京都・本法寺と日蓮宗信徒としての本阿弥光悦の仏教美術
京都市上京区の本法寺は法華教・日蓮宗の本山で、檀家・門徒として知られるのは光悦ら本阿弥家に留まらず、楽茶碗の樂家や、安土桃山時代の絵師・長谷川等伯とも深い関わりがある。
寺宝としてとりわけ有名なのが、その長谷川等伯の高さ10mもある巨大な「涅槃図」だが、光悦ゆかりの寺宝もこの法華経や花唐草文螺鈿経箱など多々あり、また本堂の扁額も光悦の筆だ。
当時に屈指の名筆として知られた光悦は、本法寺以外にも江戸における日蓮宗の中心寺院・池上本門寺などの扁額も揮毫している。
また本法寺の書院・客殿の庭も光悦のデザインした「巴の庭」だ。
実はもう一人、日蓮宗の信徒で本法寺と所縁の深い芸術家がいることに、この庭を見て気づかれる読者がいるかもしれない(なにしろ本サイトの専門は映画なので)。溝口健二の最高傑作のひとつ『西鶴一代女』で、田中絹代のお春が宇野重吉演ずる夫の死後、出家しようと身を寄せる尼寺のシーンが、まさにこの庭だ。
溝口のことだから確実に光悦のことも意識しての選択だろうが、一連の尼寺のシーンではお春が寺を離れる庫裡も本法寺の庫裏だし、プロローグと最終盤の夜の寺のシーンも一部は本法寺でロケされている。
写真は春なので季節外れなのだが、『西鶴一代女』では夏のシーンで、細長い石で囲われた池には蓮が咲いている。その手前の円盤状の石は、横方向に一本の線が入っている。つまり円形によって日輪を表し、かつ線が横切ることで漢字の「日」にもなっていて、蓮池と合わせて「日蓮」の名を表しているのも、光悦蒔絵にも通じる洒脱な視覚的言葉遊びだ。
溝口も日蓮宗の熱心な信者で、『西鶴一代女』でヴェネチア映画祭に招かれた時には受賞を願ってホテルに閉じこもって一心不乱に「南妙法蓮華経」と唱えていたらしいが、光悦の信仰の熱心さはさらにその上を行くものだったことがうかがわれる作品が、この展覧会に出品されている。
日蓮のもっとも重要な著作「立正安国論」など日蓮宗の重要な文献の、光悦自身の手になる写本だ。
光悦がこうしたテキストを書写していたことの教義上・信仰的な重要性はもちろん、まっさきに印象的なのはその視覚的な美しさだ。
遠目に全体を見るのは、内容を読解しようとするなら意味はないことだろうがそれでも、遠目にも文字の大小や線の太さの絶妙な配置がいかにもリズミカルで、テキストの内容や意味性を度外視して、まず思わず惹きつけられてしまう。