「まず距離を置いて見る」を前提とした、応挙の新たな美学の視覚トリック

三井記念美術館のメインの第4展示室は、もっとも奥のガラスケースにこの「雪松図」を展示するために、意図的に縦長に設計されているという。最初に展示室の入り口から、離れた距離でこの屏風が目に入ると、誰もがまず気づくのは空間の奥行きと自然な立体感、そこから湧き立つ松の存在感だ。

当時すでに八代将軍・徳川吉宗の享保の改革で蘭学、つまりオランダ経由の西洋の文献が解禁されていたので、西洋絵画の遠近法や陰影法の効果も主に書籍の銅版画挿絵を通して伝わり、やがて江戸時代後期の浮世絵版画黄金時代に遠近法の独創的な応用が逆に西洋絵画を刺激さえすることになるし、やはり吉宗が招聘した清朝の画家・沈南蘋の細密描写リアリズムが、リアルタイムに江戸中期の日本美術に多大な影響を与えていた。

画像: 沈南蘋 三井家の北家が所有した「花鳥動物図」全11幅のうち2幅、「柳下雄鶏」(右)と「白鸚鵡」(左)、中国・清時代 乾隆15(1750)年 明治天皇の皇后・美子妃のための茶会で掛けられた2枚・後述

沈南蘋 三井家の北家が所有した「花鳥動物図」全11幅のうち2幅、「柳下雄鶏」(右)と「白鸚鵡」(左)、中国・清時代 乾隆15(1750)年 明治天皇の皇后・美子妃のための茶会で掛けられた2枚・後述

「雪松図」の立体感にも、そうした影響関係を指摘するのは簡単だ。左隻の「雌松」なら画面の奥に伸びる枝と手前に迫って来る枝の複雑な入り組み方の緻密な写実性と、松葉に積もった雪のこんもりした丸みも印象的だ。

だがこの緻密に見えるリアリズムの詳細を、沈南蘋のような超細密描写を期待して間近で見ようと(昨今は単眼鏡を携行して肉眼では見えない細部まで熱心に見る人も少なくない)近づくと、とたんに応挙の「写生」のマジックは雲散霧消してしまう。立体的に見えたものは途端にフラットな、白い紙の上にリズミカルかつ規則的に並んだ墨の線の羅列になってしまうのだ。

応挙が得意にしていた墨の濃淡の無限のグラデーションも、「雪松図」ではほとんど使われていない。大部分が一定の濃さの黒墨で描かれ、一度に擦った墨で一気に描かれたと思われる。真っ白な雪の周囲は線が少なく、枝の下側になるほど一本一本の濃さが一定の墨の線の数を増やすことで、陰影と立体感に見えていたのだ。あとは一部に薄墨がところどころアクセント的に使われているだけで、しかも薄墨は薄墨でこちらの濃さもやはり一定だ。

展示室の設計コンセプトにも反映されているように、「雪松図」はまず遠くから、距離を置いて見ることを前提に描かれているのだ。このことから2点、この傑作が描かれた背景と応挙のコンセプトについて気づかされることがある。

画像: 縦長の展示空間の向こうに「雪松図」を見る

縦長の展示空間の向こうに「雪松図」を見る

第一に、この陰影と立体感の表現方法は西洋の銅版画によく似てはいないか? 銅版画は一定のインクの濃さでしか印刷ができないので、虫めがねや拡大鏡で見ると、陰影などのモノクロームのグラデーションは線の太さと、細かな線の密度によって表現されている。「雪松図」はいわば、そんな銅版画の陰影表現の手法を極端に拡大したような描かれ方になっていて、一定の距離から見ることで初めて雪を頂いた松の枝が立体的に浮かび上がる計算なのだ。

当時は宗教以外の蘭学文献は解禁されていて、伊藤若冲には構図やモチーフの類似性から書籍の銅版画挿絵を参照した可能性が指摘されている作品がいくつかある。応挙と若冲はほぼ同時代に同じ京都で活動していたので、応挙もまたそうした西洋の銅版画を見ていてもなんの不思議もない。それにしてもこんな緻密な計算が必要なことを、筆の勢いと一定の墨の濃さから推察するに、応挙は一気呵成に描いたはずだ。筆を取った時には頭の中であらかじめ、イメージどころか複雑な枝の前後まで含めた配置と、その明暗の計算まですべて出来上がっていたに違いない。

