国宝 阿弥陀如来坐像 平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院

なんとやさしい像だろう。さほど大きくない(象高62.5cm)せいもあって威圧感はまったくない。均整の取れたプロポーションの穏やかな造形は、いかにも平安時代の中後期に完成した「定朝様」らしい静謐なたたずまいだが、同時代に多い完成された様式美からさらに一線を超えたような、温かな人間味と柔らかさが、たとえば自然に曲げられた肘から前腕、丸みを帯びた肩のラインに感じられる。

なによりもこの阿弥陀如来像に心惹かれるのは、まるで童子か少年のような顔立ちだ。

うっすらと下向きに開いた眼と自分の視線がちょうど合うアングルから見上げると、ふっくらした頬はまるで子どものように愛らしい。

国宝 阿弥陀如来坐像 平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院
中尊寺金色堂には三つの須弥壇があり、建立当初からある中央壇の本尊

このなんとも人間らしいやさしさと愛くるしさをたたえた顔には、定朝様に典型的なある種の無表情というか、達観した超越的な風貌とは違った何かを感じる。子供のほっぺたのような張りがある表現であるとかは、のちの運慶ら慶派にも通じるというか、鎌倉時代を先取りした感覚もある。

ちょうど今、大きな局地紛争が地中海・黒海沿岸の二ヶ所で凄惨を極めている時にこの像と向き合うことになったのは、ただの偶然だろう。だがこのたおやかでやさしい仏像を見ているうちに心の奥底から浮かんで来るのは、「この人たちは、本当に戦争がいやだったんだ」という感慨だ。

国宝 地蔵菩薩立像 平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院
金色堂の中央壇で阿弥陀如来坐像を囲むように安置された六体の地蔵菩薩立像のうち三体

戦争で苦しむのは最も弱い者たち、とよく言われる。

とりわけガザへの攻撃では子供と女性の犠牲があまりに多く、泣きながら逃げまどい、傷つき、血を流し、親を失って呆然とし、あるいは自らも命を落とす、それでも天使のような純真な顔の子供たちの映像や写真を日々見ないわけにはいかない中で、子どものような頬をした阿弥陀如来や、やはり子供のように愛らしい六地蔵に、「平和への祈り」などという抽象では済ませられない、「戦争はいやだ」というダイレクトな感情を、今はどうしても覚えてしまう。

国宝 地蔵菩薩立像 平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院

もちろん今、これらの像を間近に見られるのは、中尊寺金色堂の建立が今年900年だからであって、凄惨な戦争が起こっていたり、日本国内でも大きな地震の傷痕が日々報じられるのと重なってしまっているのも、単なる偶然のはずだ。

国宝 地蔵菩薩立像 平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院

世界史を動かした黄金伝説の阿弥陀堂

国宝 増長天立像 平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院

奥州・平泉の中尊寺にある、全面に金箔が施された金色堂といえば、一説にはマルコ・ポーロが「東方見聞録」に書いた「黄金のジパング」伝説の元になったという説も一般常識の部類だろう。その「黄金のジパング」を夢見たコロンブスがアメリカ大陸に到達した航海に乗り出し、そうして始まった西洋文明の征服が、落としどころのない植民地侵略へと拡大した禍根と延長が、現代にも続いてしまっている。

NHKの「8K文化財」として金色堂を外部も内部も膨大な写真データでスキャンして、ヴァーチャル空間内にその全体を再構築した8K高品位画質の立体CGが、会場入り口に実物大で8K画質のまま映写されている。
8KCG:©️NHK/東京国立博物館/文化財活用センター/中尊寺 8K:©️NHK

その意味で、実はこれほど世界史を根底から変えるきっかけになった建築物もないのかも知れない。