そもそも『MISHIMA』とはどんな映画なのか?

今となっては、もう「なぜ公開できなかったのか」を問うても意味がないのかも知れない。関係者は何も語らず亡くなるか、そもそも誰が関係者なのかも分からない。こうして真相が永遠に謎となることこそ、いかにも「日本的」なのかも知れない。

今はとにかく今年の東京国際映画祭で『MISHIMA』が40年ぶりに、三島由紀夫の生誕100年を記念して、撮影された当の国であり三島由紀夫の国である日本で上映されることを祝すべきであって、今さら「公開できなかった理由」を探ったところで意味があるとしたら、映画祭のスタッフ諸氏、特にプログラミング部門の根気強い調査と想像を絶するような忍耐力、緻密な交渉があったであろうことを評価するためだけだ。

シュレイダー自身が「いつかはできるだろうが私の生前ではない」と言っていた「夢」を実現したことだ。本人は「結局は、反対した誰よりも私が長生きした、ということなのかも」とフェイスブックに書いていた。

今本当に大事なのは、映画『MISHIMA』そのものを、映画としてきちんと見ることではないのか?

筆者自身も大スクリーンで見られるのは、美術デザインの石岡瑛子がコッポラ監督『ドラキュラ』でアカデミー賞を受賞した時に上映されて以来で、気が付けば30年以上が経過している。DVD、それにブルーレイで何度も見てはいるのだが、大スクリーンではまた新たな発見があるかも知れない。いやブルーレイで見直してもその度になにか発見や気づきがある映画だ。たとえば(シュレイダー自身が意識したかどうかはともかく)、『三里塚』シリーズと山形県の牧野村(現・上山市)を撮った一連の大作ドキュメンタリー映画で知られる小川紳介と小川プロに対するオマージュまで含まれていたなんて、ごく最近まで思ってもみなかった(そのオマージュがどこにあるのかは後述)。

三島夫人の拒否で使えなかった『仮面の告白』と『禁色』

映画『MISHIMA』は縦軸の基本構造としては題名通り四つの章、「美」「芸術」「行動」「ペンと刀の調和」から成っている一方で、全体を貫くもうひとつの縦糸として昭和45年11月25日の朝から三島の自決までを、再現ドキュメンタリーのように生々しい手持ちキャメラと隠し撮りめいたショット(というかいくつかは本当に隠し撮り、これも後述)で追う。この序盤の締めくくり、細江英公の写真集でも知られる瀟洒な洋館、というかほとんどキッチュな、ヴェルサイユ宮殿の小トリアノンを模したような三島邸を緒形拳演ずる三島由紀夫が出る時までがカラーで、キャメラが隣家の日本家屋の窓にたたずむ少年に近づくと、そこから今度はスタティックな構図の固定ショットのモノクロ映像で、三島由紀夫の幼少期が、その自伝的小説やエッセイを元に映像化される。

一見、常道というか定番にも思えるこの展開にまず、真っ先に映画『MISHIMA』の凄さ、その複雑な構造の端緒が、実は明確に現れている。

モノクロで語られる幼少期から学習院に進学、思春期に至るまでのエピソードは、裸体に矢が突き刺さった聖セバスチャンの殉教の絵に初めて性的な興奮を覚えること、男っぽい同級生に憧れて柵の上で取っ組み合いめいた手の押し合いをやることなど、三島の読者なら『仮面の告白』だとすぐに気づく。

だがこの自伝的小説で衝撃のデビュー作はあくまで小説つまりフィクションでもあり、題名にはわざわざ「仮面」とある。つまり本当に事実として三島の生い立ちなのかどうなのか、三島自身が意図的に曖昧にしていて、映画は確信犯的にその曖昧さを踏襲しているのだ。

英訳された三島のテクストをロイ・シャイダーが朗読するナレーション(日本版のため緒形拳のナレーションも録音されていた)が、映像で見せられることを補完していく。もちろんただの説明ではない。このナレーションのテクストについても、さらに映画を複雑化することが撮影に入る前の段階で起こっていた。

シュレイダーは当初、もちろん『仮面の告白』からの引用でこの部分を構成しようとしていた。三島の小説のうち『仮面の告白』『金閣寺』『禁色』、『豊饒の海』の第二巻『奔馬』と第四巻『天人五衰』、随筆『太陽と鉄』を使おうと、三島家の許諾を求めたのだが、『仮面の告白』と『禁色』を使うことに遥子夫人が強行に反対したのである。第二章の「芸術」で取り上げられた小説が「芸術的」な純文学作品ではなく新聞小説、三島が意図的にスキャンダラスさを狙った娯楽小説の『鏡子の家』なのも、『禁色』が使えなかったから、である(そこで『鏡子の家』という発想には舌を巻く。確かに物語の基本構造が実は似通っている)。

