戒律復興運動と、菩薩と呼ばれた僧・行基の伝説

「戒律」というと何か厳しい生活上のルールを杓子定規に遵守することを想像しがちだが、日本の仏教の戒律でとりわけ重視されたのは菩薩戒、他者に尽くすことで自らの精神を高め悟りに近づくという思想だ。それは自立的で自律的な庶民階級と農村共同体や都市生活が成立した中世においては、「助け合い」を意味する極めて人間的なものだったのではないか。

画像: 釈迦如来および両脇侍像(文殊菩薩・普賢菩薩) 室町時代・15〜16世紀 京都・常念寺[木津川市]

釈迦如来および両脇侍像(文殊菩薩・普賢菩薩) 室町時代・15〜16世紀 京都・常念寺[木津川市]

解脱上人の主導した戒律の復興とともに、南山城の地方で人気を集めたかつての聖人が、奈良時代の僧侶で社会運動指導者で、生前から「菩薩」と呼ばれた行基だ。人口の三分の一が亡くなった天然痘パンデミックの後の疲弊し混乱した社会の中で、行基は土地を捨てて流浪民になった庶民に仏教の基礎を教えながら、治水灌漑などの土木工事を指導した。

人々の生活のために尽くす姿から、後には文殊菩薩の生まれ変わりだったという信仰も生まれた。

画像: 重要文化財 文殊菩薩騎獅子蔵 鎌倉時代・14世紀  京都・大智寺[木津川市] モデルになったのは奈良県桜井市の安倍文殊院の、快慶作の国宝・渡海文殊群像のよう

重要文化財 文殊菩薩騎獅子蔵 鎌倉時代・14世紀  京都・大智寺[木津川市]
モデルになったのは奈良県桜井市の安倍文殊院の、快慶作の国宝・渡海文殊群像のよう

南山城では岩船寺が行基の開山と伝わり、また木津川にかかる泉大橋(木津川市)は行基が掛けた橋とされていることからも、行基の人気が広まったという。この文殊菩薩は、その泉大橋のたもとの寺にある像で、おそらく行儀の本地、地上における文殊菩薩の化身だった行儀菩薩の、仏としての本来の姿を表したものだろうが、いかにも鎌倉時代らしい華やかな像だ。

聖武天皇が大仏の建立を発願した際、天皇は国家の権力と財力だけで大仏を造ることを正しいとは思わず、民が自分のできる範囲で、一木一草でもいいから自らの意志で協力してほしいと呼びかけ、行基もその大仏の造営に共感し、積極的に庶民を組織して協力した。

画像: 重要文化財 文殊菩薩騎獅子蔵 鎌倉時代・14世紀  京都・大智寺[木津川市]

重要文化財 文殊菩薩騎獅子蔵 鎌倉時代・14世紀  京都・大智寺[木津川市]

この像、最近文化財の調査でも使われる様になった、元来は医療用のMRIによる検査で、首に小さな厨子が納入されていて、その中に小さいがとても精緻な彫りの文殊菩薩像が入っていることが明らかになっている。

画像: 戒律復興運動と、菩薩と呼ばれた僧・行基の伝説

文殊菩薩像の首の太さから考えると、極めて小さな像を収めた小型の厨子で、おそらくは守り本尊として身につけて持ち歩いたものだろう。そうした誰かの念持仏が納められているということは、施主のなんらかの、あるいは誰かに対する思いから、ここにあるのではないだろうか?

寄木造の像といっても分解すれば文化財の現状を傷つけることになるので易々と取り出すことはできないが、医療用のMRIといえば例えば脳血管障害の検査で細い血管の一本一本まで写し出せる技術だ。従来のX線写真やX線CT検査よりもはるかに解像度も高く、AI技術の画像解析で完全な3D化の立体再現もできる新たな武器を駆使することで、文化財に秘められた当時の人々の秘められた思いが今後どんどん写し出されて行くのかも知れない。

「そうした大昔の先人たちの気持ちに敬意を払い、寄り添う姿勢で科学調査に取り組みたい」と、この発見に至った調査を指揮した奈良国立博物館・学芸部保存修理指導室長、鳥越俊行さんは言う。

