形あるものはいつかはその形を失い、朽ちて果てる。
仏教(無常、色即是空)に限らずあらゆる宗教や思想哲学の根幹のどこかにある、「世界」について考える時に誰もが気が付く真理だ。芸術作品や文化財でも、絵画なら絵の具の色素はいつかは褪色するだろうしベースになる布や紙、あるいは板も朽ちてしまうだろうし、絵の具が剥落することもある。映像なら古い映画は「雨が降る」つまりフィルムの走行方向の縦キズが目立つことが多かったが、さらに1950年代初頭までのフィルムは可燃性のセルロースのベースにゼラチンで銀粒子や化学物質を定着させていたので極めて燃えやすく(要は火薬と似通った化学組成)、セルロースが湿気を吸って変形したりゼラチン質が分解したりカビが生えたり…光化学反応で発色するカラー・フィルムの色素は褪色に弱いので、映像情報を不燃性フィルムに置き換えたり、近年ではデジタル情報として記録するのが映画の保存・修復の主流になっている(「4Kリマスター」などと銘打って公開されるのはそういうこと)。デジタル情報は保存媒体を移し替えても内容は変わらないが、磁気記録の録音やかつてのアナログ・ビデオなどは30年もすれば、磁石が弱まるのと同じ原理で情報が消えてしまう。
絵画や彫刻でも近年では精緻なデジタル記録を後世に残せる。だが作品そのものは物質的に存在していてこその作品であって、モノそのものをできる限り維持しなければならない。ところが日本は気候が多湿で保存に適した環境とは言い難いのに、文化遺産の多くが金属や石ではなく絹などの布、紙、木を主要な材料としている。いつかは朽ち果てるものだとしても、だからこそ守らなければなるまい。
タイトル画像は安土桃山時代の「藤原鎌足像」、絹に岩絵具中心の顔料で、400年以上昔に描かれた。

藤原鎌足像 安土桃山時代・16世紀 奈良国立博物館
令和6年度修理 財源:運営交付金 ※国から国立博物館に交付される運営資金のこと
現代人の普通の感覚では「そんな昔のものがこんな鮮やかな色彩で」と思うかもしれないが、岩絵具はその程度の歳月では簡単に色褪せたりしない。同じような鉱物由来の顔料が使われたものだと、数百年どころか古代エジプトや古代中国の何千年も前の遺物でも色彩そのものは鮮明に残っていたりする(これが有機物の染料だったりするとそうはいかないので、江戸時代の浮世絵版画でも褪色は問題になる)。
鮮明な画面を取り戻すことで甦る、かつてあった信仰文化の形
この画題は「大織冠尊像」、古代日本で中大兄王と共に乙巳の変クーデターで蘇我氏を滅ぼし大化の改新を始めた中臣鎌足(のちにその功績で「藤原」の姓を朝廷から与えられる)を神格化した姿で表したもので、長男・中臣真人が唐に留学して僧侶・定恵となり、父の没後にその菩提を弔うために創建した多武峰妙楽寺の信仰に由来し、「多武峰曼荼羅」という形でも発達した。「大織冠」とは朝廷の冠位で最高位の冠で歴史上授かったのは鎌足と、白村江の戦いで滅亡した百済の王・扶余豊璋だけなので、鎌足を表す尊称でもある。
神像の形式で御正体(みしょうたい)の鏡がかけられた簾と錦に円形の藤の花の紋をあしらった幕の向こうに大きく描かれたのが藤原鎌足、左下の束帯の官人の姿で描かれたのが藤原氏の二代で朝廷を中心とする律令制の中央集権国家としての日本の礎を築いた藤原不比等で、右の僧侶が定恵。一般的な「多武峰曼荼羅」ではこの定恵の位置に仏伝に登場する釈迦の在家弟子・維摩居士が描かれることが多い。

藤原鎌足像(部分) 安土桃山時代・16世紀 奈良国立博物館
よく見ると、色そのものは鮮やかながら、緑青つまり銅の炭酸塩鉱物である孔雀石の緑色の粉末で塗られた床の畳や、鎌足の束帯の帯に使われた緑青に似た成分の群青の青などに剥落が見られるが、良質な顔料に使われる鉱物粒子は化学的に安定していて色そのものは簡単に色褪せたりしないので、たとえば表面を丁寧にクリーニングするだけでも、このように鮮やかな色彩が再び現れる。
神としての鎌足の背後には鮮やかな緑と青で松が描かれていて、そこから「藤原」にちなんで淡く繊細な紫で藤の花の房が垂れ下がり、同じ藤の絵柄は定恵の衣も彩っている。神像形式は日本の「やまと絵」の伝統的な図柄ながら、この松や根元の岩は室町時代のいわゆる「漢画」、北宋・南宋の中国絵画の影響を受けて発展した狩野派などの様式の表現で描かれている。
良質の顔料をたっぷり使っているので褪色もせず、神であることを表す簾にかけられた御正体の鏡や鎌足の太刀の柄、幕にあしらわれた藤紋、定恵の衣の陰影のグラデーションや背景の雲、3人が座る台など、随所に金も用いられている。