第二に、「雪松図」がこれだけ離れて見られることを前提に描かれているということは、この絵はやはり武家や公家の屋敷や、彼らが寄進した寺院に置かれるよう描かれたのではなく、確かに町人階級のためにこそ描かれた屏風だったはずだ。

大きな武家屋敷や、寺院の書院や方丈・客殿ならば、たいがいは南側を正面に、庭などの開かれた空間に長い縁側を設けて、光をふんだんに取り込める横方向の広がりで屋内空間が構成される。そこに屏風を飾るのならばまず庭に向けてだろうし、調度品としては庭側に開かれた空間と屋内を仕切るのにも使われたかも知れない。いずれにせよ、見る者は横から屏風の置かれた室内に入って座るなどするわけで、全体を見るには鑑賞距離が近すぎて、むしろ部分・細部に注目することになったはずだ。現に屏風絵では四季を描き込む「四季花鳥図」や「四季山水図」など異時同図法もよく用いられるし、「洛中洛外図屏風」のように緻密な描写を間近に見ることが主眼で、画面構成上絵の全体を見ることがそこまでは重視されていないケースや、面ごとに別の絵が描かれた屏風も多い。狩野永徳が得意とした大画様式では獅子や大木が画面いっぱいに描かれているが、これも細部に至る描写の細かさから、近くで見てその迫力に圧倒されつつ微細な部分にまで金のかかった豪華さを印象付けることが狙いか、安土城や桃山城などのだだっ広い空間に置かれることを想定していたのだろう。

一方で近世の商人・町民の居住・活動空間であれば、都市の町人地は間口の幅に応じて課税されていた。この政策で通りに面して出来るだけ多くの店舗が並ぶことになり、都市の賑わいと商業の発展が促されたのだが、結果として商家は豪商の屋敷であっても間口は限定され、俗に「うなぎの寝床」と呼ばれるような極端に縦長の空間構成になった。

通りに面した表・正面からいくつも部屋が続き、その奥の部屋に「雪松図屏風」を置き、間仕切りの襖を開け広げれば、来訪者はまず縦方向・通りに対して直角に部屋が続く細長い空間のその先に、この絵を見ることになる。三井記念美術館の縦長の展示室は、この商人の町家ならではの空間性をシミュレートできるようになっているのだ。

この見せ方の特殊性は、「雪松図」の屏風絵としては異例な空間表現の、広がりを感じさせるよりも空間を切り取り限定するかのような描き方にも関連しているのかも知れない。写真や映画でいえば広角の画ではなく、望遠レンズで撮ったかのような狭めの画角は、人間が凝視した時の視野の広がり(写真でいえば35mm版で80〜85mm前後の焦点距離の、中望遠レンズ)にほぼ一致していて、だから遠くから、部屋が長細く連なった空間の先の、庭がある手前に「雪松図」が置かれていれば、本当にそこに松が3本立っているかのような錯覚にすら襲われるだろう。

画像: 人間が凝視した時の視野に近い中望遠レンズで撮影。画面内の遠近感とほぼ連続する

人間が凝視した時の視野に近い中望遠レンズで撮影。画面内の遠近感とほぼ連続する

応挙は絵師となる以前はオランダから輸入された光学レンズを使った「眼鏡絵」という立体イリュージョンの光学おもちゃの絵を描いていたと言われるが、それだけにこうした人間の視覚の光学的特性、人が科学的・物理的にどう世界を見ているのかも理解し尽くしていたのかも知れない。

