太子が目指した「菩薩天子」の理想と、「美」こそが「善」であり「正」を表す卓越した美意識
推古天皇の朝廷が派遣した「遣隋使」については、かつての学校教育では「日出処の天子、日没する処の天子に」という、隋の皇帝・煬帝を挑発するかのようにも読める国書の文言が強調され、実際には朝貢使節に他ならない国使派遣で、太子があたかも対等外交を宣言したかのように教えていた。
だがその隋への国書では一方で、「聞く、海西の菩薩天子、重ねて仏法を興す」と煬帝を褒め称え、仏の道を導いて欲しい、と請うてもいる。
ならば遣隋使の派遣(正確には小野妹子が派遣されたのは第二回遣隋使・西暦607年と留学生を多数引き連れた第3回・608年)以降の飛鳥時代の仏像には、朝鮮半島経由ではなくて隋から直接もたらされた影響があってもおかしくないはずだ。
ところが『法華義疏』の太子直筆の書体にしてもそれよりも100年以上前の、5世紀前半の中国の書体を意識的に踏襲していて、それは「止利仏師様式」と呼ばれる仏像のスタイルにも共通して指摘できるという。
三田覚之・東京国立博物館主任研究員によれば、理解の鍵になるのは隋への国書にもある「菩薩天子」という言葉だという。煬帝は中国史ではその後まもなく隋が滅びて唐にとって代わられたこともあって、あまり評価が高くない皇帝だが、中国の皇帝にとっての基本思想の儒教よりも、仏教に深く傾倒していたことでも知られる。
だがそれを言うならこの100年ほど前の中国南北朝時代に、宮中儀式からも儒教式を廃して仏式にするほど仏教を熱心に信仰し、自らが菩薩とならんと志して仏法を保護し、その功徳で民の安寧を実現しようとした皇帝がいる。梁(西暦502〜557)の初代皇帝・武帝(464〜549)だ。
南朝の斉を滅ぼして梁を建国した武帝は、政治の面でも官位の制度の改革や税の軽減、経済の活性化を測って民生を豊かにすることを優先し、そこには「冠位十二階」や「十七条憲法」など、太子が深く関わったであろう推古朝の政治改革の精神にも通じるところがある。そしていわゆる「アルカイック・スマイル」とも称される「止利仏師様式」の微笑みとアーモンド型の見開いた目、端正な左右対称に様式化された衣の処理なども、この南北朝時代の古代中国の仏像の様式を踏襲していると考えられるのだ。
つまり「止利仏師様式」は、「菩薩天子」たる梁の武帝をひとつの理想のお手本として、太子自身が原典を選んで創造した仏像のスタイルだと言えるだろう。
太子の没後、その翌年に法隆寺本尊の釈迦三尊が作られた後も、それをモデルとして「止利仏師様式」の仏像は作られ続けた。国宝・薬師如来坐像も実はそういう像だったのかも知れないし、この時期の代表的な傑作が、法隆寺金堂の四天王像だ。
この展覧会では四体のうち、須弥壇後方の左右に安置される多聞天と広目天が展示されている。光背の裏に仏師の名前が彫られていて、広目天のそれは『日本書紀』に天智天皇の代に千体仏を作ったと記述がある「山口大口費」の作と分かり、つまり7世紀半ば以降の、太子の没後30年以上後に造立されたものだ。
とりわけ広目天は、筆を持つ右手と巻物を持つ左手の繊細でリアルな表現と、いささか憂いを帯びた顔のデリケートな表情、全体を正面から見た時の美しい二等辺三角形のフォルムなど、その静謐な美しさが傑出している。
また四天王の四体に共通する、端正な規則性で並ぶ衣のひだの表現は、そっくりのパターンが法隆寺金堂の鴟尾(堂宇の屋根の最上部の装飾、城郭の天守閣で言えばしゃちほこに当たる)にも見られ、山口大口費のような仏師が法隆寺の再建伽藍の建築にも関わったのかも知れない(この鴟尾の実例も今回展示されている)。
太子が理想・お手本としたのかも知れない梁の「菩薩天子」武帝は、文人としても名高く詩にも優れ、文化教育の教育政策にも力を尽くした。太子自身の文学的才能も仏教理論として重要なだけでなく文学的にも名文といえる『三経義疏』に見ることができ、また直筆草稿の『法華義疏』の端正さに、その強い美意識を見ることができるのは先述の通りだ。
脳科学の研究では、正誤の判断と倫理観と美意識は、脳の共通する領域から生じているという。だとすると高い知性と知識だけでなく「正しさ」の感覚も強かったであろうからこそ、死の直後にはすでに仏と同一視されるほどの扱いだった太子が、単にその「正しさ」の理想の投影として梁の武帝の時代の書体や仏教の様式をただ踏襲しようとしただけでなく、単なる模倣に満足することなく、とりわけ美しいものとして結実させようとしていたとしても不思議ではない。
法隆寺で太子の魂が宿る場として作られた東院・夢殿の、太子の分身像として祀られる救世観音立像は元は秘仏で門外不出、美術館・博物館に出品されることはまずないだろうし、「聖徳太子と法隆寺」展でも写真パネルの紹介が主だ。
だがNHKが像全体の3Dスキャンと、数百枚に及ぶ膨大なデジタル高精細写真を撮影して、この2つのデータを組み合わせた「8K文化財」の実物大CGが、今回は会場入り口の一階で特別上映されている。通常は春と秋に数週間だけ開帳され、夢殿の外から距離を置いて眺めることしかできない像だが、この3D-CGでは細部まで近寄って、まず実際には見られないような斜めからの角度でも見ることができる。
むろん夢殿の外から遠目に、ほぼ正面だけからしか見られなくても美しい像だが、斜めの角度の映像にはあっと驚かされる。宝珠を持つ手の繊細な立体感と、華麗な宝冠の優美な局面の端正さ、顔の表情のみずみずしい生気はどうだろう。
古代中国の、太子の時代から遡って100年ほど前の仏教の様式の、対称性を重んじ極端に様式化された規則的な表現の厳格な洗練に加えて、太子が関わったか、その太子の影響下に作られた「止利仏師様式」の仏像には、細部に至るまでそれを美しいものとして繊細に造形し、そこに柔らかな人間性のやさしさをも込めようとした、崇高な美学がそこにあった。
それは至高に美なるものであるからこそ、至高の「善」、圧倒的な「正しさ」をも表象するものだった。