長編デビュー作『コロンバス』において、病に倒れた建築学者の父(遠目に映るその姿は、あたかもピケ帽を被った小津安二郎を彷彿とさせる)を見舞う息子が、父親が書き留めていたノートを読む場面がある。そこで語られるのは、学者としての父が近代建築の理想としていた「真心のあるモダニズム(Modernism with Soul)」という印象的な言葉だ。建築とは人間の作意の産物に他ならないが、一方で完成した建築物それ自体は、作意を持たないひとつの「事物」でもある。その意味で、物言わぬ近代建築の数々が織りなす「不在の空間」と、それらの眼差しによって紡がれる人々の物語である『コロンバス』は、そのスタイルのみならず、まさに小津作品の本質と魂=Soulを限りない敬意をもって継承した作品だといえる。
AIが映し出す人間観
短編小説を元にしたSF映画である本作においても、コゴナダの姿勢は変わっていない。近代建築と現代に生きる人々を描いた一作目から、近未来を舞台にしたAIロボットへと、一見時代や題材は変化しているが、その根底にあるのは、やはり近代建築から生命を持たないAIロボットへと受け継がれた「事物としての眼差し」だ。そもそもSFというジャンルがそうであるように、本作はAIロボットという他者=フィクションによって人間や社会はどのように変化するのかを想像する一種の思考実験である。そこに描かれるのは、「他者」を鏡として映し出された人間観、そして「人間とは何か」という実存的な問いかけにほかならない。