土の茶碗を刀剣に代えた光悦の楽茶碗

舟橋蒔絵硯箱などの「光悦蒔絵」が、多くの職人を巻き込んで自らの厳正な指示に基づいて創作した、いわば共同作業の成果で、光悦の役割がデザイナー、プロデューサーのようなものであったのに対し、本阿弥光悦がほぼ自らの手で造り出したのであろう作品はまず書、そして「光悦茶碗」と呼ばれる一連の楽茶碗だ。60代で中風を患って手に不自由が出るようになった後、茶碗造りに没頭するようになったようだ。

画像: 重要文化財 赤楽茶碗 銘 加賀 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 京都・相国寺蔵 [主催者提供写真]

重要文化財 赤楽茶碗 銘 加賀 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 京都・相国寺蔵 [主催者提供写真]

楽茶碗は、千利休の注文に応じて陶工・長次郎が作り出した究極の侘び茶の理想の茶碗だ。

利休が求めたのは茶碗の存在そのものを消し去るような茶碗であり、見た目の装飾性を極限まで剥ぎ取り、それ以前の最高級の茶器だった中国・宋代の陶磁(唐物)に理想化されたフォルムの端正さすら意図的に排除するため、ろくろの使用すら禁じた。

これは実のところ、作り手にとって非常に厄介な造形物でもある。

画像1: 白楽茶碗 銘 冠雪 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 京都・樂美術館 【展示期間終了(2月18日[日]まで)】[主催者提供写真]

白楽茶碗 銘 冠雪 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 京都・樂美術館 【展示期間終了(2月18日[日]まで)】[主催者提供写真]

輪をかけて大変なことになったであろうと想像に難くないのは、現16代にまで続く樂家の長次郎の後継者たちにとってだ。なにしろ初代の長次郎がすでに、あまりに完璧に利休の理想を具現化してしまっている。

最後の展示室では、光悦の楽茶碗と赤楽の香合と比較するかのように、長次郎が一代で完成させた楽茶碗の中でも究極にシンプルさを突き詰めた赤楽茶碗の、その名も銘「無一物」と、もっとも素っ気いないからこそ凄まじい存在感を持った「万代屋黒」が展示されている。

この二点のような長次郎の圧倒的な茶碗を前にすると、なにも太刀打ちできない、としか言いようがなくなるのではないか?

樂家も宗派は日蓮法華宗であり、光悦は二代の常慶と親交があったようで、本展でもその常慶に宛てたと考えられている書状が前期、後期それぞれ展示される。

画像: 書状 吉左衛門尉殿宛 本阿弥光悦筆 江戸時代・17世紀 京都国立博物館蔵【展示期間終了(2月12日[月・休]まで)、2月14日(水)以降はこの解説文にもあるNo.75の樂美術館蔵「書状 ちゃわんや吉左殿宛」を展示】

書状 吉左衛門尉殿宛 本阿弥光悦筆 江戸時代・17世紀 京都国立博物館蔵【展示期間終了(2月12日[月・休]まで)、2月14日(水)以降はこの解説文にもあるNo.75の樂美術館蔵「書状 ちゃわんや吉左殿宛」を展示】

樂家の系譜が最初の段階でどのようになっていたのかは、今ひとつ判然としない。確かなのは長次郎の妻も楽茶碗の作品を遺していたり、その妻の実家の田中家が長次郎の重要な協力者で窯の経営も担い、その妻の祖父にあたる田中宗慶が長次郎の没後に「樂」の印を豊臣秀吉から賜り、その次男つまり長次郎の義兄ないし義弟にあたる常慶が楽家二代の「樂吉左衛門」を名乗ったことだ。

以降、樂家の当主は代々この吉左衛門を名乗り、三代の道入以降は隠居すると「入」の字が入った法名を名乗って現代に至る(なお今でも襲名時に家裁で改名続きをとって本名を「樂吉左衛門」とし、代を譲った後は再び家裁に申請して法名を本名にしているそうだ。先代なら生まれた時の名前は「樂光博」、襲名して樂吉左衛門になり、2019年に息子の篤人氏に代を譲った後は「樂直入」)。

