時代の転換期に突如出現した新しい美と洗練と〜光悦蒔絵の世界

光悦がそんな時代の大転換機に刀剣鑑定で活躍したことは、刀剣の文化とその芸術にとっても、光悦自身の刀剣の周辺に留まらない創作の飛躍にとっても、とても重要なことだったように思われるし、それは刀剣とその原料であった鉄に留まることでもないのかも知れない。

画像7: 国宝 舟橋蒔絵硯箱 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵

国宝 舟橋蒔絵硯箱 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵

舟橋蒔絵硯箱で金蒔絵を無骨に横切る鉛は、戦国時代後期に鉄砲の弾丸の原料として急速に需要が高まった金属だ。長篠の合戦では織田=徳川軍が用いた鉄砲の弾丸はタイ産の輸入品だったことが近年の研究で明らかになっているし、徳川家康はそのずっと前、三河を平定した時に鉛の鉱山も掌握していた。戦国時代には10万丁とも20万丁とも言われる鉄砲が日本にはあったようだが、江戸時代の到来でその鉄砲も、鉄砲に使う鉛の弾丸も、需要が激減した。

(刀装)刻鞘変り塗忍ぶ草蒔絵合口腰刀 江戸時代・17世紀

写真は光悦自身が所持したと伝わる「短刀 銘 兼氏 金象嵌 花形見」の拵え(刀装)だ。武家ではなく上級町人の指料だけに、実用性の追及はことさら必要もなかったことだろう。

もっとも、デザインの元になっているのは本来は実用本意で鞘に革紐や頑強な植物の蔓などをびっしり巻き付けて強度を高めた弦巻の拵えで、その形を模しつつ意味性を換骨奪胎した艶やかな漆塗りに、繊細な蒔絵で植物の文様が施されている。

画像: 重要美術品 刀絵図 埋忠寿斎 筆 江戸時代・元和元(1615)年

重要美術品 刀絵図 埋忠寿斎 筆 江戸時代・元和元(1615)年 

鑑定士としての本阿弥家の仕事には、埋忠家などの刀装を担当する職人の協力もまた不可欠だった。「花形見」の刀装の製作に光悦自身が関わったかどうかは不明だが、日常的に外出時に持ち歩く指料なのだから、本人の趣味・美意識に沿ったものなのは確かだろう。

一方で光悦の創作は、そうした刀剣関連に留まらず、近世の工芸全般、とくに漆芸・蒔絵に大きな足跡を遺した。

画像1: 重要文化財 花唐草文螺鈿経箱 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 京都・本法寺蔵

重要文化財 花唐草文螺鈿経箱 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 京都・本法寺蔵

光悦が直接に製作した漆工芸の作品はそう多数伝来しているわけではなく、いわば「真作」と確定しているもので今回展示されているのは舟橋蒔絵硯箱(国宝)と、京都の日蓮宗寺院・本法寺に寄進した経巻の入れ物である花唐草文螺鈿経箱(重要文化財)の2点だが、「伝本阿弥光悦作」とされて来た作品は多々あり、江戸時代初期の漆工芸、蒔絵の工芸に最も大きな足跡を遺した。

重要文化財 芦舟蒔絵硯箱 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵

書家として桃山時代から江戸時代初期にかけてのきっての名筆でもあった光悦だけに、光悦蒔絵にも筆記具を収める硯箱が船橋蒔絵硯箱を筆頭に数多く、かつ最も特徴的だ。

フォルムは旧来の四面四角な箱から大胆に逸脱し、この芦舟蒔絵硯箱ならばまず極端に薄い。角は丁寧な丸みを帯びて処理され、上蓋は緩やかな曲線で微妙に盛り上がっている、その全体のフォルムの与える印象のモダンさ、簡潔なエレガンスは、現代のプロダクトデザインにまるで引けを取らない。

漆に繊細な金蒔絵を施して伝統技術の粋を見せながら、そこに無骨なまでにゴツゴツした立体感を残して整形された長細い銀の塊が闖入するかの様に対角線状に画面を横切って、朽ちた芦舟(木材ではなく長い芦の茎を束ねて内側を広げて小舟としたもの)を表している。

画像: 書状 新兵衛尉宛 本阿弥光悦 筆 奈良・大和文華館蔵【展示期間終了(2月12日[月・休]まで)】 漆工芸の工房に宛てた光悦の書簡

書状 新兵衛尉宛 本阿弥光悦 筆 奈良・大和文華館蔵【展示期間終了(2月12日[月・休]まで)】
漆工芸の工房に宛てた光悦の書簡

洗練されたフォルムの箱と繊細で気品のある高度な技術と、違和感たっぷりに対比される金属そのものの存在感。

だがその全体が、なんとも言えぬ寂寥感を漂わせながら、洒脱な造形の華麗さはまったく失われない絶妙なデザイン・センスは、舟橋蒔絵硯箱を斜めに横切る大胆な鉛の帯の存在感にも通じる。

