地獄からの救済に駆けつける「春日地蔵」
静かで緩やかで上品ながら、力強ささえ秘めた存在感も両立させる運動性と揺らぎ、静止した彫刻ではなく生きて動き出しそうな感覚の正体は、横からみると分かる。

快慶 木造地蔵菩薩立像 鎌倉時代・13世紀 藤田美術館(部分) 重要文化財
片足を踏み出しているだけでなく、かなり前傾姿勢で、袖は後ろに向かってたなびいている。救済に飛んで駆けつけてくれる「お地蔵様」の姿だ。

快慶 木造地蔵菩薩立像 鎌倉時代・13世紀 藤田美術館 重要文化財
光背の後ろに祥雲の後方にたなびく部分が見える。
蓮の台座までもが前に傾いている。その全体が(いささか黒ずんでいるが本来は白の)祥雲に乗り、後方・光背の裏には雲の尻尾が伸びている。春日大社の本殿第三殿のカミで藤原氏の祖先神・天児屋根命(あめのこやねのみこと)の本地仏つまり仏が日本の為に姿を変えて神として現れた信じられた(本地垂迹説)その本来の仏の姿を表す、いわゆる春日地蔵だ。

手前)快慶 木造地蔵菩薩立像 鎌倉時代・13世紀 藤田美術館 重要文化財
奥)普賢十羅刹女像 鎌倉時代・14世紀 藤田美術館 重要文化財
この神仏習合の典型のような信仰は、やがて民間伝承や中世の庶民の願いとも結びついて、奈良東部には飛火野を中心に地下に地獄が広がっているとも、誤って地獄に落ちた者の救済に春日明神が顕現するともされる説話が数々生まれた。
春日大社の参道より飛火野
貴族社会トップで平城京と平安京の政治の最大実力者・藤原氏の氏神は、いつの間にか時代の変遷でいろいろな信仰の形のヴァリエーションに発達していたのだ。

普賢十羅刹女像 鎌倉時代・14世紀 藤田美術館 重要文化財
女性の成仏がタブー視されて来た仏教の中で、女性の救済の可能性を説く法華経で普遍的な知を司る普賢菩薩は、女性の祈りの対象の本尊として華麗で繊細な仏画や仏像が平安中後期以降多く造られた。

繊細な截金で飾られた普賢菩薩をはじめ、驚異的に緻密なこの仏画は、貴族か身分の高い武家の女性のために描かれたものだろうか?
藤田美術館の地蔵菩薩立像は、そんな春日地蔵の中でも屈指の傑作、比肩され得るのはやはり快慶の、東大寺にある地蔵菩薩立像(重要文化財)くらいだろうか?
東大寺の地蔵菩薩が下ぶくれ気味のふくよかな顔で表情は厳しく、首が短くよりどっしりした存在感で、快慶の作品の中では中期に属するのに対し、後期、もしかしたら晩年かもしれない藤田美術館の像は、長めの首に正面からはシュッとした小顔で若々しく見える、俗な言い方だが「イケメン」で、より軽やかで繊細、高貴な印象もある。

快慶 木造地蔵菩薩立像 鎌倉時代・13世紀 藤田美術館(部分) 重要文化財
目は快慶も属した康慶・運慶父子の率いた慶派に多い、眼球に水晶やガラスを内側から嵌め込んだ玉眼だが、若干吊り目気味の眼は細く、快慶のより若い時期の作である東大寺の像のような眼差しの強さの表現は避けられている。

正面から正対すると、唇をキュっと引き締めて微妙に目尻が上がった吊り目の、険しいとまでは言えないまでも貴族的な無表情にも見える顔は、少し角度を上げて下げた目線とちょうど眼が合うように見上げる位置にくると、丸みのある撫で肩もより柔らかな印象だ。

張りのある頬がふっくらとして、やさしそうに見える。正対した時には表情が読み取れなかった細い玉眼には、見上げると慈悲が宿ったかのようだ。
この眼が合う位置は、祈りを捧げたり読経のために像が安置された台の前に座った時の位置、あるいは春日地蔵が救済のために飛んで駆けつけた時に、救われる者が地蔵を見上げる時の視線でもあるはずだ。

※快慶作 木造地蔵菩薩立像の展示は1月31日まで

