教科書にも載ってる人気の国宝も〜雪舟、長谷川等伯、狩野永徳、渡辺崋山
東京国立博物館の国宝の絵画の中には、学校の歴史の教科書で誰もが見たことがあるような有名作品も多い。たとえば江戸時代後期の学者で政治家、そして画家でもあった渡辺崋山の、画家としての代表作「鷹見泉石像」は、西洋絵画の技法を取り入れて日本の絵画表現と融合させたリアリズムの傑作として、それこそ必ず教科書に載っていそうな絵だ。
だが教科書の写真複製では、軽やかでかつ適確な崋山の筆致や、淡い色彩の巧みなグラデーションは表現しきれない。ここはぜひ、本物をじっくり見て、崋山が西洋画の油絵のようなリアルな描写を、油絵具のような塗り重ねや描き直しができない日本の技法で一気に描き上げている、その修正が一切効かない形状把握とデッサン力の巧みさを堪能したい。西洋画がいわば「面の絵画」であるのに対し、日本の伝統絵画は「線が命」であるとも言われるが、崋山はその西洋絵画のような表現を、しかしあくまで日本的な「線の絵画」として具現しているのだ。
「東博の国宝」といえば知名度もアンケート調査などでの人気も第一位にあがるのが、やはり長谷川等伯の「松林図屏風」だろう。それがこの展覧会では会場に入ってすぐ、真っ先に展示されている(11月13日まで)。
遠目には、とても静かな絵だ。冬の雨なのだろうか、その霞の中に松の林がぼんやりと浮かび上がり、遠景には富士山のようにも見える山が微かに浮かび上がっている。
「日本人の心象風景」とでも言えそうなこの静謐さはしかし、近づいて見ると印象が一変する。
一部には筆でなく竹の枝の束を用いたとも言われている、とりわけ濃い墨で黒々と描かれた近景の松の葉の筆致は、とても荒々しく猛々しい。薄墨で描かれた、霞の彼方にぼんやりと浮かび上がる中景・遠景の松も、激しい勢いで一気呵成に描かれている、近くで見るとその筆運びの迫力が凄まじい。
等伯の他の作品には、計算された造形の精緻な描写が多く、実はこのような描き方をしたものは他にほとんどない。一部に画面からはみ出している部分もあるなど、元々この大きさの屏風を想定して描かれてはいなかった可能性もあり、注文主も描かれた目的も不明な、実はとてもミステリアスな絵でもある。
一説には、この絵が描かれたのは等伯が後継者として期待し、絵の才能が自分を上回るとすらみなしていた息子の久蔵が急逝した後ではないかという。京都に出て狩野派と熾烈なライバル競争を闘いながら権力者にも取り入り、一代で日本一の人気絵師の一人という地位にまで上り詰めた、つまり大変な野心家でもあったであろう長谷川等伯は、画家としては成功しながらも、しかし私生活ではさまざまな不運い見舞われた。自分に目をかけて高く評価してくれた千利休が、突然豊臣秀吉に自死を命じられたようなこともあった。
どんな人生を生き抜いた果てに、なにを思ってこの静かで激しい、えも言われぬ寂寥感に満ちた風景を描いたのだろう? その等伯のライバルだった狩野永徳の「檜図屏風」も東博が所蔵する国宝で、11月15日以降に展示される。
だがこの最初の展示室の、国宝絵画のコーナーでは、等伯や永徳といったいわばスター絵師の著名な代表作以外の作品にも注目したい。永徳の代に隆盛を極め、江戸時代には幕府御用絵師となった狩野派に属し、その優れた才能に、普通なら養子となって「狩野」を名乗っていてもおかしくないはずが脱落した、久住守景の「納涼図屏風」だ。
「日本人の心象風景」というなら、この絵のもたらす穏やかな至福感の方こそ、より近いのかも知れない。
満月が上りかけた夏の夕暮れに、夫婦と幼い子供が質素な家の軒下に、むしろを引いて佇んでいる。おそらく農家の一家の、1日の労働の後の安らぎの風景。豪華なものはなにもないが最高の贅沢、金銭や権力では決して買えない素朴な安らぎを、観る者はそこに見出す。
だが、さりげなく大胆な絵でもある。妻は上半身裸で、夫の方は青い薄い衣だけを身にまとい、いわばシースルー状態で下半身に至るまで体の線がはっきり見えている。
日本人が体を覆う衣服を身につけるようになったのは実は明治維新以降で、夏は高温多湿でもあることからかなり肌が露出する服装が一般的だったとはいえ、夫の方は太腿まで勢いのある曲線で描写されて下腹部だけが布が重なって隠されていたり、さりげないながらかなりエロティックな描写だが、目を惹かれるのはそこではない。
夫の肉体が腕も腿も太くて、筋骨隆々と、いかにも逞しいのだ。
本当にこの男は、農民なのだろうか? もしかして元は戦国時代を生き抜き、戦い抜いた武士だったのではないか?