長次郎が完成させた楽茶碗は「作為に満ちあふれた無作為」「徹底的な作為で作り込まれた究極の無作為」とも評される。

色は石を砕いた漆黒の釉薬の黒楽か、焼いた土の赤みを見せる透明釉の赤楽のふた通りしか許されず、完璧な正円では逆に円が円であることのフォルムが意識されるため、ろくろの使用も禁じられている。

土を整形するのは手づくねで、後はヘラで掻き落とすことくらいしか許されない。

画像1: 黒楽茶碗 銘 村雲 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 京都・樂美術館蔵 [主催者提供写真]

黒楽茶碗 銘 村雲 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 京都・樂美術館蔵 [主催者提供写真]

普通に考えれば制約が厳し過ぎて創作の自由などまるでなさそうだ。しかも目指すべきとされるのは、茶碗の存在を意識させない茶碗である。作家の個性や感性を反映させる余地がほとんどない上に、初代の長次郎がその制約を活かし切った究極のミニマルな造形を、すでに完成させてしまっていたのだ。

その長次郎の跡を継いで三代目ともなると、初代を模倣するにも厳しい制約に従っているだけなのか、初代の美学を引き継いだ創作なのかも判然としなくなりそうで、常慶が樂家を創始して長次郎を継いでは見たものの、その子の道入の代にもなればどうしたら茶碗作りを続けて継承していくのか、ひどく悩まされたことだろう。

ただ形だけ長次郎を模倣するというのも、そもそも無作為で形が無に限りなく近い理想を長次郎が完成させているのだから、模倣することすらできない。

画像2: 白楽茶碗 銘 冠雪 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 京都・樂美術館 【展示期間終了(2月18日[日]まで)】[主催者提供写真]

白楽茶碗 銘 冠雪 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 京都・樂美術館 【展示期間終了(2月18日[日]まで)】[主催者提供写真]

そんな樂家の茶碗造りを、なにをしようが超え様がない初代・長次郎の圧倒的な孤高と向き合い続け、あがかき続けねばならぬ堂々巡りの苦悩から救い出したのかもしれないのが、光悦だった。

ろくろは使わず形を作るのは手づくねで、使っていい道具はへらだけ、という制約を樂家の伝統から踏襲しながら、光悦はたとえばそのへらで口縁部をバッサリ切断したエッジを残すような、装飾性を排除した中での装飾性という大胆な造形コンセプトの逆転を、楽茶碗に持ち込む。

このいわば光悦ショックの刺激こそが、その後の樂家が今日の十六代に至るまで新たな想像を開拓しようともがき、初代・長次郎の孤高の超越と格闘し続けることを可能にする、いわば伝統の裂け目・突破口を作り出したとも言えるだろう。

そんな光悦の刺激を受けたのであろう新世代の樂家の茶碗、三代・道入の黒楽茶碗・赤楽茶碗も一点ずつ展示されている。

画像2: 黒楽茶碗 銘 村雲 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 京都・樂美術館蔵 [主催者提供写真]

黒楽茶碗 銘 村雲 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 京都・樂美術館蔵 [主催者提供写真]

そして刀剣の研磨と鑑定を通して、鉄という物質が高熱と接して生み出す無限の偶然性の個性と刀工たちの作為のせめぎ合いの生み出した美と向き合うことで鍛えられた本阿弥光悦の美意識と作為・創意もまた、晩年に(鋼鉄と同様に高温で焼成される)土という素材と、長次郎のすべてを切り詰め削ぎ落とされた美学とせめぎ合うことで、最終的な究極の高みに達したのではないか。

土は土でありながら、激しい高温で日本刀の鍛えられた鉄のような存在感を帯びる。

光悦が中風で不自由になったであろう手で土をこねて整形して生み出した茶碗は、「土の塊としての茶碗」の意識を徹底させる楽茶碗の厳格さを踏襲しながら、鋭い刃物、研ぎ澄まされた日本刀のようなオブジェでもある。

画像2: 花卉鳥下絵新古今集和歌巻 本阿弥光悦筆 江戸時代・17世紀 【会期中に巻替えあり】

花卉鳥下絵新古今集和歌巻 本阿弥光悦筆 江戸時代・17世紀 【会期中に巻替えあり】

そんな「光悦茶碗」たちは、長次郎が千利休とともに完成させた楽茶碗の精神に忠実に、究極にシンプルでありつつ、存在そのものが遠目にも目を引くほどのフォルムの華やかさを発散している。

