映画作家舩橋淳の「社会の24フレーム」連載 第6回
FRAME #6:まだ見ぬ映画言語のためのアプローチ論(2)
【まず最初に、ロシアによるウクライナへの侵略戦争が一刻も早く止むことを願う。 映画も、芸術も、まず人間の生活があってこそのものだから。】
(前回より続き)
僕は劇映画もドキュメンタリーも両方撮る、雑食のタイプの映画作家だと前回述べたが、両者を交互に撮るようにフィルモグラフィーを重ねていると互いのアートフォームの違い、もっと言えば、各々の長所と短所をより意識するようになる。
第1作以来、アメリカでも日本でも劇映画の撮影現場で僕自身がもっとも手を焼いた縛りは、撮影の「段取り」だった。どんな演技も演出も、この段取りという「箱」に嵌められなければいけなかった。時間が区切られた中でキャメラ、照明、...