画像: 重要文化財 文殊菩薩騎獅子蔵 鎌倉時代・14世紀  京都・大智寺[木津川市] この像のMRI調査を指揮した学芸部保存修理指導室長・鳥越俊行氏と共に

重要文化財 文殊菩薩騎獅子蔵 鎌倉時代・14世紀  京都・大智寺[木津川市]
この像のMRI調査を指揮した学芸部保存修理指導室長・鳥越俊行氏と共に

寺院がこうした展覧会に貴重な文化財を貸し出すには、さまざまな障害や精神的な躊躇もあるかも知れない。なにしろ我々はまず美術品として仏像なら仏像を見るが、お寺にとってはあくまでまず何よりも、信仰の対象なのだし、展覧会に貸し出している期間中はお寺に本尊がないので法要にも困る、と言うことにもなりかねない。

それでも博物館で文化財を借りることができれば、展示の前後に緻密で科学的な調査が行えて、時にはこのような先人の篤い信仰の隠された痕跡が発見されるだけではない。内部の経年劣化や外から見えない虫食い(湿気が多い日本では木製の文化財の天敵)などもいち早く把握できるので、仏像の健康診断のつもりでぜひ考えてもらえれば、と鳥越室長は言う。

画像: 釈迦如来立像(清涼寺式) 江戸時代・17〜18世紀 京都・現光寺[木津川市] 清涼寺式とは、宋代の中国から京都の清涼寺に伝わった釈迦如来像を踏襲した形式で、元の像は釈迦の生き写しの姿と伝承される。鎌倉時代には人間としての釈迦への憧れから、無数の模像が作られた。

釈迦如来立像(清涼寺式) 江戸時代・17〜18世紀 京都・現光寺[木津川市]
清涼寺式とは、宋代の中国から京都の清涼寺に伝わった釈迦如来像を踏襲した形式で、元の像は釈迦の生き写しの姿と伝承される。鎌倉時代には人間としての釈迦への憧れから、無数の模像が作られた。

浄瑠璃寺九体阿弥陀修理完成記念 特別展「聖地・南山城 - 奈良と京都を結ぶ祈りの至宝-」2023年7月8日〜9月3日 奈良国立博物館

画像: 木津川市指定文化財 地蔵菩薩坐像 平安時代9-10世紀 京都・西教寺[木津川市]

木津川市指定文化財 地蔵菩薩坐像 平安時代9-10世紀 京都・西教寺[木津川市]

会  期
: 2023年7月8日(土)~9月3日(日)
: 前期展示−7月8日(土)〜8月6日(日)
: 後期展示−8月8日(火)〜9月3日(日)

開場時間
: 午前9時30分~午後6時(入館は閉館の30分前まで)
休 館 日: 月曜日

会  場
: 奈良国立博物館 東・西新館

チケット購入はこちらhttps://www.e-tix.jp/yamashiro-nara/
一般:1800円 高大生:1300円 小中生:600円

主  催
: 奈良国立博物館、日本経済新聞社、テレビ大阪

後  援
: 京都府、京都府教育委員会、木津川市、京田辺市、城陽市、井手町、宇治田原町、笠置町、精華町、南山城村、和束町

協  賛
: JR東海、竹中工務店、NISSHA、福寿園

特別協力
: 京都南山城古寺の会

協  力
: 京都山城地域振興社、日本香堂、仏教美術協会

画像: 重要文化財 吉祥天立像 平安時代・10〜11世紀 京都・法明寺[笠置町] 以上、写真はすべて撮影:藤原敏史 ©2023, Toshi Fujiwara 主催者の特別の許可を得て撮影・転載厳禁 Canon EOS RP, RF85mm f1.2L, RF50mm f1.2L, RF35mm f1.8

重要文化財 吉祥天立像 平安時代・10〜11世紀 京都・法明寺[笠置町]
以上、写真はすべて撮影:藤原敏史 ©2023, Toshi Fujiwara
主催者の特別の許可を得て撮影・転載厳禁
Canon EOS RP, RF85mm f1.2L, RF50mm f1.2L, RF35mm f1.8

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