不思議な絵だ。「異様」とすら言えるかも知れない。あえて限定された色数が濃厚かつフラットに塗られ、背景は一面の分厚そうな金箔。あまりに強烈な色彩の取り合わせに、「毒々しい」と感じる人もいるかも知れない。
いやそれを言うならいっそ「まがまがしい」と形容する方が相応しい、とさえ個人的には思う。あまりに濃厚な世界観の中には、なにかこの世のものならざる空気、異次元の、狂気にも近いなにかさえ宿っていそうだ。だからこそ、この屏風は観る者の目を釘付けにする。
なんの情報も与えられずに突然そこに立たされたとしよう。果たしてどれだけの人が日本の、それも19世紀前半つまり前近代のいわゆる古典・伝統絵画だと、すぐに言い当てられるだろうか? 強いて言えば屏風なんだから日本なんだろうとは考えられはするだろうが、筆者自身は初めて見た時には愕然というか唖然というか、「美しい」などの判断以前にただずっと目が離せなかったのは、その「異様さ」ゆえだったかも知れない。なんの光景が描かれた絵なのか、樹木が群生する山中を小川が流れていると把握・認識するだけでも、しばらく時間がかかったような記憶もある。
画面の下部にはフラットに、濃厚にというか「べったりと」と言ってもよさそうな群青が広がっている。近づいて見れば、そこには無数の細い金の線が複雑に曲がりくねっているのだが、その繊細さは遠目では見えにくい。
その線から「水」「水流」「渓流」をこの絵に読み取る前に、あまりに原色それ自体の存在感が強いので、青だから水だろうという「約束事」を思い出すだけでも、しばらく時間がかかってしまいそうだ。
地面であるはずの緑の色面も、苔か下草に覆われているのをそこに見る前に、フラットな緑青に目が囚われてしまう。
すべてが静止し、どこか異次元の世界に凍りついているようでもある。
植物だから緑、水なんだから青く塗ればいい、というのは子供の「お絵描き」の約束事みたいなものではあって、近現代の絵画教育でまっさきに叩き込まれるのはその真逆だ。水をよく見ろ、観察せよ、約束事通りの「青」イコール「水」なんて色彩は確かに、現実世界には存在しない。近代ヨーロッパ絵画史ならフランス印象派以降、それ自体は無色透明な水がさまざまな光を反射して周囲の色に染まっていくことが注視され、クロード・モネの「睡蓮」の水面が青いのも青空の時間帯を描いたときのみだ。ファン・ゴッホは広重や北斎の浮世絵で描かれた水の、空と同色の深く鮮烈な青(輸入品のベロ藍、化学染料のプルシャン・ブルー)に、日本の晴天の澄み渡った空気と影のない光を想像し、どんよりした曇天のオランダやパリから、その日本の光に憧れた。
だがこの屏風の場合、水が描かれているのならその渓流は山中の、真っ直ぐ伸びた木々のあいまを流れているはずで、晴天を反射してはいないはずだ。そして絵師にそのつもりがあったなら、もっと「水流」っぽい色の使い方にする上で参考にできる先例も、江戸時代後期にはいくらでもあった。
たとえば鈴木其一より数十年前に、「写生」の巨匠・円山応挙は京都の西北郊外・嵐山から先の、山奥に分け入る保津川の激流が観る者に迫って来るダイナミズムを、起伏と立体感もたっぷりの猛烈な勢いで描いていた。ここでも青は確かに使われているが、非常に薄く、要所要所にだけだ。岩には墨の濃淡を駆使して強い陰影を施し、水で湿って黒ずんだ岩肌をより深い墨で描くことで、青ではなく白が基調の、線の密度でグレーのグラデーションを作り出した陰影のアクセントのようにほのかなライトブルーを差すことで描かれた水流が、よりドラマチックに際立つ。
ここでも金は使われているが、純度によって色合いが異なる金箔を細かく切って画面上に散らした金砂子と、金泥(金粉をにかわで溶いて絵の具として使うこと)の、色や反射率の違いを巧妙に使い分け、ぼかし効果も交えつつ、金を光と陰影の巧みな描写の一部にしている。
実はぜいたくに金を使っているのに、それを「金」として見せるのではなく、強いて言えば祥雲のように扱って「写生」的にリアルな風景描写に巧みに組み込むことで、応挙は大自然のダイナミズムをなにか神々しいものへと昇華させた。こうした金泥と金砂子による光の表現を、応挙はすでにたとえば「雪松図屏風」(国宝・三井記念美術館蔵)の雪景色の澄み切った朝日に映える松の木々を描いた時にも用い、まばゆいまでに純粋な、ほとんど神聖な美に到達していた。
この最晩年の大作「保津川図屏風」(もしかしたら絶筆かも知れない)で、その効果はさらに複雑ななニュアンスを増し、かつ洗練されてもいる。「雪松図屏風」の金が映し出していたのが澄み切った雪の朝の光なら、「保津川図屏風」の金は山中の刻々と移ろい行く日光と曇天の交錯を、水煙や霞も含めてその時間経過までも川の流れに写し込んでいる。
比較するなら、「夏秋渓流図屏風」の画面下部の濃厚な群青と、フラットなのか立体的なのかもよく分からなくなる色の塗り方は、あたかもこうした「写生」的なリアリズム、あるいは「分かりやすさ」を、あえて拒絶しているかのようにも一見思える。
「夏秋渓流図屏風」が飾られた部屋に入った時、我々はまず遠目に見ることになるが、その距離では「青」イコール「水」という「約束事」が念頭に浮かばない限り、なにか粘性の青い物質か、それこそホラー映画のモンスター的ななにかが、なにやら不定形にじわじわと広がっているかのようにすら見えるかも知れないし、あるいはそもそもこの群青の物体がなんなのか、抽象的な色面と見るにもあまりに形が不定形で複雑すぎて、わけが分からなくなりかねない。
もっとも、もちろん応挙の「保津川図屏風」は淡彩で、濃彩の金屏風である「夏秋渓流図屏風」とは使われている手法が、現代美術の用語を援用するなら「メディアが違う」と言っていいほど異なっている。膠で溶いた濃い顔料で描くときには、水なら水を一面の青に塗ることも、室町時代や安土桃山時代、江戸時代初期には当たり前になっていた「約束事」ではあり、観る側は当然その約束事を前提にこの鈴木其一の屏風と向き合っていたはずだろうと言われれば、確かにその通りかも知れない。
だいたい、江戸時代の絵画に「写生」の概念を持ち込んで京都の四条・円山派を創始したのが応挙で、その応挙や伊藤若冲らよりひと世代かふた世代前の尾形光琳の業績を、百年余りを経た江戸で「再発見」して復興させた酒井抱一と、その弟子の鈴木其一は「江戸琳派」だ。そもそも流派が違うではないか、と言われてしまうなら、それもまったくその通りだ。
こと琳派では、そのフラットな色面に金や銀の意匠化・文様化された水紋を描き込んで水そのものをデザイン化するのも、光琳の「紅白梅図屏風」(MOA美術館・国宝)や、其一の師・酒井抱一の「夏秋草図屏風」(東京国立博物館・重要文化財。本展では12月7日〜19日に展示)でおなじみの、まさに琳派ならではのトレードマークのような表現だ。
とはいうものの、「夏秋渓流図屏風」で鈴木其一が描いた水の流れはそうした光琳的、あるいは抱一的な意匠化された水とは、異なってはいないか? 複雑に、無数に枝分かれした得体の知れないその群青のフォルムは、光琳や抱一の、幾何学的に抽象化されてはいても水、川を表していることは明らかなパターン紋様とは、別次元のなにかに思える。