「終わり」と共にある生

では、本作『1秒先の彼』において疎外者の眼差しと「終わり」の感覚はどのように表現されているのだろうか。それは麗華(レイカ)という存在に象徴されているように思える。つねに「1秒」遅れで世界に追いつく彼女は、世界の側から見れば「いまここ」には存在しない、実存性を欠いた疎外者に他ならない。彼女の視点から描いた後半部、静止した時空が「終わり」の感覚に包まれているのも、まさにそれゆえだ。そして、幼少期に交通事故で両親を亡くした彼女の生が、否応なく死=終わりによってその輪郭を形成されてきたことは、清澄な翳りを湛えた清原果耶の表情を見れば瞭然だろう。死=終わりと共にあった彼女にとって、カメラ=記録を愛することは必然だったに違いない。それはまた、いつか自らにも訪れる死=終わりへの抵抗でもあったのではないか。だからだろうか、病室のカーテンを躊躇いもなく開けて、颯爽と彼女に名前を訊くハジメとの出会いは、葬儀の場で陰鬱な表情を浮かべているハロルドに明るくキャンディを勧めるモードとの出会いを思わせるのだ。

画像3: ©2023『1秒先の彼』製作委員会

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画像4: ©2023『1秒先の彼』製作委員会

©2023『1秒先の彼』製作委員会

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