全国でおそらく、一度にもっとも多様な仏像が見られる「なら仏像館」

画像: 手前より 龍猛菩薩立像 平安時代10世紀 和歌山・泰雲院蔵(奈良国立博物館寄託)重要文化財 地蔵菩薩立像 平安時代9世紀 奈良・十市町自治会蔵 明星菩薩立像 平安時代9世紀 奈良・弘仁寺蔵(奈良国立博物館寄託)重要文化財

手前より 龍猛菩薩立像 平安時代10世紀 和歌山・泰雲院蔵(奈良国立博物館寄託)重要文化財
地蔵菩薩立像 平安時代9世紀 奈良・十市町自治会蔵
明星菩薩立像 平安時代9世紀 奈良・弘仁寺蔵(奈良国立博物館寄託)重要文化財

「なら仏像館」ほど数多くの、多様な時代や様式の仏像を一度に見られる場所は、筆者には他に思い当たらない。

仏像がなんとなく「みんな同じに見える」と誤解されがちなことと、宗教上の約束事を知らないと見分けがつかず、なにを表しているのか分からないと思われがちなこと、主にこの2点が現代人が仏像を見る上でのハードルとなっているのだとしたら、そんな先入観の解消には絶好の場所だ

それも同じ経典に基づく約束事に則った、同じ尊格の仏像でも、例えば地蔵菩薩なら地蔵菩薩、観音菩薩なら観音菩薩がまとめて展示されていると、筆者のような素人でも、どういう約束事によってどういう仏が表現されているのかの規則性を意識し、理解できるようになるのと同時に、だからこそ時代の変化や仏師の流派など様々な要因によって、一口に「仏像」と言ってもまったく違った表現があることに気づかされる。

画像: 龍猛菩薩立像 平安時代10世紀 和歌山・泰雲院蔵(奈良国立博物館寄託)重要文化財 上の写真2点の地蔵菩薩との大きな違いは裸足でなく、くつを履いているところ。ただしくつを履いた地蔵菩薩もないわけではない(たとえば京都・醍醐寺の上醍醐地蔵堂本尊・通称「田植え地蔵」)。龍猛はインド密教の高僧で真言八祖の1人。真言八祖とは空海とその師・恵果までの、密教を創始し伝え発展させて来たインドと中国の祖師たち

龍猛菩薩立像 平安時代10世紀 和歌山・泰雲院蔵(奈良国立博物館寄託)重要文化財
上の写真2点の地蔵菩薩との大きな違いは裸足でなく、くつを履いているところ。ただしくつを履いた地蔵菩薩もないわけではない(たとえば京都・醍醐寺の上醍醐地蔵堂本尊・通称「田植え地蔵」)。龍猛はインド密教の高僧で真言八祖の1人。真言八祖とは空海とその師・恵果までの、密教を創始し伝え発展させて来たインドと中国の祖師たち

ちなみに坊主頭の、つまりお坊さんの格好をしている(「僧形」)仏像が、必ずしも地蔵菩薩に限られているわけでもない。たとえば実在した僧が信仰対象になっているのなら、当然僧侶の姿で表される。

画像: 明星菩薩立像 平安時代9世紀 奈良・弘仁寺蔵(奈良国立博物館寄託)重要文化財 ケヤキの一木造りで特に衣のシャープな表現が印象的。元は地蔵菩薩として作られた可能性が高い。白っぽい顔料が随所に残っているのは彩色されていた痕跡

明星菩薩立像 平安時代9世紀 奈良・弘仁寺蔵(奈良国立博物館寄託)重要文化財
ケヤキの一木造りで特に衣のシャープな表現が印象的。元は地蔵菩薩として作られた可能性が高い。白っぽい顔料が随所に残っているのは彩色されていた痕跡

日本ローカルのカミでも僧侶の姿が神像の定型とされているケースもあって、たとえば「源氏の守り神」で有名な八幡神がそうだ。奈良の薬師寺の鎮守として伝わって来た国宝の僧形八幡坐像(平安時代)も奈良国立博物館に寄託されていて、2019年12月24日から「なら仏像館」で展示されている。

だが考えてみたら不思議な話だ。八幡神は第15代応神天皇と同一視されて来たが、確か仏教伝来以前の天皇ではなかったっけ?

画像: 僧形神像 平安時代10世紀 奈良国立博物館蔵

僧形神像 平安時代10世紀 奈良国立博物館蔵

もっとも、八幡神の明治以前の神号は「八幡大菩薩」、「菩薩」はもちろん仏教の用語で、本来は悟りを開いてブッダ(如来)になる前の段階を指す。元は九州・宇佐地方の農耕神で、全国展開するきっかけになったのは奈良時代に東大寺の守り神になったこと。伝承では大仏の盧舎那仏にお仕えしたい、と立候補したという話になっていて、今でも東大寺の境内には三月堂(法華堂)の南に手向山八幡宮がある。応神天皇と同一視され源氏の氏神となるのは、その後のことだ。

画像: 手前)地蔵菩薩立像 平安時代10世紀 奈良・薬師寺蔵(奈良国立博物館寄託) 奥)地蔵菩薩立像 平安時代10〜11世紀 奈良・大福寺蔵(奈良国立博物館寄託)重要文化財 薬師寺の像はもともとは左手に大福寺の像と同様に宝珠を持っていたはず。右手の手の形から元来は杖(錫杖)を持っていたと推測され、この前後から地蔵菩薩が錫杖を持つ形が増え始めたことが推測される。彩色は後代のものかも知れない。

手前)地蔵菩薩立像 平安時代10世紀 奈良・薬師寺蔵(奈良国立博物館寄託)
奥)地蔵菩薩立像 平安時代10〜11世紀 奈良・大福寺蔵(奈良国立博物館寄託)重要文化財
薬師寺の像はもともとは左手に大福寺の像と同様に宝珠を持っていたはず。右手の手の形から元来は杖(錫杖)を持っていたと推測され、この前後から地蔵菩薩が錫杖を持つ形が増え始めたことが推測される。彩色は後代のものかも知れない。

人間の視覚は、目に入るすべてを意識的に見ているわけではない。判別できる記号的な情報がとっかかりになったり、比較で差異を認識できないと、もともと祈りの対象だった仏像だけに優れた作例には迫力や神々しさ、安らぎなどの感情を漠然とした印象としては持っても、寺院で一体だけか少数ずつ、散発的に見ているだけでは「どれも同じ」と思ってしまうのも現代人にとってはやむを得ないとは思う。

だがそうは言っても、せっかく仏像があるお寺に行くのだったら、ちゃんと見ないともったいないではないか。

画像: 左より、天部形立像 平安時代10世紀 兵庫県蔵(奈良国立博物館寄託)重要文化財、救脱菩薩立像・梵天立像 奈良・秋篠寺蔵(奈良国立博物館寄託)共に重要文化財 秋篠寺の梵天と救脱菩薩は頭部が奈良時代8世紀の脱活乾漆造りで、体が鎌倉時代・正応2(1289)年に補われた木像

左より、天部形立像 平安時代10世紀 兵庫県蔵(奈良国立博物館寄託)重要文化財、救脱菩薩立像・梵天立像 奈良・秋篠寺蔵(奈良国立博物館寄託)共に重要文化財 秋篠寺の梵天と救脱菩薩は頭部が奈良時代8世紀の脱活乾漆造りで、体が鎌倉時代・正応2(1289)年に補われた木像

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