夜の葉~映画をめぐる雑感~
#16『アフター・ヤン』と吉田喜重『小津安二郎の反映画』
このように東京はまぎれもなくそこにありながら、語りえないがゆえに不在の空間であり、老夫婦が東京を見ているというより、不在の空間としての東京が年老いたふたりを見ていると言うしかなかったのである。そして小津さんがわれわれに伝えようとする隠された啓示とは、空気枕が人間のうかつさ、愚かさとはかかわりなく、事物としての眼差しを注いでいたのと同様に、語りえない不在の空間がたえずその眼差しで老夫婦を眺め、またわれわれ観客をも見つめていることを深く黙示していたのではなかっただろうか。
――吉田喜重『小津安二郎の反映画』
「事物」あるいは「不在」の眼差し
小津安二郎の盟友である脚本家、野田高梧(のだ・こう...