それは光悦の書において文字が表意文字としての意味伝達の機能を超えて線の太さと細さ、墨の濃淡、人間の手による筆使いの運動性を反映した直線と曲線の純然たるフォルムの美しさに輝き、あるいは光悦蒔絵において鉛が金銀のような貴金属と同等に扱われ、モティーフを表象すると同時に物質としての立体感・存在感を放っているのと同様に、物質やフォルムが社会的・実用的な意味性を超越して新たな意味を持ち、新たな美を発散するのとも共通する、創造の世界ではないだろうか?

画像9: 国宝 舟橋蒔絵硯箱 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵

国宝 舟橋蒔絵硯箱 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵 

特別展「本阿弥光悦の大宇宙」
Special Exhibition: The Artistic Cosmos of Honʼami Kōetsu

画像: 「光悦」印・「光悦」印影 年代不詳

「光悦」印・「光悦」印影 年代不詳

会期 2024年1月16日(火)~3月10日(日)※会期中、一部作品の展示替えあり。

会場 東京国立博物館 平成館

開館時間 午前9時30分~午後5時 2月16日(金)からは毎週金・土曜日は午後7時まで
※入館は閉館の30分前まで

休館日 月曜日

観覧料(税込) 一般:2,100円 大学生:1,300円 高校生:900円
※中学生以下、障がい者とその介護者1名は無料。入館の際に学生証、障がい者手帳等をご提示ください。
※本展は事前予約不要です。混雑時は入場をお待ちいただく可能性がございます。
※最新の券売情報の詳細は展覧会公式サイトをご確認ください。

主催 東京国立博物館、NHK、NHKプロモーション、東京新聞

協賛 光村印刷

協力 日本文化芸術の礎

お問合せ 050-5541-8600(ハローダイヤル/午前9時~午後8時、年中無休)

  • ※展示作品、会期、展示期間等については、今後の諸事情により変更する場合があります。最新情報は公式サイト等でご確認ください。

JR: 上野駅公園口、または鶯谷駅南口より徒歩10分
東京メトロ: 銀座線・日比谷線上野駅、千代田線根津駅より徒歩15分
京成電鉄: 京成上野駅より徒歩15分

画像: 国宝 舟橋蒔絵硯箱 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵 写真は特記以外は撮影:藤原敏史、主催者の特別な許可により展覧会紹介のため撮影・転載厳禁 Photos: ©2024, Toshi Fujiwara, Canon EOS RP, RF50mmf1.2L, RF85mmf1.2L, RF35mmf1.8

国宝 舟橋蒔絵硯箱 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵
写真は特記以外は撮影:藤原敏史、主催者の特別な許可により展覧会紹介のため撮影・転載厳禁
Photos: ©2024, Toshi Fujiwara, Canon EOS RP, RF50mmf1.2L, RF85mmf1.2L, RF35mmf1.8

招待券読者プレゼント

画像7: 重要文化財 鶴下絵三十六歌仙和歌巻 本阿弥光悦筆 俵屋宗達絵 江戸時代・17世紀 京都国立博物館蔵

重要文化財 鶴下絵三十六歌仙和歌巻 本阿弥光悦筆 俵屋宗達絵 江戸時代・17世紀 京都国立博物館蔵

下記の必要事項、をご記入の上、「本阿弥光悦」@東京国立博物館 シネフィルチケットプレゼント係宛てに、メールでご応募ください。
抽選の上5組10名様に、招待券をお送り致します。この招待券は、非売品です。
転売業者などに転売されませんようによろしくお願い致します。
☆応募先メールアドレス miramiru.next@gmail.com
★応募締め切りは2024年2月27日(火)24:00
記載内容
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重要文化財 鶴下絵三十六歌仙和歌巻 本阿弥光悦筆 俵屋宗達絵 江戸時代・17世紀 京都国立博物館蔵
写真は特記以外は撮影:藤原敏史、主催者の特別な許可により展覧会紹介のため撮影・転載厳禁
Photos: ©2024, Toshi Fujiwara, Canon EOS RP, RF50mmf1.2L, RF85mmf1.2L, RF35mmf1.8

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