華麗な装飾性と超絶技巧に満ちた、平安時代の奇跡の仏画
「文明開化」つまり極端な西洋化の流れの中(それでは日本に「文明」はなかったのか、ということになるが)で、仏教の文化や仏教美術は時代遅れ、下手すれば「迷信」「野蛮」とみなされがちで軽んじられる傾向すらあった上に、明治時代の初期にはさらに深刻で直接的な伝統文化財破壊の危機も起こっている。
神仏分離令の発布と、廃仏毀釈運動だ。
仏教と一体化してそこに取り込まれていた古来からのカミ信仰を、仏教と切り離して新しい日本国家の「国教」としての「神道」とする政策と、その新政府に扇動された大衆に寺院が襲撃される事態が多発しただけでなく、その被害から復興しようにも、寺院は旧来の幕府に保証されていた寺領も没収され経済基盤を失ってしまった。
東京国立博物館には法隆寺が明治時代に天皇家に献納した寺宝を納める「法隆寺宝物館」があって、そのうち11点が国宝指定になているが、これもその見返りの下賜金という形で天皇家が法隆寺の伽藍などの維持を資金援助するため、でもあった。
この時に、膨大な数の飛鳥時代の金銅仏と当時朝鮮半島から伝来した金銅仏も献納されていて、重要文化財に指定されている(東博の法隆寺宝物館で常設展示されている)。一方で法隆寺には今も数多く国宝指定の仏像があるが、逆に言えばそうした本尊クラスの、宗教的にもとりわけ重要な仏像と伽藍を守る資金を得るために献納されたのが、これらの寺宝でもあった。
今回の展覧会に仏像がない、つまりさすがに東京国立博物館も国宝の仏像は所蔵していないのも、おそらく同じような事情なのだろう。それだけの信仰上もとりわけ重要な仏像は、やはりなんとしても寺外への流出は避けなければいけなかったはずだ。それでもかつては重要だった廃寺になった寺院の本尊や、神社内にあった仏堂の本尊などが海外にまで流出している例も決して少なくない。
国立博物館の創立には、こうした差し迫った文化的な危機、日本人の歴史的アイデンティティ喪失の危機に、急いで対応する必然もあった。
国宝の仏像彫刻はない代わりに(ただし寺院の所有のまま保存環境を万全とするために寄託されている仏像はあり、しばしば本館の彫刻室で展示される)、平安時代に華麗さの頂点に達した仏教美術の中でも傑出した作例の、11〜12世紀の豪華な仏画が、今回の展示に含まれている。
11世紀の十六羅漢図、12世紀の普賢菩薩像、孔雀明王像、虚空蔵菩薩像、千手観音像だ(なお絹や紙に描かれた日本の伝統絵画は、保存の観点から全期間展示し続けることは避けられるので、期間を分けて交替で展示される)。
12世紀の孔雀明王像はピンクやオレンジ、肌色などの赤系の色彩の柔らかで繊細なグラデーションと、赤と補色関係にある緑のコントラスト、鮮やかな群青の色彩美にまず目を惹かれるが、ぜひ近くに寄って、できれば拡大鏡も使って、この色彩を引き立てる「仕掛け」にも注目したい。
随所に金が使われ、それも膠で金粉を溶いた金泥と、金箔を極細に切って貼り付けて紋様を描く截金(きりかね)の技法が、宝飾品や衣、孔雀の羽根にふんだんに使われ、群青とこの金がまた補色関係になって、華やかな色彩の印象をますます際立たせているのだ。
同じように真正面から描いた構図ながら対照的な、落ち着いて洗練された印象の虚空蔵菩薩像にも、実は金属箔の截金は多用されている。
こちらはあえて華やかな金よりも銀箔が多く、銀は経年変化で酸化して黒ずんでしまうので輝きは失われてしまっているが、近づいてよく見ると繊細で微細な描写は極端なまでに洗練されていて、モダンにすら見える。やはりモダンな印象の、円相に主要部分を納めた安定した構図と、ほっそりした体型の菩薩の姿も含めて、とても洗練された美意識が貫かれた、知的で理性的な作品だ。
官能的で力強さも感じさせる孔雀明王像と、知的な洗練で安定した印象の虚空蔵菩薩像の対比は、これらの仏画が描かれた本来の目的も表しているのかも知れない。
孔雀明王は鳥の孔雀を神格化した密教の明王で、孔雀が見た目が華やかなだけでなく毒蛇を食べて退治することから、疫病の退散や病気の平癒を祈る密教修法に使われた絵だと思われる。一方で虚空蔵菩薩は、弘法大師空海がこの菩薩の法力を自分のものとする修法で超人的な記憶力を得て、唐に留学してわずか半年で密教の複雑な理論を体得できたという伝承がある。この仏画もそうした空海にあやかって、知力とくに記憶力を増進する儀式に使われたものだろう。
釈迦の弟子たち十六人を一枚ずつ描いた十六羅漢図は、菩薩や明王とは対照的に人間である羅漢を主人公に描いていて、より親しみやすい描写が魅力だ。一千年近く前のものだけに剥落はあるものの、とても鮮やかな色彩が今も残っているが、この色彩の鮮明さには、描かれた絹の表側だけでなく裏からも顔料を塗る「裏彩色」などが駆使されている。