戦に敗れて落武者になり、どこかの閑村に辛うじて安寧の場を見つけたのか? あるいは戦国の時代が終わって自ら武器を捨てたか、主家が取り潰されて浪人して武士の身分を捨てたのか、いずれにせよこの質素で飾らない新しい生活にこそ、男はやっと平安と真の幸福を見出したのかも知れない。
狩野派を破門されて江戸や京・大阪にはいられなくなったとはいえ、久住守景は一流の絵師だ。まだ町民が力を持って絵師のパトロンになる以前の時代であり、守景は北陸・加賀藩の前田家などの庇護を受けていたようで、この屏風もおそらくは、そうした大名かその有力家臣の注文に応じた作品だろう。徳川幕府が儒教・朱子学を奨励し、武士に「撫民」、支配階級としてのノーブレス・オブリージュ的な意識を自覚して庶民を理解しその安寧に努める道徳を説いたことから、こうした庶民の生活を描く絵には上流武士の需要があった。
とはいえ、その庶民・農民のはずの男をどうにも武士のような肉体に描いたことには、守景のどんな意図があったのだろう?
あるいは中央での花形の御用絵師の将来を失ったことで、かえって自由な画風を確立した守景自身が到達した、達観した心象風景が投影されているのだろうか?
久住守景が属した狩野派と、豊臣秀吉の時代にその最大のライバルだった長谷川等伯が共に影響を受け、日本の近世初期絵画のカリスマになっていたのが、室町時代の禅宗の画僧・雪舟だ。国宝指定の作品が最も多い画家(七件)でもあり、そのうち二件を東京国立博物館が所蔵している。「秋」と「冬」が一対になった「秋冬山水図」と、「破墨山水図」だ。
長谷川等伯の「等伯」という画号も雪舟の「等楊」という名の「等」を引き継いでいて、自ら「雪舟五代」を名乗ってもいた。
雪舟については本展と並行の同時開催として、東洋館1階のミュージアムシアターで、作品の高精細スキャン・データとVR技術を駆使し、極度に抽象的な「破墨山水図」がどのように描かれたのかの分析と、「秋冬山水図」や東博所蔵の重要文化財「四季山水図」を題材に、描かれた当時のこうした山水画の楽しみ方であった「臥遊」、寝そべって鑑賞しながら風景の中に入り込むのを想像することを疑似体験しつつ作品を分析するVR作品『雪舟 ―山水画を巡る―』( https:www.tnm.jp/modules/r_event/index.php?controller=dtl&cid=12&id=10753 )が上映されている。こちらを見てから実際の雪舟の山水画を見直すと、時代背景や構図・構造の論理が見えてきて、より細部まで愉しむことができそうだ。(紹介映像 https:www.youtube.com/embed/sXGkewrqEso )。
教科書にも載っているような、東博所蔵のあまりに有名な国宝といえば、江戸時代初期・琳派の蒔絵工芸の斬新な傑作、尾形光琳の「八橋蒔絵螺鈿硯箱」(11月15日から展示)と、そんな琳派の美学を先取りした斬新にモダンなデザインの本阿弥光悦の「舟橋蒔絵硯箱」(11月13日まで)も、もちろん忘れられない。
なおこの斬新なデザインを創造した本阿弥光悦の本業は、本阿弥家は刀剣の鑑定の最高権威の家柄だ。すでに写真も紹介した、茎に金の象嵌の銘が入った正宗の刀は本阿弥家が正宗の作と鑑定したもので、「本阿」という花押は鑑定した本阿弥家の署名だ。
刀剣の美という極度に抽象的な美学と向き合い、それを見抜くことを極めて来た経験が、この硯箱の、金蒔絵に鉛の板を貼り付けるという斬新な発想に基づく、金属素材の質感を活かしきったデザインとどう関係しているのか、そこを想像するのもおもしろいかも知れない。
また弥生時代、古墳時代を代表する考古学遺物の、表面に弥生時代の生活風景が描かれているので教科書でほとんど必ず紹介されている銅鐸と、「挂甲の武人」の呼称で知られる埴輪も、国宝に指定されていて東京国立博物館の所蔵品だ。
こと「挂甲の武人」は実は発見時にはバラバラの状態で発掘されたもので、今回の展覧会は数年がかりでいったん解体して組み直した大規模修理の後の初公開になる。