小津は「あらゆることを自信を持って圧倒的に映し出し、その意味するものを疑いようもなく伝える表現メディア」である映画への不信を抱え、一方で語りえぬ「現実」に対しては常に畏敬の念を忘れなかった。その無機質な言葉の響きとは裏腹に、「事物」と「不在」の眼差しとは、いわば「無」によって「生」を照射するような、逆説的で「反映画的」な試みだと吉田は言う。真実は見つめる眼差しではなく、眼差しによって見つめられたものにこそ宿る。ハリウッド映画の模倣から映画を始めた小津が、なぜこのような達観に至ったのか。その背景には、小津の体験した戦争の地獄が影を落としていることは想像に難くない。

一九三九(昭和一四)年四月四日(火)
*こんなことがあった。安義から奉新に向ふ途中の靖安に通ずる三叉路の所で、残敵と土民が道路上に死んでゐた。その土民の傍に漸く誕生が来たかと思ハれる程の赤坊が無心に乾パンを弄んで遊んでゐた。瞼から血が頬に流れて凝結して、散々泣いてやんで けろりとした顔だった。傍の藍衣の土民が果して父親か何か知る由もないが、誰の目にも傷ましく映つて赤坊が泣き出さない前に通り過ぎたい気持ちで足を早めた。追撃が急で誰も赤坊にハかまつてゐられなかつた。四列の行軍ハこの道路上の赤坊に堰かれて左右に分れた。巻脚絆に大きな靴、踏まれゝばひとたまりもない赤坊が行軍の流れの中で無心に戯れてゐた。菜の花を背景に巧まず映画的な構図になつてゐた。だがこれハあまりに映画的でありすぎて、これにレンズをむけることのあからさまな作意が、《Hearts of the World》の足の悪い父親と娘の件を思ハせた。だがこれハ作意でハない。現実のいたいたしい風景で、それだけに心搏れた。
ーー小津安二郎『小津安二郎日記』

召集され、毒ガス部隊に配属された小津は、中国大陸で決死の行軍を重ねていた。敵の追撃と死体の山の中で、無心に遊ぶ血だらけの赤ん坊を前に、小津はグリフィスの『世界の心』(18)と戦場という現実にカメラを向けることの「作意」を思う。作意とはつまり「まやかし」、それは眼前に広がるこの光景に存在している真実を覆い隠してしまう。であるならば、「語らぬ」こと、「消し去る」こと、あるいは作意を持たぬ「事物」によって世界を見つめることこそが、真実を語る上では最も有効な手段だとはいえないか。

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