酒井抱一と江戸琳派と、直立する檜

「夏秋渓流図屏風」が最初は距離を置いて目に入った時に、画面下部の濃厚すぎる群青と並んで我々の目を惹きつける、もうひとつの「異様な」特徴は、なにもここまで真っ直ぐでなくてもいいだろう、というくらいに木々があまりに直立していることだ。

画像3: 鈴木其一 夏秋渓流図屏風 江戸時代・19世紀 根津美術館蔵 重要文化財

鈴木其一 夏秋渓流図屏風 江戸時代・19世紀 根津美術館蔵 重要文化財

その直立する木々は画面の上部を遥かに突き抜けて、さらに上に上にと伸びている。だが画面の上端でばっさり切れているのも大きさ・高さの表現というよりは、これらが木であると同時に抽象的な太い縦線のパターンにも見えてしまい、画面を幾何学的に、縦方法に分割するためにこそ、そこに描かれているようにも思えて来る。これは山の中の渓流を描いた具象の風景画なのか、それとももしかして実は、抽象画なのだろうか?

円山応挙の「保津川図屏風」で荒涼とした岩場にしがみつくように逞しく根を張った松は、厳しい環境の中で力強く縦横無尽に曲がりくねった枝を広げていた。

画像: 円山応挙 保津川図屏風 江戸時代・寛政7(1795)年 株式会社千總蔵 重要文化財 左隻(部分)

円山応挙 保津川図屏風 江戸時代・寛政7(1795)年 株式会社千總蔵 重要文化財 左隻(部分)

ただの先入観のステレオタイプと言われてしまえばそれまでとはいえ、日本庭園で見る松であるとか楓や桜、あるいは屏風や襖絵の大画面の日本美術でそうした木を見かける場合、普通ならそれらの木は豊かな枝ぶりが複雑な曲線を描いているものではないか?

画像: 酒井抱一 青楓朱楓図屏風 江戸時代・文政元(1818)年 個人蔵 左隻

酒井抱一 青楓朱楓図屏風 江戸時代・文政元(1818)年 個人蔵 左隻

琳派の意図的にフラットで様式化・意匠化が駆使された金屏風の装飾的な画面にも、我々がどこかしら「自然」を見ているのは、木はやはり木なので幾何学的な図様化のパターンに当てはまらず、斜めに生えたり、複雑な曲線を描いたりしているからだろう。

画像: 酒井抱一 青楓朱楓図屏風 江戸時代・文政元(1818)年 個人蔵 右隻

酒井抱一 青楓朱楓図屏風 江戸時代・文政元(1818)年 個人蔵 右隻

鈴木其一の師である酒井抱一の「青楓朱楓図屏風」の、青もみじの複雑に入り組んだ枝ぶりは、自然界でもさすがにここまではあり得なさそうなほどに複雑に曲がりくねっている。実のところこの枝のフォルムには、いわば「元ネタ」があった。

画像: 酒井抱一 編 『光琳百図』 江戸時代・19世紀 国文学研究資料館蔵

酒井抱一 編 『光琳百図』 江戸時代・19世紀 国文学研究資料館蔵

酒井抱一が「再発見」した尾形光琳の作品を、抱一が自ら整理・列挙して模写をカタログ化して出版した『光琳百図』に掲載されている屏風だ。光琳オリジナルの図柄を忠実に踏襲しつつアレンジしたのがこの屏風なのだ。

その抱一の弟子・鈴木其一も、いったん火災で失われた『光琳百図』の版木を復刻させて再版しているし、そこに掲載された光琳作品から学び、その図柄をコピーしアレンジすることは「江戸琳派」の絵師であった其一にとって重要な仕事の一部だった。

こうした模写・模倣とアレンジは、別に琳派に限ったことでもなく、西洋の近代芸術においてオリジナリティを絶対視する価値観が成立する以前の、美術品の需要が異なっていた時代と社会的文脈では当然のことだった。「絵手本」で先人から学ぶことが絵師の修行で重要視されていただけでなく、今日のファッション・ブランドのように、いわば「琳派ブランド」の抱一や其一には、そうした「琳派ブランド風」の絵が当然顧客・注文主から求められたはずだ。

画像1: 鈴木其一 三十六歌仙・檜図屏風 江戸時代・天保6(1835)年 個人蔵 【12月5日までの展示】

鈴木其一 三十六歌仙・檜図屏風 江戸時代・天保6(1835)年 個人蔵 【12月5日までの展示】

しかも江戸琳派の場合は、光琳の作品をカタログ化した『光琳百図』が印刷・出版されたことでその一大ブランドとしての人気と需要はさらに強化されただろう。

つまり、狩野探幽が狩野派の将来のために描き遺した『探幽縮図』のような手描きの絵手本であれば、主に一門の弟子筋に内輪で見られ、写され、学習されたのだろうし、書籍の絵手本集として出版された『北斎漫画』はその絵柄をおもしろがるエンタテインメント性でベストセラーになったり、市井で絵師を志す人々の絵画入門マニュアル的にも使われたのだろうが、同様に出版された『光琳百図』の場合は文字通り「カタログ」としても機能していたのではないか?

