日常会話の場面ではどんな音楽が流れているか

柳下
これは鈴木さんにもお伺いしたいんですが、例えば、室内で人物が喋っている場面など、トーキーでは絶対に音楽が入らないところがあるんです。伴奏していて、そこが一番難しい。例えば、次の場面にピストルの音が鳴るとか、人物の心理に何か動きがあれば音は入れやすいです。また、音を抜くという場合もあります。音を抜くとかえって緊張するので、そうしたタイミングは覚えておきます。でも、人が日常の会話で喋っているときには、必ずしもそこに心の動きがあるわけではない。だから、自分の中では迷いつつ、次の展開を考えながら、さりげなく弾いたりしています。

全体としては大体の流れを覚えて、準備していく段階で、それを繰り返し弾きながら見ていきます。鈴木さんの場合は、電子音だけでもさまざまな音色が出せるので、選択肢がものすごくあると思うんですが、私の場合は画面を見ながら「こういう感じじゃないな」とか、音と一緒にタイミングを計りつつ、ピアノの高低や速さ、リズムや調を変えていく。ただ、そのときの会場の雰囲気も影響します。例えば、会場が落ち着いた感じだと「少し下の位置から弾いた方がいいかな」とか。だから、きっちりと設計図を作っていく鈴木さんとは対照的に、私はその場の雰囲気や映画と対峙することから生まれるもので伴奏しているので、振り幅は大きい気はしますね。

鈴木
会場の雰囲気によって、即興で何調にするかはその場で決めているんですか?

柳下
そのときの自分のインスピレーションを大事にしていますね。でも、伴奏は作品全体に対する私自身の解釈なので、それほど変わらないと思います。精密ではないけれど、自分の中でざっくりとしたイメージは決まっている。その中で、微妙な変化があるという感じです。

最近、小津安二郎監督の作品伴奏が続きました。先ほどの言動に相反するのですが、映画に沿った伴奏は少し違うのではないかとも感じています。小津監督は、後期の作品の音楽を数多く手がけられている斎藤高順さんに対して「お天気のいい音楽」と言っているのですが、それは例えば、悲しい場面でも明るい音楽を流すという意味なんです。悲しい場面だからといって、音楽も同じようにウエットに寄っていかない。私は最近まで物語に寄った、輪郭を太くする伴奏をしてきました。それで『出来ごころ』(1933)という作品の伴奏をしたのですが、まず最初に浪曲から始まるんですね。浪曲をピアノでやるというのも何だろうって感じですが(笑)、以前はそこに浪花節的な日本のメロディー、いわゆる「ヨナ抜き音階」的なものを入れていたのですが、前回は違うアプローチをしました。

同じ浪曲が流れる千葉泰樹監督の『嬉しい娘』(1934)は途中でラジオから『出来ごころ』と同じ浪曲『紺屋高尾』が流れる場面があるんですが、そのときは浪曲師の篠田実さんの音源を流したんです。そうしたら、時間がピッタリ合いました。それに対して、『出来ごころ』は浪曲の合間に客で見ている主人公・喜八の動きや心理に振っていくので尺がまるで合わない。だから、私も単純に浪曲の伴奏をするのではなくて、喜八に寄りながらの伴奏でした。前回はほとんど喜八寄りになりました。試行錯誤の日々です。この30年間で積み重ねてきた自分の年齢や経験によるものが伴奏になっていきますので、これが正解というものはないように思います。

『出来ごころ』本編映像

画像: PASSING FANCY (Dekigokoro), 1933 youtu.be

PASSING FANCY (Dekigokoro), 1933

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鈴木
ここしばらくは柳下さんの伴奏を見ていないので、前と変わったかどうか分かりませんが、前にキーボードやシンセを使ったり、サンプリングを使った伴奏もやってませんでしたか?

柳下
ええ、以前にそういう形で国立映画アーカイブで伴奏した時期はあります。ただ、現在はリハーサルの時間も制限されて、そういうものを仕込む時間があまり取れないので、最近はしていません。電子音楽などは、本当は鈴木さんに習いたいぐらいです(笑)。自分の中ではいろいろと模索はしているし、現代音楽も好きなので、自分の感覚でやってはいるのですが、機材の使い方が分からないし、あり物の音色を選んでやっている感じなので。

鈴木さんが以前に手がけたF・W・ムルナウ監督の『タルチュフ』(1925)では、電子音を鈴木さんが演奏しつつ、クラリネットやギター、バイオリンやピアノなどのアンサンブルが入っていましたよね。そこでお聞きしたいのは、やはり先ほどの日常的な会話の場面などは、どういう解釈でやっているんでしょうか。

鈴木
僕の場合は会話があるかないかは重要ではなく、その場面の空気がどうなっているかが大きいですね。『タルチュフ』は、小津のような日常的なシチュエーションの作品ではまったくないです。タルチュフの感情の動きだったり、夫であるオルゴンを目覚めさせようとする妻エルミールの心の動きが中心になっています。

柳下
それでは、やはり人物の心理状態が作曲の指針になっている感じですか。

鈴木
それはあると思います。その場の雰囲気や流れが、どこに向かっているのか、あるいは止まっているのか。『タルチュフ』にはあまりないけれど、そういう何気ない日常会話が続くシーンというのが一種の「静止状態」にあるとしたら、その場合は、逆にその静止状態に対して音楽をつける。柳下さんは、サイレント映画に対してある程度の長さの無音状態はつくりますか。

柳下
私の場合は大体弾いているんですが、「ここは映画が語っているな」という場面や人物の情緒や感情が動いた後などは、音を抜いた方が、音が持続しているよりも緊張感が出る。そこが空間として際立ってくるんです。ただ、その辺りは自分の感性で弾いているので、「ここは音を抜いても大丈夫」とか「ここまで音のない時間を引っ張ろう」というふうに、音を抜いている時間は上映回によっても違ってきます。だから、鈴木さんのように厳密ではないんですけど。

画像: 鈴木治行さんによる『タルチュフ』のキューシート(進行管理表)

鈴木治行さんによる『タルチュフ』のキューシート(進行管理表)

鈴木治行音楽版『タルチュフ』リハーサル風景

画像: F.W.ムルナウ『タルチュフ』鈴木治行音楽版リハーサルより youtu.be

F.W.ムルナウ『タルチュフ』鈴木治行音楽版リハーサルより

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