圧倒的な存在感で屹立するこの像は、頭頂から蓮華状の台座まで、まるまる一本の大木から彫り出されている(両手先と台座の蓮の花弁は別材)。執拗なまでにうねる曲線で躍動する衣のひだの、圧倒的な木彫技術の高さを示す深い凹凸で彫り込まれた複雑な曲面は、肩などはまるで本当の布がまとわりついているかのように、ビロードのように滑らかだ。
一際目を引くのは太くたくましい太腿だ。平安時代初期の立ち姿の仏像は、なぜこうも腿が立派なのだろう? なかでもこの神護寺の本尊・薬師如来立像の太腿のたくましさとはち切れんばかりの生命感は、群を抜いている。そういえば、日本列島に最初に住み始めてやがて縄文文明を生み出した人たちは、出土した骨から下半身の筋肉が発達して、がっしりした足腰だったことが判っている。
そのはち切れんばかりな膨らみの周りの衣は、肩や腹部のひだの重なりや袖のうねりが本物の布のようにリアル、いやリアルを突き詰めてリアルを超越したマニエリスムの極致とも言えそうなほど複雑に入り組んだ曲線とは対照的に、一転して明解に整理・様式化されて太腿を際立たせる。
全体が極度なまでにリアルであると同時に、抽象性も帯び、さらにはリアリティを超えたある種マニエリスム的な過剰さも加わって、神々しいと同時に生々しい生命感がみなぎるこの像は、恐ろしいまでにおごそかだ。
あまりに重厚な像だが、衣の裾などは極端なまでに薄く研ぎ澄まされている。しかもその布の薄さにさえも力がみなぎり、荒海の波のように激しくたなびく。衣ごしに見える肉体の造形は、極度なまでに量感が誇張されている。胸から腹にかけての明確なふくらみと、ずんぐりした腕(ただし手先は後補)、とりわけたくましい大腿。
隅々にまで行き渡った、まったく隙のない高度な技術と大胆さに裏打ちされた、過剰なまで凝りに凝った表現の強度と、大きな一本の木材からまるまる彫り出された「一木造り」ゆえの木そのもの質感・存在感は、ほとんど異様・異形でさえあるほど超越的で、文字どおり畏れおののかされるばかりだ。
頭頂から足先までの主要部分を一本の材から彫り出す「一木造り」の木の仏が、塑像や乾漆像、銅像などなど多様な素材・工法が用いられた奈良時代に対し、平安時代初期に際立って増えた。神護寺の本尊・薬師如来立像はその時代の典型的・代表的な作例のひとつとして、国宝に指定されているのはもちろん、同様の指定の同時代の作例の中でも評価が高い。
太腿の周縁を中心に見られる、丸みを帯びた線と鋭い線を交互に重ねた表現は、翻波式衣文と呼ばれる平安初期・中期に特徴的な技法だが、一方でその全体のパターンは奈良時代に唐の名僧・鑑真が来日した際に伴って来た唐の仏師による、唐招提寺の奈良時代の一木造りの木彫像を引き継いでもいる。
肩のまとわりつくような衣やはち切れんばかりの肉体の、マニエリスム的でさえある凝りに凝った表現も、フォルムを彫り出していくのではなく盛り上げてフォルムを作り出す塑像や乾漆像の多かった奈良時代におけるリアリズムの追求の、延長上にもある。
平安時代の始まりを代表する木彫の仏像であると同時に、衣の彫りの精緻さ、執拗で過剰なまでの凄まじさは、奈良時代に鑑真がもたらした唐時代の精緻な彫刻技術と、それを学んだ日本の仏師たちの究極の到達点でもあろう。
薬壺を持つ左手(ただし手先は薬壺も含めて後補)の衣が袖になっているのに対し、右腕には細長い布がかかっている形は珍しい。如来像の衣は左右の腕ともに長い袖が普通なのが、この像の右腕では肩を覆う布から素肌の上腕が見え、肘にかけた布は勢いよく下に伸び、その先端も激しく波打って、たなびいている。
神護寺の金堂に安置されている時には黒漆の厨子に納められ、ほぼ正面からしか見ることができないので、菩薩像の天衣にも似たこの特徴的な衣の形は、この展覧会で初めて気づくことのひとつだ。
寺外での本格的な公開は、これが初めてのことになる。