実は超一流の絵師の作?「鳥獣人物戯画・丁巻」のミステリアスな「ヘタウマ」
「人物」がいない「甲巻」とは正反対に、「丁巻」となると今度は人間が乗る馬以外は「鳥獣」がいない。なんのために描かれたのか分からないという点では、「丁巻」は「甲巻」ですらその比ではないほど謎めいている。一見すると乱雑に見えるその筆致は文字通りの「戯画」、ただの落書きスケッチ、目についたもの、思いついたものを殴り描きしたようにようにも思えてしまい、他の3巻の絵師の丁寧な描写から絵師の技巧の高さがよく分かるのとは対照的だ。
なぜこの異色の1巻が他の3巻と合わせて「鳥獣人物戯画」全4巻として伝えられて来たのかも不明だ。従来は甲・乙の2巻が平安時代後期の院政期、丙・丁が鎌倉時代の作と考えられて来たが、「丙巻」に関しては特に前半は元々が平安時代末期、甲・乙の両巻とさほど変わらない時代に遡る可能性も出て来ているのに対し、「丁巻」は明らかに鎌倉時代13世紀の作と考えられている。
一見ただの殴り書きのいたずら書きにも見える「丁巻」だが、だからこそ実は相当に腕がある絵師が描いたものなのも明らかだろう。粗雑な素描に見えながら、その走り書きのような勢いのある線がいちいち適格で、省略・抽象化を駆使し細かな描写を避けながらも、人物たちの動きを精確に捉えているのがまずひとつ。
しかもこの絵師は、実は自分がものすごく巧みであることの証拠をちゃんと一箇所描き込んでいる。この抜粋画像の、大きな丸太を皆で引っ張っていて、綱が切れて先頭の一団がひっくり返っている場面に続くのが法会のシーンなのだが、そこに参列している右端の束帯姿の貴族が、この大騒ぎに気を取られて振り返っている。「丙巻」と同様に「丁巻」にもつなぎとなる背景の風景描写はなく、代わりにこの部分では「丙巻」の前半にも随所にも見られた、異なった場面の前後をつなぐ仕掛けが見られるわけだが、その振り返った顔だけが、極端に精緻でリアルな人物像なのだ。
つまり絵師は、自分は本当はここまで描けるのだ、とここでさりげなく自己主張することで、見る者がここまで見て来て形成していた先入観を、さりげなくひっくり返してもいる。見事な茶目っけに満ちた知的遊戯だ。
「丁巻」に見られる知的遊戯の側面といえば、その法会のシーンは明らかに「甲巻」のクライマックスのカエルの本尊と猿の僧正のシーンに呼応しているし、その前に来る「木挽き」は「丙巻」の後半の、祭りの台車をサルとカエルが引っ張っている乱痴気騒ぎを下敷きにしている。 このずっと前にある、僧侶と修験者の験比べ(宗教者が己の霊力を競い合うこと)は、サルとカエルの僧侶たちの験比べのシーンがやはり「丙巻」の後半にある。現状は「丁巻」から抜け落ちてしまっているが「甲巻」のカエルとウサギの相撲に呼応するような人間の相撲のシーンの断簡も現存し、MIHO美術館が所蔵していて今回の展覧会に出品されている(後期展示)。
つまり「丁巻」はどうも、すでに少なくとも「甲巻」と「丙巻」の後半がまとめて所蔵されていて、ひとまとまりの作品として認識されていたことを踏まえて、その両作を受けた模倣作かパロディ、オマージュとして描かれたのではないのか?
そもそも甲・乙・丙・丁の4巻が「鳥獣人物戯画」としてまとまって伝来しているのは、それがいつからなのかも不明だし、当所からひとつの作品としてまとめられる意図があったのかも分からない(というか、恐らくそんな意図はなかったのだろう)。だが鎌倉時代に「丁巻」が描かれた時には平安時代後期の「甲巻」と、その「甲巻」の延長と考えられる「丙巻」の後半を下敷きにしたという推論は、描かれている主題から十分に成り立つのではないか?
そうだとしたら、「丁巻」の作者が「丙巻」の後半は参照していても、その前半への言及にあたる描写が見られないことから、「丙巻」の現在の前後の順序とは異なり、後半の動物たちが先に描かれて前半の人物群像はその裏に後から描かれたのかも知れない。とにかく「丙巻」は末尾の「建長五年」という年号以外にこれと言った手がかりもなく、しかもその年号が別紙を継いだ部分に書かれている以上は、この年号が意味するところも(例えば描かれた年号なのか、裏表を剥いで前後に接合して一枚の絵巻として完成させた時なのか)、よく分からない。
今回の展覧会では、「鳥獣戯画」全4巻を収めるための大きな白木の素地の木箱と、見事な蒔絵で藤の文様を描いた豪華な内箱も展示されている。これは江戸時代初期に、後水尾天皇の中宮として江戸の徳川幕府から嫁いだ、二代将軍・秀忠の娘で三代将軍・家光の妹の徳川和子(読みは「まさこ」、東福門院)が寄進したものだ。
ということは、少なくとも安土桃山時代には、「鳥獣人物戯画」は現在の形の全4巻としてまとまって伝来していて、江戸時代にはとても貴重なものとみなされていたことが分かる。
最新調査で分かってきた「鳥獣戯画・甲巻」の意外な真実
先述の通り「丙巻」には前半に明らかに一箇所、本来あった場面が抜け落ちている場所が確認できる(欠落部分の両端にいた人物のつま先だけが、つなぎ合わせた部分に残っている)。前半と後半が裏表の紙に描かれていたということは、人物群像の欠落部分の裏側に描かれた動物のシーンも欠落しているのかも知れない。
「丙巻」の欠落部分の現存は確認されていないが、「甲巻」は抜け落ちた部分が5箇所、さらに「丁巻」の1箇所が「断簡」として伝来しており、その全ても今回の展覧会で展示されている。