つまりは顧客の側も『光琳百図』を自分で持っていて、「この絵柄を」と注文することも多かっただろう。

画像1: 酒井抱一 編 『光琳百図』江戸時代・19世紀 国文学研究資料館蔵

酒井抱一 編 『光琳百図』江戸時代・19世紀 国文学研究資料館蔵

「三十六歌仙・檜図屏風」の右隻で、鈴木其一は尾形光琳の三十六歌仙図で密集して描かれている人物の一人一人は忠実に写している。その一方で、光琳のオリジナルの二曲で正方形に近い画面を、八曲の極端な横長に変えて配列した其一のセンスが、非常に洗練されていて素晴らしい。

一人だけ真正面から描かれた人物がいるのも、その人物がまるで絵を見る我々を睨んでいるかのように見せる効果は光琳のオリジナルの構図ではほとんど感じられないが、其一の巧みなアレンジではその一人だけ真正面の人物に注目が集まるような配置になっていて、睨まれている効果、絵を見る側が絵から見られている感覚が、あたかも我々を画面の中の世界に引き込むように機能する。

画像: 鈴木其一 三十六歌仙・檜図屏風 江戸時代・天保6(1835)年 個人蔵 右隻【12月5日までの展示】

鈴木其一 三十六歌仙・檜図屏風 江戸時代・天保6(1835)年 個人蔵 右隻【12月5日までの展示】

光琳が天皇を暗示する御簾を画面の最上部、つまりは空間的にはもっとも奥に、ほぼ横幅いっぱいに大きく描いているのは、八曲の横長画面にそのまま当てはめれば明らかにおかしなバランスになりそうなところを、其一は中央上端で切れる形で普通の大きさかむしろやや小さめに描きながら、その記号的な重要性はまったく損ねていない。

この其一の横長の画面アレンジのなによりもの特徴は、光琳の原画の密集した、遠近が圧縮された描き方に対し、空間が横方向に広がっているだけでなく、奥行きもまた深まって見えるところだろう。遠くを小さく、近くを大きく、と言う遠近法を直接に当てはめてはいないのは光琳の原画がある以上当然なのだが、その制約の代わりにリズミカルに配された金地の余白の位置関係によって、其一は遠近の感覚を巧みに演出している。屏風が曲げられて立てられていると、この奥行きの効果はさらに際立って見える。

天皇を表す御簾が小さくても十分に存在感があるのは、その遠近感の演出の中でさりげなく絵の中心に置かれて全体を締めくくっているからでもある。西洋遠近法でいう消点(手前は大きく遠いものは小さい、その線が最終的にすべて交わる点)に該当する、絵の視覚的な中心のポジションを、其一は巧みな人物の配列で画面のど真ん中ではなくその上端の、御簾の位置に設定しているのだ。「夏秋渓流図屏風」の群青に引かれた金の線が奥から手前に流れる水を適確に表しているのと同様、ここにも其一が実は遠近法を完璧に理解し使いこなせる絵師だったことが、さりげなく示されてもいる。

だがそれだけ巧みでもやはり、この鈴木其一による尾形光琳アレンジの屏風は、全体を見れば明らかに、どこかがあまりに不思議で、「奇異」ないし「異様」ですらある。

画像2: 鈴木其一 三十六歌仙・檜図屏風 江戸時代・天保6(1835)年 個人蔵 【12月5日までの展示】

鈴木其一 三十六歌仙・檜図屏風 江戸時代・天保6(1835)年 個人蔵 【12月5日までの展示】

画像: 鈴木其一 三十六歌仙・檜図屏風 江戸時代・天保6(1835)年 個人蔵 左隻【12月5日までの展示】

鈴木其一 三十六歌仙・檜図屏風 江戸時代・天保6(1835)年 個人蔵 左隻【12月5日までの展示】

色彩豊かに濃い顔料で描かれた三十六歌仙の群像が、なぜか金に墨一色で対照的な、それも主題としても一見なんの関係もなさそうな檜の絵柄と組み合わされているのだ。しかもその左隻がまたそっけないまでに平面的で、右隻の群像の配列と余白と屏風の曲がり方が絶妙に醸し出す奥行きの感覚とまるで対照的だ。

画像2: 酒井抱一 編 『光琳百図』江戸時代・19世紀 国文学研究資料館蔵

酒井抱一 編 『光琳百図』江戸時代・19世紀 国文学研究資料館蔵

この檜の図様自体はやはり『光琳百図』に収められた光琳のパターンを踏襲しているが、八曲の極端に横長の画面に合わせて二つの別個のオリジナルを複合させている。

この光琳風の檜の葉の図様は、「夏秋渓流図屏風」にも組み込まれている。

画像: 鈴木其一 夏秋渓流図屏風 江戸時代19世紀 根津美術館蔵 重要文化財 左隻(部分)

鈴木其一 夏秋渓流図屏風 江戸時代19世紀 根津美術館蔵 重要文化財 左隻(部分)

