国宝の中国美術と日本〜常に国際的であり続けて来た日本文化の歩み

画像: 李迪 紅白芙蓉図 中国・南宋時代・慶元3(1197)年 東京国立博物館 蔵 国宝 【11月13日までの展示】

李迪 紅白芙蓉図 中国・南宋時代・慶元3(1197)年 東京国立博物館 蔵 国宝 【11月13日までの展示】

銅鐸が作られていた弥生時代から、日本列島では盛んに大陸、朝鮮半島や中国と交流し、以降その歴史の大きな転換点のほとんどは、実のところ海外との密接な関係や影響で誘発されて来たし、南蛮貿易以前にはその「海外」とは主に中国と朝鮮半島だった。中国の歴代諸王朝の中でも唐や明のような大帝国だけでなく、中国史の中では成功したとは言えず現代の世界史の教育では無視されがちな、古代の隋であるとか中世の北宋・南宋も、日本史とくにその文化動向に決定的な影響を与えている。

画像: 竜頭水瓶 飛鳥時代・7世紀 東京国立博物館 蔵(法隆寺献納宝物) 国宝 従来は唐で作られたものと考えられて来たが、最新の研究・分析では唐から伝わったシルクロードの意匠を用いて日本で作られた可能性が高くなっている。

竜頭水瓶 飛鳥時代・7世紀 東京国立博物館 蔵(法隆寺献納宝物) 国宝
従来は唐で作られたものと考えられて来たが、最新の研究・分析では唐から伝わったシルクロードの意匠を用いて日本で作られた可能性が高くなっている。

稲作が伝わって農村集落がやがてクニに発展し、それらのクニがヤマト王権によって統一された古墳時代から、やがて本格的な東アジア国際社会の一員として(当時としては)近代化、「文明」国家になっていく過程でも、天皇中心の国家を制度的に確立するために日本は文字(漢字)はもちろん、宗教(仏教)や哲学・統治理論(儒教)、法制度の整備(律令)と、あらゆる次元で中国の先進的な思想や文化を受け入れて、旧来の土着的で呪詛的なあり方を刷新して来た。

画像: 海磯鏡 奈良時代・8世紀 東京国立博物館 蔵(法隆寺献納宝物) 国宝 出典:国立博物館所蔵品統合検索システム ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

海磯鏡 奈良時代・8世紀 東京国立博物館 蔵(法隆寺献納宝物) 国宝
出典:国立博物館所蔵品統合検索システム ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

法隆寺献納宝物の国宝、竜頭水瓶と海磯鏡は、従来は唐で作られて日本に輸入されたと考えられ、法隆寺宝物館での展示では「唐時代 8世紀」と表記されていた記憶があるが、近年の元素の成分分析などを含む科学的な研究で国産の可能性が高まり、今回の展覧会では飛鳥時代 7世紀、奈良時代 8世紀と表記されている。どちらもいかに古代国家の日本が中国の最先端を学んで自らのものとして行ったのか、その好例だろう。

画像1: 伝聖武天皇筆 賢愚経残巻(大聖武) 奈良時代・8世紀 東京国立博物館 蔵 国宝 【11月13日までの展示】

伝聖武天皇筆 賢愚経残巻(大聖武) 奈良時代・8世紀 東京国立博物館 蔵 国宝 【11月13日までの展示】

東京国立博物館が所蔵するこの奈良時代の「賢愚経」の写本は、聖武天皇の手になると伝わる。もっぱら奈良の大仏を作らせた一点のみが有名なこの天皇だが、隋に代わって唐が成立して、その唐を中心に当時の世界の文字通りの「中心」とも言えるほど繁栄していた東アジアの最先端に追いつき、日本という国家の基本的な姿が完成させたのが聖武帝だ。大仏の造立にしても全国に国分寺を建立するのとワンセットの巨大国家事業でもあったのだし、明治の神仏分離令まで日本が宗教的には仏教国となった基礎を確立したことも含め、もっとしっかり評価されるべき存在のような気もする。

自ら「菩薩君主」を目指し、武力を伴う権力行使ではなく文化の力と慈愛によってこその国家統合を理念とした天皇は、同時に妻の藤原光明子(光明皇后)が藤原氏の出だったことから、藤原氏が後には摂関家として、これまたやはり明治維新に至るまで日本の政治的中心に関与し続けるきっかけになったともみなされ、どうもやさしいが気弱なイメージで捉えられがちだが、この写経の字体はとても堂々とした楷書で、意志の強い人柄を感じさせる。

画像2: 伝聖武天皇筆 賢愚経残巻(大聖武) 奈良時代・8世紀 東京国立博物館 蔵 国宝 【11月13日までの展示】

伝聖武天皇筆 賢愚経残巻(大聖武) 奈良時代・8世紀 東京国立博物館 蔵 国宝 【11月13日までの展示】

と同時に、楷書のお手本のような筆致には、中国の最先端をお手本としてそれをしっかり学び自らのものとしようとした意志と生真面目さ、律儀さ、頑固さも、そこに表れているような気がする。政治的な現実と藤原氏の抵抗で、妥協も多かったように見える聖武天皇の治世だが、それでも最終的には自分が信じた新しい統治のあり方の根幹は貫き通した、その不屈さこそを見るべき天皇なのかも知れない、とこの写経を見て思う。また即位してまもなく天然痘が流行して人口の三分の一が亡くなったとも推計されるが、だからこそその祈りの強さが、この太く力強い文字には現れているのかも知れない。

