これぞ日本ならではの視覚表現の世界? 国宝の絵巻物の魅力

こうした平安後期の華麗な仏画を、今日の我々は美術品として鑑賞してその豪華さ、表現の精緻さ、1000年近く経ってもなお印象的な色彩に嘆息するわけだが、これらは本来は仏教の祈りと儀式のために描かれたものだ。神聖なものだけに描かれているのも日常をかけ離れた世界、孔雀明王像や虚空蔵菩薩、今後展示される千手観音像や普賢菩薩像はいずれもエキゾチックな、元はインドの風俗に基づく衣や装飾品の約束事にのっとった表現だし、十六羅漢像なら人間を描いていてもその服装・風俗は中国風だ。

画像: 十六羅漢像 第五尊者 平安時代・11世紀 東京国立博物館 蔵 国宝 【11月13日までの展示】

十六羅漢像 第五尊者 平安時代・11世紀 東京国立博物館 蔵 国宝 【11月13日までの展示】

当時の日本の、日本人を描いた絵画は、絵巻物として見られる場合が多く、また仏堂や邸宅の公の場の壁にかけられたであろう仏画に対し、絵巻物は本来は一人で、プライベートな空間で、鑑賞者の肩幅くらいだけ広げて見られるものだった。

東京国立博物館ではこれらの仏画と同時代の平安時代後期・12世紀の絵巻物が2件、そして鎌倉時代の絵巻物がやはり2件、国宝に指定されている。

画像: 餓鬼草子 平安時代・12世紀 東京国立博物館 蔵 国宝 (部分) 【11月15日から展示】 出典:国立博物館所蔵品統合検索システム ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

餓鬼草子 平安時代・12世紀 東京国立博物館 蔵 国宝 (部分) 【11月15日から展示】
出典:国立博物館所蔵品統合検索システム ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

平安時代の作品は、仏教の説く来世を描く「餓鬼草子」と「地獄草子」で、恐らくもっと長かった作品の残存した断片を繋いだものなのだろうか? 個々の場面にはある種の物語性が見出せるが、全体としての大きな流れが把握できるような形では、残念ながら残っていない。死後の世界と言っても題名の通り仏教でいう六道のうち下位の二つの世界で、罪深い生を送った者が罰を受ける描写だが、こと「餓鬼草子」の魅力は、現世で貪欲だったために餓鬼に生まれ変わったはずの者たちが何やら人間臭くユーモラスであることと、その餓鬼を取り巻くように当時の人間の生活が生き生きと描写されてるところだ。

画像: 地獄草子 平安時代・12世紀 東京国立博物館 蔵 国宝 (部分) 【11月15日から展示】 出典:国立博物館所蔵品統合検索システム ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

地獄草子 平安時代・12世紀 東京国立博物館 蔵 国宝 (部分) 【11月15日から展示】
出典:国立博物館所蔵品統合検索システム ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

鎌倉時代の2作品は、がぜん物語性が増す。まず動乱の院政期をテーマに、平清盛が権力を掌握するきっかけになった平治の乱を描いた「平治物語絵巻」だ。この絵巻の全体は十数巻あったはずが散逸していて一巻は三菱財閥がかつて所有して今は静嘉堂文庫、一巻はボストン美術館が所蔵し、ボストンのものは今年、東京都美術館で展示されていた。

東博の所蔵しているのは源義朝らのクーデタを察知した清盛の軍が天皇の身柄を京の東の外れの六波羅に移す「六波羅行幸」の巻だ。

画像: 平治物語絵巻 六波羅行幸巻 鎌倉時代・13世紀 東京国立博物館 蔵 国宝 (部分) 【10月30日までの展示】

平治物語絵巻 六波羅行幸巻 鎌倉時代・13世紀 東京国立博物館 蔵 国宝 (部分) 【10月30日までの展示】

絵巻物は本来、先を読み進める・見進める際に右手で巻き取りながら見ていくもので、物語は右から左へと展開する。「六波羅行幸」ではその右から左への展開が、右で帝の御所が武士に襲撃された時には帝は既に画面左に逃げていて(天皇は直接描けないので牛車で表現される)、というように時間の経過とアクションの経過が一致して右から左へと展開する、そのアクションと空間と時間の一致は、まるで映画を先取りしているかのようだ。

画像1: 平治物語絵巻 六波羅行幸巻 鎌倉時代・13世紀 東京国立博物館 蔵 国宝 (部分)

平治物語絵巻 六波羅行幸巻 鎌倉時代・13世紀 東京国立博物館 蔵 国宝 (部分)

そうした大きな物語の流れの一方で、この絵巻は鎌倉時代に流行した「似絵」、つまり人間の顔のリアルな写生を取り入れて、しばしば大きなアクションから外れたような人物の動きまで、生き生きと描きこんでいるところも魅力が奥深い。そうした時にユーモラスにも見える描写が、かえって全体のスピード感と緊張感を引き立てている。

画像2: 平治物語絵巻 六波羅行幸巻 鎌倉時代・13世紀 東京国立博物館 蔵 国宝 (部分)

平治物語絵巻 六波羅行幸巻 鎌倉時代・13世紀 東京国立博物館 蔵 国宝 (部分)

