もちろん、『メトロポリス』(27)や『2001年宇宙の旅』(68)をはじめ、映画の歴史においては現在に至るまで数多くのAIロボットが描かれてきた。本作もまたその流れの先に位置する作品であり、古今の映画に精通したコゴナダのこと、そこには様々な過去作からの影響が見てとれる。中でも指摘すべきは『ブレードランナー』(82)からの影響だろう。故障したヤン(ジャスティン・H・ミン)の修理に奔走するうちに、ヤンの抱えていた秘密を知ることになるジェイク(コリン・ファレル)はある種の「探偵」であり、そこにはレプリカントを追跡するデッカードの面影が漂ってはいないだろうか。ヤンを購入した販売店へ赴くくだりなどは、明らかに『ブレードランナー』を意識したルックといえるし、自在に拡大縮小され、何度も巻き戻され、停止するヤンの記憶=記録は、『ブレードランナー』における写真解析の場面を映像的に進化させた形だといえる。

画像4: ©︎2021 Future Autumn LLC. All rights reserved.

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ロイ「お前たち人間には信じられないようなものを私は見てきた。オリオン座の近くで燃える宇宙戦艦。タンホイザー・ゲートの近くで暗闇に瞬くCビーム。そんな思い出も時間とともにやがて消える。雨の中の涙のように。死ぬ時が来た」
ーー映画『ブレードランナー』台詞

脱走したレプリカント達のリーダーであるロイ・バティーが最期に呟く、このあまりにも有名なモノローグ。人間によってあらかじめ4年という寿命を設定されたレプリカントにとって、死とはいくらでも同じ複製体が存在する肉体ではなく、固有の記憶が消滅することを意味していた。降りしきる雨滴に混ざって、かき消えてしまう涙。それは大多数の匿名的な存在の中に、固有で唯一の存在がかき消されてしまうことだ。そのように、匿名性と固有性をあわせ持った両義的な存在としてレプリカント=AIロボットを捉えると、本作はヤンという匿名的な存在が固有の意味を発見し、獲得していく過程を発見する物語でもあるといえる。ゆえにジェイクとカイラ(ジョディ・ターナー・スミス)もまた、ヤンを美術館の「展示品」として陳列することに対して、将来の研究のために社会貢献できる存在であるという匿名性と、自分たちにとってかけがえのない大切な存在であるという固有性のあいだで躊躇い、葛藤することになるのだ。

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