というか町屋造りの、横から光が入らない部屋の連なりの奥、光源となる庭の前に雪松図を置くことは、まるで眼鏡絵を人間が入れる大きさに拡大したような光学効果に近い。

絵は平面でも屏風は立体、そこを計算し尽くした応挙の作り出した驚き

そこがまた、「雪松図」の空間処理のもうひとつのユニークな特徴にも通じている。屏風は折り曲げて立てて使う調度品なので、絵が描かれた面は平坦ではなくなる。絵そのものは平面でも、屏風として飾られた時には立体なのだ。とはいえ久隅守景の「納涼図屏風」(東京国立博物館蔵)のように曲げて斜めに見えることを逆算して建物の表現を工夫したり、尾形光琳の「燕子花図屏風」(根津美術館蔵)のように立体として見られることを計算してあえて画面上の表現はフラットに徹したような例はあるものの、ほとんどの屏風絵は曲げて立てた時の見え方をそこまで意識してはいない。中には狩野永徳の「檜図屏風」(東京国立博物館蔵)のように、本来は襖絵で完全に平面だったものを屏風に仕立て直した作例すら少なくない。

だが屏風が折れ曲がった面を持った立体として見られることは、徹底して立体感を表現しようとした時に、厄介な問題を引き起こす。

古典的な空間遠近法は通常、画面中央に消点を設定し、描く空間内の全ての平行線を究極そこに収斂させることで奥行きを表現する。鑑賞者はその消点に正対し、視線が画面に対して垂直に交わることが前提になる。正面ではなく斜め前から見るように置かれる絵の場合、消点を中央からズラすことはできるが(有名な例がレオナルド・ダ・ビンチのデビュー作「受胎告知」で、消点は右側に座った天使の背後に設定されている)、屏風を立てた状態では絵が描かれた面自体が縦方向に分割され、鑑賞者の視線に対してふた通りの角度で互い違いに並んでしまうので、単一の消点を決めようがない。

絵自体は平面であっても立てた状態の屏風は立体になり、折れ曲がっているので鑑賞者が見る角度も一定にはならない。とは言えほとんどの屏風絵ではこの屏風の立体性と、それゆえに様々な角度から見られる可能性が意識されている訳ではなかったのが、「雪松図」で応挙は角度によって松の見え方が変わることすら計算して、絵に取り込んでいるのだ。

応挙のビジュアル戦略がもっとも顕著に現れているのが、右隻の雄松だろう。右隻には一本の、幹が真っ直ぐの斜めの松、左隻には繊細に曲がった枝ぶりの松が二本描かれて「雌雄」の対比になっていると言っても、正面から、遠くから見た時には左右の印象に大きな違いはなく、全体が調和した松林の風景を一部だけ切り取ったように見える

だが展示室内を進み、つまり京都の商家の町家の屋内空間をシミュレートするなら奥に向かって連なる部屋を案内され、屏風の飾られた部屋に入り、例えば右側に設けられた床の間に向かって座るか、床の間が左側ならそこを背にした上座に座ると、屏風を左斜め前から仰ぎ見ることになる。

画像: 円山応挙「雪松図屏風」江戸時代18世紀 北三井家旧蔵 右隻の雄松は左斜め前より見ると、とたんに強烈な遠近感でそびえ立つ松の木になる

円山応挙「雪松図屏風」江戸時代18世紀 北三井家旧蔵
右隻の雄松は左斜め前より見ると、とたんに強烈な遠近感でそびえ立つ松の木になる

その位置から、畳に座った目の高さで右隻の「雄松」を見ると、堂々たる迫力で上にまっすぐ伸びる松が突然目の前に迫って来る。視点が左から数えて偶数の面にほぼ正対した時に、角度が逆になる奇数の面も含めた全体の画面構成の消点は画面右上のさらに外に設定され、ダイナミックな遠近感で幹の存在感が際立つのだ。

写真や映画に例えるなら、遠くから見た時には望遠レンズの構図だったものが、左斜め前に座ったとたんに広角レンズのローアングル構図で見上げるようになり、松がそびえ立つ。応挙は屋内に通された客が屏風に近づいた時に、距離を置いて見た時とは絵の見方がまったく変わることまで計算して、このまったく異なった迫力を同じ画面内に描ぎ込んでいたのだ。

「雪松図」はありふれた自然が奇跡の輝きを放った一瞬を切り取った絵であると同時に、視点を変えることつまり移動と、その移動にかかる時間性が取り込まれ、鑑賞者がその運動で別の見方を発見した瞬間に、遠目には静的に見えた画面そのものが、ダイナミックな運動性を持って躍動する。静止した一瞬であると同時に、運動と時間をも内包した表現でもある。

This article is a sponsored article by
''.