり小さな像ながら、平安時代初期ならではの如来像のずんぐりした重量感を全身から発散しているのと同時に、衣は麻のようないささかハリがありそうな生地が生み出す襞の、自然で不規則な並びを写実的かつ躍動的に造形しているところなどは、奈良時代のリアリズムに通じる。下の写真の蟹満寺の阿弥陀如来坐像はさらに小さな像だが、その衣はよりいっそう細かい襞の連なりが深く動的に躍動して、ビロードのような柔らかさすら見て取れる。
ともに平安時代の最初期を代表すると言ってよさそうな、奈良時代から平安時代に移行する時期の造形の特徴を典型的に表した9世紀の仏像だが、正面から見ると相似形に見えそうなほど、体躯のバランスやポーズまで、極めてよく似ている。
平安時代の中期に入ると、一木造りの仏像は木そのものの質感と存在感を活かし続けながらも、ずんぐりと太めで重厚さのある体型から、流麗に整理された曲線のより様式的な美へと次第に移行していく。こうした表現の落ち着きと静かさは、朝廷の統治が次第に定まり、平安時代が結果として300年近くも続く安定政権となって行くその歴史の先もなんとなく見えたかのような、ある種の安心感を反映したものなのかも知れない。
この法明寺の釈迦如来立像のように、衣のひだは浅くなっていき、うねるような深い曲線ではなくすっきりと、洗練され簡略化されているが、それでもエッジを効かせた立体感のメリハリが、心地よいリズムを刻んでいる。
また横から見た時に身体が次第に薄くなっていくのも、仏像の歴史で「和様化」と言われるこの時期の特徴だ。
順路が基本的に時代順なので、こうした平安初期・中期の仏像の多くが最初の展示室に置かれている。浄瑠璃寺の国宝・九体阿弥陀のうちの2体はその前半を見終わった先にあるので、平安時代の仏像のスタイルの変遷を辿りながら、まさにこの浄瑠璃寺の阿弥陀如来坐像にその完成形が見られる平安時代中後期の「定朝様」へとつながっていく、そうした歴史的な流れが体感できる。