全国でおそらく、一度にもっとも多様な仏像が見られる「なら仏像館」
「なら仏像館」ほど数多くの、多様な時代や様式の仏像を一度に見られる場所は、筆者には他に思い当たらない。
仏像がなんとなく「みんな同じに見える」と誤解されがちなことと、宗教上の約束事を知らないと見分けがつかず、なにを表しているのか分からないと思われがちなこと、主にこの2点が現代人が仏像を見る上でのハードルとなっているのだとしたら、そんな先入観の解消には絶好の場所だ
それも同じ経典に基づく約束事に則った、同じ尊格の仏像でも、例えば地蔵菩薩なら地蔵菩薩、観音菩薩なら観音菩薩がまとめて展示されていると、筆者のような素人でも、どういう約束事によってどういう仏が表現されているのかの規則性を意識し、理解できるようになるのと同時に、だからこそ時代の変化や仏師の流派など様々な要因によって、一口に「仏像」と言ってもまったく違った表現があることに気づかされる。
ちなみに坊主頭の、つまりお坊さんの格好をしている(「僧形」)仏像が、必ずしも地蔵菩薩に限られているわけでもない。たとえば実在した僧が信仰対象になっているのなら、当然僧侶の姿で表される。
日本ローカルのカミでも僧侶の姿が神像の定型とされているケースもあって、たとえば「源氏の守り神」で有名な八幡神がそうだ。奈良の薬師寺の鎮守として伝わって来た国宝の僧形八幡坐像(平安時代)も奈良国立博物館に寄託されていて、2019年12月24日から「なら仏像館」で展示されている。
だが考えてみたら不思議な話だ。八幡神は第15代応神天皇と同一視されて来たが、確か仏教伝来以前の天皇ではなかったっけ?
もっとも、八幡神の明治以前の神号は「八幡大菩薩」、「菩薩」はもちろん仏教の用語で、本来は悟りを開いてブッダ(如来)になる前の段階を指す。元は九州・宇佐地方の農耕神で、全国展開するきっかけになったのは奈良時代に東大寺の守り神になったこと。伝承では大仏の盧舎那仏にお仕えしたい、と立候補したという話になっていて、今でも東大寺の境内には三月堂(法華堂)の南に手向山八幡宮がある。応神天皇と同一視され源氏の氏神となるのは、その後のことだ。
人間の視覚は、目に入るすべてを意識的に見ているわけではない。判別できる記号的な情報がとっかかりになったり、比較で差異を認識できないと、もともと祈りの対象だった仏像だけに優れた作例には迫力や神々しさ、安らぎなどの感情を漠然とした印象としては持っても、寺院で一体だけか少数ずつ、散発的に見ているだけでは「どれも同じ」と思ってしまうのも現代人にとってはやむを得ないとは思う。
だがそうは言っても、せっかく仏像があるお寺に行くのだったら、ちゃんと見ないともったいないではないか。