緊張感に満ち硬質な、屹立した美に、まず目を見張り、息を呑む。

平安時代初期・9世紀の十一面観音菩薩立像だ。決して大きな像ではないが、だからこそ極小で微細なディテールに至るまで、スキのまったくない緻密で精緻な描写に圧倒される。いやそれ以前に、この展覧会上に入るなり入り口の真っ正面に展示された姿は黒真珠のようにきらめき、木で作られているはずなのが、なんらかの貴重な鉱物か、宝石で彫られているのかとすら見紛うばかりで、像高45cmというサイズの何倍もの存在感で空間を占有している。

京都市南部・木津川市の、木津川のほとりの加茂地区を見下ろす山にある海住山寺には、2体の同時代の十一面観音がある(共に重要文化財)。1体は本堂の本尊で象高は現代人ならほぼ等身大の168cmだが、実際には一回りも二回りも大きく見える。いかにもこの時代の日本らしい木の像で、仏の姿であると同時に巨木の質感、大木に宿った精霊かカミの存在を醸し出すかのような、非常に個性的な像だ。

画像: 海住山寺 五重塔 鎌倉時代・建保2(1214)年 国宝

海住山寺 五重塔 鎌倉時代・建保2(1214)年 国宝

本堂内では胸から上だけが見える厨子に納められ、誇張されたような肩幅の広さとあえて扁平な顔立ち、大胆に簡略化され様式化された肩の衣の表現と、左右の対称性を強調した造形が、不思議な神々しさを放つ(奈良国立博物館の「聖地 南山城」展に出品されて全身を見ることができた・こちらをクリック )。

そしてもう一体、奥の院の本尊は、本堂の本尊と同じ十一面観音菩薩でほぼ同じ時代の作ながら、まったく対照的だ。

画像1: 十一面観音菩薩立像 平安時代・9世紀 京都・海住山寺 重要文化財

十一面観音菩薩立像 平安時代・9世紀 京都・海住山寺 重要文化財

本堂の像は肩幅が広く怒り肩に近い印象なのに対し、こちらは丸みを帯びた美しいなで肩の曲線だ。右手を下げ、左手に水瓶を持っているのは共通している。右脚に踏み出すような動きがあるのは、本堂の本尊は第一印象は対称性の強調された直立不動のようで実は左足を少し踏み出しているのだが、奥の院本尊は右膝を少し曲げている。その右脚に合わせて腰の左側は若干上がり、しっかりくびれたウェストから上の上体は、腰をひねっているので少し右に傾く。

なお本堂の本尊は、堂内で目の前まで近づいて拝観できるが、こちらの小さい方の十一面観音菩薩立像は通常非公開。筆者も特別公開の時期などが合わずに絵葉書やポスターなどでしか見たことがなく、その意味でもこの展覧会への出品はとても貴重な機会だ。

木津川市の観光ポスターにあしらわれた海住山寺十一面観音菩薩立像の横顔。こうした横顔も顔面が扁平な本堂の本尊とは対照的だ

本堂の本尊のどっしりした、安定して直立不動の威容に対し、動き始めか、これから動こうとしている瞬間を捉えたかのような姿でもある。

西洋彫刻では古代ギリシャ=ローマでコントラポストと呼ばれる、左右対象ではなく片足を少し踏み出して体幹と重心がズレた姿を捉えることとで、人体の自然な躍動を理想化した技法が確立していた。中世にはキリスト教の影響で彫刻は対称性を強調した直立の、動きのない表現が主流になったが、ルネサンス期になるとミケランジェロらが発掘された古代彫刻を研究して学んだコントラポストを盛んに用いた。彫刻に人体の運動を蘇らせることで人間性・人間的な表現を取り戻そうとしたのもルネサンス、つまり「人間性の復興」の一環だったが、この観音像の、右足を踏み出そうと膝を曲げる動きが全身に反映された自然な身体運動の表現にも、そうした西洋古代のコントラポストの発想に通じるものがあるのではないか?

画像2: 十一面観音菩薩立像 平安時代・9世紀 京都・海住山寺 重要文化財

十一面観音菩薩立像 平安時代・9世紀 京都・海住山寺 重要文化財

つややかな独特の質感・素材感、磨き上げられたように黒光りする表面の輝きも相まって、緊迫した崇高さに満ちながらも艶かしく、とても官能的でもある。

表面の硬質なきらめきと、細部に至る彫刻技術の精確さ、複雑な衣のヒダのうねりや微細な頭上面(十一面観音の頭の上に並ぶ観音の様々な諸相を表す小さな顔)まで緻密に再現したシャープな彫り口は、硬くて加工が困難な木材をあえて用い、逆に硬いからこそ可能な緻密な彫刻を施す、この前の奈良時代に最盛期の中国・唐からもたらされた技術だ。

当時は東南アジア諸国も唐に朝貢して国交を持ち、唐ではその特産品である白檀や黒檀などの硬い香木から小型の仏像を造ることが流行したという。「檀像」と呼ばれ、踏襲・模倣して硬い木を用いた比較的小型の仏像は、日本では奈良時代末・平安時代初期から流行し、中世にも造られ続けた。

仏の姿は経典に基づいて、如来の体が金色で頭髪は青などの様々な色彩を施すことが仏画や仏像の本来の約束ごとだ。しかし檀像や日本で檀像を模した像の場合は、色は施さずに木の素地をそのまま活かし、中世に入ってからでもせいぜいが金箔や銀箔を極細に切って貼り付ける截金の装飾だけなのが普通だ。映画に例えるならカラー映画に対し、被写体の物理的な本質と光と影だけを捉え、褪色もしないモノクロ、と言ったところか?

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