画像8: 国宝 舟橋蒔絵硯箱 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵

国宝 舟橋蒔絵硯箱 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵

こうした「光悦蒔絵」と呼ばれる独特の美学を反映した作例は数多く、そのほとんどは光悦自身の助言や指導の下に作られたか、光悦の関わった工房でその強い影響下に作られたと考えられている。

画像: 重要美術品 忍蒔絵硯箱 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵

重要美術品 忍蒔絵硯箱 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵 

丸みを帯びた蓋や丁寧に面取りされたコーナーなどは、木材の加工段階から高度な技術が要求され、豪華な金蒔絵で緻密な図柄を表すなど、とても贅沢なものだが、その贅沢さを誇示するようには決して見せないところが、光悦蒔絵の真骨頂だろう。

蓋の裏にまで絵柄や装飾を配すること自体は伝統的な硯箱でも珍しいことではないが、この忍蒔絵硯箱はその蓋裏にも表と同じ忍草の文様をびっしり敷き詰めつつ、そこを鉛の黒ウサギと螺鈿の白ウサギが描かれている。

画像: 重要美術品 忍蒔絵硯箱 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵 蓋の裏に螺鈿で埋め込まれた白ウサギ。

重要美術品 忍蒔絵硯箱 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵
蓋の裏に螺鈿で埋め込まれた白ウサギ。

こうした図柄の選択を含めてモチーフになっているのは「古今和歌集」の

   「みちのくの しのぶもぢずり 誰ゆゑに みだれむと思ふ 我ならなくに」

という源融(みなもとのとおる)の歌で、蓋の中央には大胆に、上の句の末尾の「たれゆゑに」という言葉が仮名ではなく漢字の当て字で、埋め込んだ鉛の立体的な文字で配されている。

ウサギの図様は源融をモデルにした謡曲「融」で、その霊魂が月に住むという言及があることから、月→ウサギ、という連想だろう。

画像: 重要文化財 舞楽蒔絵硯箱 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵

重要文化財 舞楽蒔絵硯箱 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵 

船橋蒔絵硯箱でも「後撰集」の歌が取り入れられているが、このように「光悦蒔絵」では平安時代に遡る和歌などの古典や、能楽の謡曲を題材にしていることが多い。

『源氏物語』などの古典文学的なモチーフを生活用品でもある工芸品に持ち込むこと自体は、日本の文化の中でそう新しいことではない。だが光悦蒔絵では題材の解釈が捻りが効いた遊び心に満ちて、戦国時代が終わって文化にゆとりが出来た時代のインテリ趣味を絶妙にくすぐりつつ、そのモチーフの図像化が斬新で、大胆だ。

画像1: 左義長蒔絵硯箱 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵

左義長蒔絵硯箱 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵 

解釈と切り取り方の感覚の新しさはまた、元になった物語性を踏まえなくても強烈に印象的で、400年近く経った今でもまったく色褪せてない。洗練された蓋の膨らみとコーナーにラウンドをとったフォルムがいかにも美しい左義長蒔絵硯箱の「左義長」とは、宮中で古くから行われていた火の祭だが、この祭礼で使われる道具などを大胆なアップで切り取ってデザイン化した意匠を、金、銀、錫などの金属で盛り上げた半立体的な表現で配している。

モチーフによっては元の意匠がなんなのか判然としないほど大胆に部分的に切り取られ、フォルムの意味性が換骨奪胎されてその物質性が解放される感覚は、20世紀西洋絵画のキュビズムの実験を300年ほど先取りしたものにも思える。

画像2: 左義長蒔絵硯箱 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵

左義長蒔絵硯箱 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵 

そういえばキュビズムの実験の最盛期になった第一次大戦直前の時代、ピカソやブラックは画面に新聞紙を貼り込んだり、絵の具に砂を混ぜて立体的な質感を与える実験を繰り返していたが、「光悦蒔絵」における金属素材の使い方には、その実験性に相通じるものを読み取れはしないか?

画像: 重要文化財 扇面鳥兜蒔絵料紙箱 江戸時代・17世紀 広島・滴翠美術館蔵

重要文化財 扇面鳥兜蒔絵料紙箱 江戸時代・17世紀 広島・滴翠美術館蔵

画像1: 重要文化財 子日蒔絵棚 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵

重要文化財 子日蒔絵棚 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵 

画像2: 重要文化財 子日蒔絵棚 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵

重要文化財 子日蒔絵棚 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵 

画像3: 重要文化財 子日蒔絵棚 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵

重要文化財 子日蒔絵棚 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵 

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