『仮面の告白』が使えなかったので、幼少期から思春期にかけてのナレーションのテクストも実際には『太陽と鉄』の引用なのだが、三島という人の謎めいた複雑さ、そのトリッキーな自己演出として、あくまでフィクションだったはずの『仮面の告白』と創作ではないはずの『太陽と鉄』で語られる幼少期はほとんど変わらない。つまり自伝として書いた『太陽と鉄』そのものが巧妙なフィクションだったのかも知れず、それは三島本人以外には誰にも判別がつかないことだ。いや、本人にさえその区別がついていたのかどうかすら、我々にはもはや分からないのだ。

映画はこの事実なのかフィクションなのかの曖昧さ、三島という人そのものの、どこが現実で、どこまでが意図的な虚構なのか分からないことを逆手にとるように、モノクロ部分はあえて厳格な構図とスタティックな演出に徹し、シュレイダーが監督デビュー前に書いた映画批評書『聖なる映画 小津、ブレッソン、ドライヤー』で論じた三人の映画作家のスタイルを彷彿とさせる撮り方ながら、成人後の三島を見せるシーンはほぼ全て、その中身としては事実と確認できることの忠実な再現を試みている。

『仮面の告白』の聖セバスチャンの殉教と、細江英公の写真集『薔薇刑』で三島が演じた聖セバスチャンの殉教と

ひとつだけ、「これは違う」と異議が出たのは三島の写真集『薔薇刑』を撮影した細江英公からだった。

この写真集の撮影シーンも再現されているが、そこで緒形拳の三島が手を少しだけ動かし目線で無言のままカメラ・ポジションを指示している。細江によればそんなことは全くなく、三島は完全に細江に任せて被写体となることを楽しんでいたらしい。細江は「前もって私にアドバイスを求めてきたら教えてあげたのに残念だ」と言っているが、ここは細江のいう通りの演出だったら、この映画の提示する三島像はより複雑で魔性の、ほとんど悪魔めいたものになったかも知れない。

『薔薇刑』はどう見ても、三島が見せたい自分、撮らせたい自分を徹底して自己演出した写真集であり、そこでカメラ位置のコントロールを細江の自由に任せたということは、三島が自分のベストアングルまで意識してポーズを取り、細江は自由なつもりでいて被写体に操られていたということにすら、なりはしないか?

三島由紀夫の自己演出と演技がそこまでのレベルに達していたとしたら、では真実の三島由紀夫・平岡公威(本名)という男は、ほんとうはどんな人物だったのだろう?

『薔薇刑』の再現は「第二章・芸術」で小説『鏡子の家』とパラレルの中心的な要素となっている。写真集の印象的なポーズを緒形拳がことごとく再現するのだが、特に強烈なのが三島自身が殉教の聖セバスチャンを「演じた」恍惚の写真だ。「第一章・美」ですでに我々は少年の性のめざめのシーンとして、画集の中の聖セバスチャンの、矢が無数に突き立った恍惚の裸身を見ていて、否応なくその映像の記憶が緒形拳の聖セバスチャンの恍惚に重なり、そこがさらに裸身の沢田研二が自らの身体を覆う傷と痛みに恍惚とすることへとつながる。

映画としての構成はあくまで知的で冷静、しかしそこで見せられることは極めて挑発的だ。『禁色』は使うなと言ったはずの未亡人の平岡遥子氏から見たら、これは裏切りに思え、騙されたと怒って態度を硬化させても、日本的に言えばやむを得ないところがある。これは西洋と東洋のコミュニケーションのあり方の違いと達観してしまうこともできるかも知れない。

つまり『仮面の告白』と『禁色』は使ってはならないというのは、遥子氏としては「同性愛には触れるな」と伝えたつもりだったのだろうが、欧米の契約社会では明記しなければ守ることはできないものだ。

『鏡子の家』のテーマはサド・マゾヒズム、肉体を傷つけることの性的恍惚をスキャンダラスに描いた小説で、沢田研二が愛人の李麗仙に全裸で殺されて恍惚となるのがラスト、というのは同性愛以上にスキャンダラスに思えるし、そのマゾヒズムは細江英公の写真で三島が自ら聖セバスチャンの殉教の恍惚を演じたことに明らかに通じるのが、そこは三島家にとって問題ではなかったらしいのだから、逆に同性愛のテーマの拒絶はそれだけ大きかったことになる。

ところが『薔薇刑』の聖セバスチャンの殉教から『鏡子の家』のサド・マゾヒズムのクライマックスへ、という映画の映像の繋がりと当時30代半ばから後半だった沢田研二のまだ十分に若く美しく、しかし爛熟したような裸の肉体に刻まれる恍惚の傷は、相手役が女性だろうがお構いなく(というかそれが李麗仙であることも含め)、強烈な同性愛的エロティシズムを発散する。

この鮮烈な同性愛的エロスを嫌がったのは遥子夫人だけでもあるまい。三島が活躍した時代には丸山明宏(美輪明宏)やピーター(池畑慎之介)のような両性具有的なトランスジェンダーのスターも一世を風靡したが、80年代の保守派や右翼が国粋主義の理想像として持ち上げようと思った三島のこのような姿を、そう簡単に許容するとは思えない。

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