阿弥陀如来の救済には、『観無量寿経』によれば九つの、いわば「等級」がある。「品」のカテゴリーで上中下の三段階(ちなみに「上品」「下品」の語源でもあるが、読みは「ほん」)、「生」(読みは「しょう」)にも「上中下」があるので3の2乗で9通り。なお「阿弥陀」はサンスクリット語の「अमिताभ(アミターバ)」の当て字で「無量寿」がその意味の漢字(中国語)訳に当たり、無限の慈悲を持ってあらゆる衆生の救済を目指す。

平安時代の中期頃から、「末法」思想を背景に、阿弥陀如来にすがり死後の救済を願う浄土信仰が広まった日本では、この絶対的な救済の仏の9通りの救済の在り方を9体の仏像で表現する仏教施設が、平安時代だけでも30以上作られたとも言われる。晩年に浄土信仰に傾倒した藤原道長が建立した法成寺の本尊も、九体阿弥陀(九品阿弥陀、九品仏ともいう)だった。

画像: 浄瑠璃寺 池の西側に建てられて西方阿弥陀浄土を表す本堂。正面に見える柱の間のひとつひとつに一体ずつ、阿弥陀如来坐像が安置されている。

浄瑠璃寺 池の西側に建てられて西方阿弥陀浄土を表す本堂。正面に見える柱の間のひとつひとつに一体ずつ、阿弥陀如来坐像が安置されている。

とはいえ、最高権力者の巨大寺院・法成寺も今は京都東山の東福寺の門前に小さな寺が残るだけであり、永い歳月の間に焼失したり、寺が廃寺になったり縮小する過程で9体の阿弥陀仏は失われるかバラバラに散逸し、そのまま本尊として維持されている例はほとんどない。

そんな中で京都府の南、木津川市の山間にある浄瑠璃寺の本堂には、平安時代の九体阿弥陀仏とその安置・礼拝のための建築空間がそのまま残っている。

屋根がより耐久性が高い瓦屋根に改められたのは記録によれば江戸時代だが、創建当時の檜皮葺ではその曲線がさらに優美な伸びやかさを見せていたのだろう。境内中央の池を挟んで西に、阿弥陀如来の西方極楽浄土を模す本堂が建ち(建物も9体の阿弥陀仏坐像も国宝)、向かい合って東側に立つ三重塔(国宝)には東方にあるとされる薬師如来の薬師瑠璃光浄土を表すように、平安時代の薬師如来坐像(重要文化財・毎月8日に開扉)が安置されている。

画像: 浄瑠璃寺境内、本堂阿弥陀堂より池の対岸を臨む。奥に三重塔、手前の中之島には弁財天の社。

浄瑠璃寺境内、本堂阿弥陀堂より池の対岸を臨む。奥に三重塔、手前の中之島には弁財天の社。

「浄瑠璃」という名称は「浄土」と薬師如来を指す「瑠璃光」から来ていて、のちには近世に大流行した人形で演じられる重厚な悲劇が「人形浄瑠璃」と呼ばれる語源にもなった。寺の名前から察せられるように創建当時は本尊は薬師如来だったらしく、干支が一巡した60年後に西側に新たな本堂を建て、九体阿弥陀如来が本尊になったようだ。

朝早くには、東から日の出の光が池にも反射して、まばゆく本堂の内部を満たすのだろうが、日中は薄暗い堂内で、人工光で仏像を照らすのも極めて控えめで、しばらくの間は中央の像が一際大きく、この像だけが手が両手ともに親指と人差し指で輪を作る上品上生の来迎印(阿弥陀如来が死者を迎えに来る際の最上級のポーズ)を結んでいることくらいしか、最初はよく見えない。

画像: 浄瑠璃寺 本堂 平安時代・嘉承2(1107)年 国宝

浄瑠璃寺 本堂 平安時代・嘉承2(1107)年 国宝

左右に4体ずつの同サイズの阿弥陀如来坐像は、いずれも瞑想中を表す「定印」の手だ。同じ大きさ、同じポーズ、そっくり同じ像が整然と並んでいるように、最初は思える。

画像1: 国宝 阿弥陀如来坐像 その1 平安時代・12世紀 京都・浄瑠璃寺 [木津川市]

国宝 阿弥陀如来坐像 その1 平安時代・12世紀 京都・浄瑠璃寺 [木津川市]

ほぼ同時に作られ、様式も当時から日本の仏像造形の主流となった「定朝様」の8体が、実はそれぞれにかなり個性的で、一体一体が異なっていることに気づくのは、本堂の薄闇に次第に目が慣れて来てからだ。この8体の同じポーズ、同じ大きさ、同じ様式のはずの平安時代の阿弥陀如来坐像のうち、いちばん右と左から2番目の2体が奈良国立博物館で特別に展示されているのを見ると、「こんなに違っていたのか!」とびっくりさせられる。

画像1: 国宝 阿弥陀如来坐像 その8 平安時代・12世紀 京都・浄瑠璃寺 [木津川市]

国宝 阿弥陀如来坐像 その8 平安時代・12世紀 京都・浄瑠璃寺 [木津川市]

本堂の中では急ぎ足の観光客も思わず立ち止まってよく見るよう、明るい照明を当てたりしていないのは、この気づきの時間経過を参拝者に体感させるため、そこからなにかを気づかせるために、あえてそうしているのではないだろうか? 薄暗がりにやがて目が慣れてくると、どの阿弥陀仏がいちばん好きか、あるいはどの像が見る者それぞれが思い描く「救済」の内面のイメージと合致するのか、見る側の個性も触発される。溝口健二の『西鶴一代女』の冒頭で、初老のヒロインお春(田中絹代)が五百羅漢堂に迷い込み、個性的な羅漢たちの貌に自分の人生を通り過ぎて行った男たちの姿を思い浮かべるシーンのような見方も、あっていいはずだ。

浄瑠璃寺ではこの5年間をかけて、九体の阿弥陀如来の大修理が順次行われてきた。担当したのは奈良国立博物館の文化財保存修理所で、この度その無事の終了を記念して、最後の2体が特別展で展示されることになったわけで、その意味ではこの「その1」と「その8」になったのは単なる偶然のはずだ。だが偶然にしては出来過ぎというか、同じに思えていたものがここまで対照的だったことに驚かされる。

左に展示された阿弥陀仏(本堂では右から数えて「その8」)は美しく均整の取れたフォルムで、程よく力が抜けたように安らかにリラックスした、スマートで柔らかな佇まいだ。全体がすらりと洗練された流麗な曲線で構成され、切長の目でやさしげな微笑みを浮かべた顔は「イケメン」と言ってしまいたくなる。

対照的に、右の阿弥陀仏(「その1」)は、より丸顔で全体がずんぐりした佇まいだ。

画像2: 国宝 阿弥陀如来坐像 その1 平安時代・12世紀 京都・浄瑠璃寺 [木津川市]

国宝 阿弥陀如来坐像 その1 平安時代・12世紀 京都・浄瑠璃寺 [木津川市]

静かに座りながらも、その全身に力が漲っているかのようだ。「その8」がゆっくりと息を吐いている経過の姿だとしたら、右の「その1」の像は瞑想に入る呼吸のためにまず息を深く吸って止める緊張の瞬間を捉えている。

首から肩にかけてのラインがまるで異なり、「その8」が流麗ななで肩につながっているのに対し、「その1」は首がいささか短く肩がまっすぐに近いのも、この印象の違いにつながる。衣は「その1」の方がひだが多くてより複雑でリアル、比べると「その8」の方は簡潔に整理されてスッキリしている。

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