また「鳥獣戯画」は少なくとも安土桃山時代には有名で高い評価を得ていたと見られ、この時代に写された模本が複数、今回の展覧会で展示されている。中には江戸時代初期に、幕府御用絵師で狩野派の地位を確立した狩野探幽が「鳥獣戯画」を見て内容をメモ的に写した「探幽縮図」もある。探幽は自らの研究の創作メモとしてだけでなく、弟子たちや後代の狩野派の絵師が参照できるように、さまざまな古典の簡略な写しを「探幽縮図」として描き遺したのだが、「鳥獣戯画・甲巻」もそうした狩野派が参照すべきお手本の古典だったわけだ。
そうした「鳥獣戯画」の「甲巻」模本の中で最も古い「長尾家旧蔵本」は室町時代の、15世紀か16世紀の写しだが、これには現在の「甲巻」にはなく、「断簡」としても現存していない場面が多数含まれている。安土桃山時代の模本にもいくつか、現存しない場面が含まれていることから、現在ある「甲巻」はどうもオリジナルが描かれた平安時代からの長い歳月のあいだにいくつもの場面が抜け落ちて、桃山時代か江戸時代の初期に現在の形になったことがうかがわれる。
展覧会の後半は、コロナ禍にも関わらずアメリカの美術館が所蔵するそうした「鳥獣戯画」の写しも取り寄せて、現在の形になる前の「甲巻」の姿の再現を試みているが、そこで浮かび上がって来る事実がまた驚きの、まさに「目から鱗」だ。
まず「甲巻」自体の展示の前に、実は前半と後半で紙の質が異なり、筆遣いも前半の方が線が太く後半の方が細い線の緻密な描写になっているという説明パネルがあり、実際の展示にも「ここから後半」というマーカーがあった。つまりどうも、現在は1本の絵巻物になっている「甲巻」は、元は別々の2つないしそれ以上の巻数の絵巻物が、別人によって描かれていた可能性が高い、というのだ。
さまざまな断簡や、現存しない部分を含む写しを照らし合わせた時に浮かび上がる、「甲巻」が当初に描かれた時の姿が、実に衝撃的だ。前半はほぼ、元に描かれた通りそのままの順序なのだが、ただしあまりに完璧な出だしに思えた、山の中の小川での水遊びのシークエンスは、本来は冒頭ではなかった。動物の擬人化表現がそこまで極端ではない、動物でも人間でもそうアクションが変わらないから出だしにぴったりに思えたこのシーンの前には、カエルの船頭が漕ぐ舟に乗ったウサギやサルたちが貴族に扮し、管弦の船遊びに興じているという、極端に擬人化されて、貴族社会を風刺しているかのような場面があり、川と水つながりでそこから水遊びのシーンになっていたのだ。
絶妙な流れでアクションがエスカレートしていく展開に見えた後半に至っては、現存する断簡のすべても後半に属することも含め、元の絵巻をかなり細かく分解して、再構成していたものだった。組織宗教がしばしば権威をかさに着た欺瞞と偽善に陥りやすいことを風刺して完璧なクライマックスになっていると思われたカエルの本尊とサルの僧正の法会も、元の絵巻ではラストではまったくなかったらしい。「丙巻」の後半のラストと同様に突然ヘビが登場し、動物たちが一目散に逃げて誰もいなくなってしまうのが、本来の終わり方であったらしいのだ。
しかもこれは完全に確定した結論が出せることではなさそうだが、現在の後半の基になっている絵巻がまず最初に描かれ、現在の前半はその後に、最初の絵巻を参照して描かれた2巻目の絵巻物だった可能性がある。だとしたら、現在の「甲巻」はそもそも、大胆にも前後を逆に入れ替えていることになる。
あっけに取られる意外な真相だ。
展覧会の最初の方でワクワクして見た「甲巻」は、現存している断簡の、鹿を馬に見立てた競馬でサルがウサギの耳を引っ張って追い抜こうとし、そのサルが今度は落馬してヒザを抱えて痛がっている二つのシーンなどを元に戻せばより完全な「ディレクターズ・カット」的な物語や教訓を伝える風刺画になるような気もするものの、実に見事な流れと展開でまとまった傑作に思えた。だがその完璧さは実はオリジナルの意図ではなく、後代のいわば「再編集」によって到達したものだったことになる。
展覧会ではパネル展示で、描かれた当時の姿に近い元の2巻の絵巻物が再現されているが(ただしどちらも出だしがどうであったのかと、現在の前半の元になっている2巻目の絵巻はラストも判然としない)、率直に言ってしまうとこの「完全版」がもし現存していたとしても、今ある「甲巻」ほどの傑作ではなかっただろう。
「乙巻」がいわば動物図鑑、つまりさまざまな動物の羅列で、「丙巻」「丁巻」がそれぞれに、つなぎの工夫こそ随所に見られるもののやはり基本的にさまざまな光景の羅列であるのに対して、「甲巻」だけが一連の大きな流れとしての構成を持っていて、そこになんらかの純粋視覚表現による物語すら見出せるようになっているのも、元の配列では恐らくそんな印象にはほとんどならず、「丙巻」「丁巻」と同様のシーンの羅列だった。逆にいえば乙・丙・丁の3巻の構成は、元は「甲巻」の構成を踏襲してそれに似通ったものだったことになるだろう。
今ある「鳥獣戯画」の「甲巻」がもっとも人気がある国宝のひとつになるほどの傑作で、近現代のマンガ家やアニメーション作家に計り知れないほどの影響を与えているのは、時代の変遷の中で何百年もかかって「完璧な表現」に到達していたからこそ、なのかも知れない。