ただし墨一色の簡潔さに対し、「夏秋渓流図屏風」ではその全体像の平面的な描き方は踏襲しつつも、檜の葉の一枚一枚を、胡粉の顔料を厚塗りして凹凸を立体的に浮き立たせている(胡粉盛り)。恐ろしく緻密な、手前のかかる作業であることは言うまでもないが、平面的なのに近づいて見れば立体であると言う、その見せ方もまた非常に複雑だ。

檜自体は、実のところ日本の絵画伝統でそれなりに人気のあった吉祥の画題で、真っ直ぐの檜も縦長の掛け軸に一本描かれることなら多かった。

画像: 酒井抱一 雪中檜に小禽図 江戸時代・19世紀 細見美術館蔵

酒井抱一 雪中檜に小禽図 江戸時代・19世紀 細見美術館蔵

縦長の掛け軸の構図にフィットして描かれた直立する一本の檜は、すくすくと真っ直ぐに伸びた檜の木が高級建材になり、仏像などにも用いられることから、まさにおめでたい図柄として、琳派に限らずその以前から、たとえば狩野派でも盛んに注文主に求められた画題だった。

画像: 狩野常信 檜に白鷺図 江戸時代・18世紀 個人蔵

狩野常信 檜に白鷺図 江戸時代・18世紀 個人蔵

逆に言えば、「夏秋渓流図」の真っ直ぐな檜の配列が奇異に思えるのは、縦長の掛け軸にならまことにふさわしいはずのそのフォルムが、本来なら場違いな横長画面に整然と並んでいるから、その構図との意図的としか思えないミスマッチゆえの効果なのだ。

酒井抱一は姫路藩主・酒井忠恭の孫で、武士の出身どころか大名の一族だ。それも戦国時代の徳川四天王の一人で徳川家康の側近・酒井忠次の子孫、酒井雅楽頭家といえば徳川幕府の老中や大老を輩出した家だ。その抱一は、やはり武士で文人画家の谷文晁とも交流があったというが、その谷文晁の描いた真っ直ぐの檜の絵は夏で、幹に蝉が止まっている。

画像: 谷文晁 檜陰鳴蝉図 江戸時代・19世紀 公益財団法人阪急文化財団逸翁美術館蔵 檜の幹にとまった蝉が、これが夏の絵であることを示している。

谷文晁 檜陰鳴蝉図 江戸時代・19世紀 公益財団法人阪急文化財団逸翁美術館蔵
檜の幹にとまった蝉が、これが夏の絵であることを示している。

その影響なのだろうか、「夏秋渓流図屏風」でも夏を描いた右隻では直立した檜の幹に蝉が止まっているのだが、これがまたあまりに不思議な描かれ方をされている。

画像: 鈴木其一 夏秋渓流図屏風 江戸時代19世紀 根津美術館蔵 重要文化財 右隻(部分) 檜にとまった蝉がまるで昆虫図鑑のように真横から描かれている。胡粉盛りで凹凸をつけた立体的な檜の葉のすぐ下で、その下には巨大な白い百合が目を惹く。

鈴木其一 夏秋渓流図屏風 江戸時代19世紀 根津美術館蔵 重要文化財 右隻(部分)
檜にとまった蝉がまるで昆虫図鑑のように真横から描かれている。胡粉盛りで凹凸をつけた立体的な檜の葉のすぐ下で、その下には巨大な白い百合が目を惹く。

え? なんでわざわざ、真横なの?

また其一は檜の幹にも師・抱一のような「たらし込み」はあえて用いず、谷文晁のようにボカシで幹の質感を出すこともせず、硬質な、現代絵画でいえばハイパーリアリズムのようなタッチで重厚に描き、蝉のすぐ上の葉は先述の通り「胡粉盛り」でわざわざ凹凸までつけて克明・緻密に描写する。

蝉も背中側か、斜めから描けば、羽根の形状の記号的な受容だけで「蝉だ」とすぐ分かるだろうが、其一はわざわざ真横から描く代わりに、まるで昆虫図鑑のような克明さで細部の描写まで徹底することで、蝉を蝉たらしめている。そこには確かに其一の卓越した画力が見事に現れているが、しかしその蝉はこの大画面のなかのごく小さなディテールに過ぎないだけでなく、そのすぐ下には比較でも明らかにスケール感がおかしい大き過ぎる百合が、真っ白に、これまた緻密かつ克明に、百合そのものとしては現実に忠実に、リアルな生々しさがリアルを超えるかのように描写されていて、視線がまずそちらに奪われてしまう。

つまり、夏を示す記号でもある蝉を見せるのに真横という分かりにくいアングルを鈴木其一が選んだのも、こんなに難しい角度からでもちゃんと蝉を蝉として見せられる腕を誇示するためだったなどとは、およそ考えられない。これは檜の葉の胡粉盛りも同じことだが、よほどこの屏風に興味を惹かれて近づいかないと気づかないディテールにばかり、この絵師はただごとではない自らの驚異の技量を込めているのだ。

This article is a sponsored article by
''.