運慶の無著菩薩立像が醸し出す、老齢に達した僧侶の崇高な精神性、その到達した内面世界の深みが表情やたたずまいに滲み出ているかのような表情の静かな繊細さと、相反するかのように大ぶりに作られた分厚い体躯の肉体の重々しさの迫力、この唯一無二の存在感は、日本の彫刻史上の最高傑作とも称賛されて来た。

国宝 無著菩薩立像 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵 北円堂安置

この像を、もっとも好きで共感する仏像として挙げる僧侶、つまり自身が仏教の修行者である人たちも少なくない。

無著は西暦4世紀から5世紀にガンダーラに実在した仏教学者で、菩薩とあるのは原義が修行者、悟りを開き解脱に至る過程にある段階の者、という意味だから。サンスクリット語でアサンガ、弟の世親(サンスクリット語でヴァスバンドゥ)と共に大乗仏教の「唯識」論を確立し、興福寺の宗派の法相宗で重要な祖師の一人だ。つまりこの像は、自身が興福寺の僧でもあった運慶が晩年に、アーティストであり修行者としての自らの理想の到達点を表現した、とも想像できる。

国宝 無著菩薩立像(部分) 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵 北円堂安置

だとすればこの像に共感する、あるいは「自分もこの境地に達したい」と多くの仏教僧が思うのも、また当然であろう。

無著の像は通常、実弟の世親と共に表され、この兄弟が法相宗では、その「唯識」の思想を中国にもたらした玄奘三蔵とともに重要な祖師とされる。運慶の無著菩薩立像にも、ペアで製作された世親菩薩立像がある。

国宝 世親菩薩立像(部分) 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵 北円堂安置

無著菩薩立像があまりに有名なので天邪鬼なことをいうわけではないが、筆者自身は世親菩薩立像の方がより好きで、その力強い身体的な実存は、より運慶らしさが現れた傑作だと思う。

運慶が晩年に到達した人間表現の境地、無著世親像

国宝 世親菩薩立像(部分) 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵 北円堂安置

無著の端正な顔立ちの老人として表され落ち着いた、感情を露わにしない表情に比べ、いびつなまでに大きく張った頭蓋骨の世親、その落ち窪んだ眼窩の奥の鋭い眼差し、角度によっては落ち着いた慈悲の表情にも、厳しさにも、激しい感情を秘めているようにも見える変化にも、惹かれる。

仏像は寺院に安置された状態では主に前方から見上げることになるが、運慶の表現の秘密は背中を見てこそ分かるのではないか、というのが筆者の勝手な思い込みだ。この春に奈良国立博物館の特別展『超 国宝』で展示された運慶の最初期、実質的なデビュー作と思われる大日如来坐像(奈良・円成寺、国宝)と、運慶作と強く推測される重源上人坐像(奈良・東大寺、国宝)も、どちらも背中の身体表現がいかに圧倒的なのか、本サイトの記事で紹介させてもらった。

世親菩薩立像もまた、展覧会だからこそ背面も丁寧に照明され、その力強い背中に圧倒される。

国宝 世親菩薩立像 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵 北円堂安置

いささか誇張された大ぶりの袈裟のひだの上に、分厚い僧帽筋が衣ごしでも見えるほど、はちきれんばかりに力強い肩がある。大きく丸まった背中は猫背気味で、背中の筋肉の圧倒的なボリュームは、東大寺の重源上人坐像にも共通する

(左から)無著菩薩立像、弥勒如来坐像、世親菩薩立像 すべて国宝
運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵 北円堂安置

正面からみた世親が力強く見えるのは、この背中に現れた肉体の実存、筋肉の表現と、その筋肉の力が解剖学的な精確さで前面の表現に繋がっているからこそ、でもある。通常安置され、例年は春と秋に特別開帳される興福寺の北円堂でも、背後に回って二人の背中は見られることは見られるが、人工照明も補われているとはいえ主に正面の南と東の扉から入る自然光とその乱反射で見ているので、特に反対の西側に安置された世親像の背中は暗くてこうは見えない。