映画作家舩橋淳の「社会の24フレーム」連載 第7回
FRAME #7:まだ見ぬ映画言語のためのアプローチ論(3)
【まず最初に、ロシアによるウクライナへの侵略戦争が一刻も早く終わることを願う。 映画も芸術もまず人間の命があってこそのものだから・・・】
(前回より続き)
監督・脚本家が決めた言葉を発するのでなく、俳優本人が本人の意思で発話・行動しているかのように画面に映るにはどうすれば良いのか。
突き詰めて考えれば時考えるほど、「演技する/なりきる/フリをする」の境界線がわからなくなり、むしろ総じて「他人の意思に従って動くこと」の限界が浮き彫りになる。他人に命じられて動くのに、自分の意思で動いているかのように見えることは、本質的に不可能であり、ありうべき可能性としては①他人に命じられて動いているが、ど...