文書を巻物にして所蔵したり所持するのは日本に限らず東アジア圏全体に見られる風習であり、そうした細長い巻物に絵を描くことも中国などでも普通に見られる。とはいえ中国絵画の長巻は記録だったり、風景の広がりを横長の画面に表現するものが多く、ここまで一貫した時間経過とアクションの展開を絵巻を右から左へと見進めていく流れに一致させた豊かなストーリーテリングは、平安時代の末から日本独自の発展を遂げた表現形式と言えるだろう。

画像3: 平治物語絵巻 六波羅行幸巻 鎌倉時代・13世紀 東京国立博物館 蔵 国宝 (部分)

平治物語絵巻 六波羅行幸巻 鎌倉時代・13世紀 東京国立博物館 蔵 国宝 (部分)

ちょうど「平治物語絵巻」の主人公の一人でもある後白河法皇が大変な絵巻好きで、その発展に大きく寄与したようで、平安後期の「三大絵巻」は法皇が描かせたものではないか、とも言われている。

もう一点の鎌倉時代の国宝の絵巻は、日本の絵巻物物語の最高傑作と言えるのではないか? 救済を願って「南無阿弥陀仏」を唱える祈りに踊りを取り込んだ時宗の開祖・一遍の生涯を中心に、中世の日本社会の多様な様相そのものを描き込んだ「一遍聖絵」の巻第七だ。

画像: 法眼円位 一遍聖絵 巻第七 鎌倉時代 正安元(1299)年 東京国立博物館 蔵 国宝 (部分) 【11月1日から13日までの展示】 空也上人も布教した市屋という場に、櫓を建てて踊り念仏を行う一遍たちと、周辺の賑わい。 出典:国立博物館所蔵品統合検索システム ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

法眼円位 一遍聖絵 巻第七 鎌倉時代 正安元(1299)年 東京国立博物館 蔵 国宝 (部分) 【11月1日から13日までの展示】
空也上人も布教した市屋という場に、櫓を建てて踊り念仏を行う一遍たちと、周辺の賑わい。
出典:国立博物館所蔵品統合検索システム ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

全12巻の大作で、ほとんどが時宗の総本山である神奈川の清浄光寺(遊行寺)に所蔵されているのだが、7巻目だけが寺外に流出し、戦後に東京国立博物館の所蔵となったものだ。右から左へと見進めていくことが時間の経過・空間の移動・アクションの展開に一致する、ほとんど映画的と言っていいかもしれない絵巻物の醍醐味が最も凝縮されているのが、この7巻目ではないかと思う。

近江の琵琶湖畔と京都での布教を描くこの巻は、とりわけ展開の運動の連続性が顕著かつスピーディーで緩急であり、特に人口が多い地方が舞台なだけに一遍とその弟子集団だけでなく、一遍に帰依する者、あるいは興味本位で見物に来る者、遊んでいる子供や、踊り念仏の場の周囲で商売をする遊女とその客、身分的には貴族や高僧、武士、庶民の労働者たちや農民、さらにハンセン病を病んだ人たちや貧民まで、鎌倉時代の社会を構成するあらゆる人々があらゆるところに、それも宗教的な重要性や社会的な地位階級をあえて等閑視するかのように、平等に描き込まれている。

画像: 法眼円位 一遍聖絵 巻第七 鎌倉時代 正安元(1299)年 東京国立博物館 蔵 国宝 (部分) 【11月1日から13日までの展示】 出典:国立博物館所蔵品統合検索システム ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

法眼円位 一遍聖絵 巻第七 鎌倉時代 正安元(1299)年 東京国立博物館 蔵 国宝 (部分) 【11月1日から13日までの展示】
出典:国立博物館所蔵品統合検索システム ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

巻第七では場面の転換の間に本来は挟まれていた詞書が一箇所以外は失われていて、例えば京都の東の端の鴨川と四条京極にあった釈迦堂での説教の場面と、空也上人ゆかりの京都の市屋で行われた踊り念仏の場面の間が、霞と田園風景から霞と田園風景へとダイレクトにつながっている。それがかえって、スピーディーさとリズム感を増幅していて、緩急に富んだ展開を際立たせる。

画像: 法眼円位 一遍聖絵 巻第七 鎌倉時代 正安元(1299)年 東京国立博物館 蔵 国宝 (部分) 【11月1日から13日までの展示】 京都の堀川(現代の堀川通)と木材を扱う労働者たち。手前には踊り念仏を遠目に見ている貧民やハンセン病の患者たちと、彼らに施しを与えるために近づく高僧の一行。 出典:国立博物館所蔵品統合検索システム ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

法眼円位 一遍聖絵 巻第七 鎌倉時代 正安元(1299)年 東京国立博物館 蔵 国宝 (部分) 【11月1日から13日までの展示】
京都の堀川(現代の堀川通)と木材を扱う労働者たち。手前には踊り念仏を遠目に見ている貧民やハンセン病の患者たちと、彼らに施しを与えるために近づく高僧の一行。
出典:国立博物館所蔵品統合検索システム ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

言葉がなくても視覚で伝わるストーリの展開のスピードとリズム。現代の日本がマンガとアニメの大国で、かつては溝口健二や黒澤明、内田吐夢のような世界屈指の傑出した映画作家を輩出した文化的な土壌は、こうした絵巻物の伝統に源流があるのかも知れない。

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