明治維新までの日本の基本法だった律令はそもそも中国的な法制度だったし、その体制の下でこうしたしっかりと漢字を用いた、唐風の文化は、奈良時代、平安時代を通じて日本の公的な文化であり続ける。漢籍を学び漢字の能書であることはエリート官僚となった貴族たちと、天皇その人にとって、最重要の教養だった。「宸筆」と呼ばれる天皇の書は、天皇その人の姿が御所の奥深くにいてまず見られないだけに、極めて重要視され続けることになるが、聖武天皇によるとされ「大聖武」と呼ばれる写経は、そんな伝統の始まりとも言える。

画像: 小野道風 円珍贈法印大和尚位並智証大師諡号勅書 平安時代・延長5(927)年 東京国立博物館 蔵 国宝【11月13日までの展示】

小野道風 円珍贈法印大和尚位並智証大師諡号勅書 平安時代・延長5(927)年 東京国立博物館 蔵 国宝【11月13日までの展示】

東博が所蔵する平安時代の書で国宝指定されているもののひとつ、「群書治要」は、唐代の初期に春秋戦国時代から晋代に及ぶ67種の典籍からの文言を抜き書きしてまとめた、政治哲学と治世の参考書だ。つまりは朝廷の、天皇と貴族たちの基礎教養文献で、東博の写本は平安時代の中期に写されたもので九条家(藤原氏の中でも摂政関白を輩出する最も高位に当たる五つの家柄の一つ)に伝来し、現存するものの中では最古になるという。

画像: 群書治要 巻第二十二 平安時代・11世紀 東京国立博物館 蔵 国宝【11月13日までの展示】

群書治要 巻第二十二 平安時代・11世紀 東京国立博物館 蔵 国宝【11月13日までの展示】

そうした文献的な重要性ももちろん国宝に指定される理由のひとつだが、この写本の作りの豪華さ・端正さの美術的な価値も高い。紫、縹色(薄い青)、茶色などを濃淡に染め分けた紙や、飛雲の紋様をすき込んだ希少な紙を継ぎ合わせ、罫線は金で引き、そこに完全に中国風の楷書ではなく和様の書体で、丁寧にテクストが記されている。なお11月15日以降には、名筆として知られる藤原行成が唐の伝説的な詩人・李白の詩を書き写した「白氏詩巻」が展示される。

公式文書は漢字・漢文で書かれるのと同時に、プライベートでパーソナルな感情を言語化する和歌もまた、中国の影響の漢籍や漢詩と両輪のように、奈良時代ととくに平安時代の宮廷生活と政治を支える言語文化となった。奈良時代の編纂の「万葉集」や「古事記」「日本書紀」に引用される和歌は漢字を表音文字として扱って読みの音を当てた「上代仮名」(いわゆる「万葉仮名」)文字で記載されているが、その漢字を崩した日本独自の表音文字として、「ひらがな」が生まれる。昔の学校教育では漢字は男性、仮名文字は女性、と教わったような記憶があるが、むしろオフィシャルとプライベート、論理を記す漢字に対し心理を表現する、なによりも和歌を記すための文字として「仮名」が生まれたと考えた方が、実態に近いのではないか。

プライベートな心の反映と言いながら「勅選和歌集」が編纂されたりするのは完全にオフィシャルな文化になってもいたわけだが、その勅撰和歌集の「古今和歌集」の現存最古の、2巻にまとめられた写本のうち上巻が東京国立博物館に所蔵されている。

「世界で最も華麗な書籍」と言いたくなりそうな洗練された豪華さだ。

画像: 古今和歌集(元永本) 上帖 平安時代・12世紀 東京国立博物館 蔵 国宝 【11月15日以降ページ替】

古今和歌集(元永本) 上帖 平安時代・12世紀 東京国立博物館 蔵 国宝 【11月15日以降ページ替】

紙は1ページ1ページごとに異なった意匠で装飾されたものを用い、展示されている見開き部分では雲母の粉末を膠で溶いて版木で印刷したもの、中には金銀の箔の断片を散りばめたページもある。この上帖は三井家から寄贈されたもので、もう一冊の下帖は三井家から現在は三井記念美術館の所蔵になっていて、どちらも国宝だ。

こうした美的に洗練され尽くして流麗で繊細な仮名文字を、現代の我々は読みこなすような教育を受けていないのは残念なことだ。だが読めなくても、その流麗な線の美しさは堪能できる。また先に紹介した本阿弥光悦の「船橋蒔絵硯箱」もこうした美しい仮名まじりの日本語をデザインに取り込み、和歌の文字を蓋の表面に散らすことでいわば「見る歌」、そのデザインを見ているとそこに言葉のリズムや音楽が視覚に変換されて立ち上がって来ることも、付記しておきたい。

鎌倉時代に入ると、今度は仏教の禅宗が広まり、北宋や南宋の高僧が来日し、書簡などのやりとりも活発化した。いわば古代の遣隋使・遣唐使の時代に続く、「第二次中国ブーム」と言ってもいいのかも知れない。

画像: 大慧宗杲 無相居士あて尺牘 中国・南宋時代 12世紀 東京国立博物館 蔵 国宝 【11月13日までの展示】

大慧宗杲 無相居士あて尺牘 中国・南宋時代 12世紀 東京国立博物館 蔵 国宝 【11月13日までの展示】

禅宗には私信のやりとりなどの手紙を含む高僧の書を重視する文化があり、この時代の中国の書で日本の国宝になっているものの多くが、そうした書簡だ。

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