武装暴力集団・武士が統治する鎌倉時代と、仏像のリアリズム

画像2: 重要文化財 康勝作 空也上人立像 鎌倉時代・13世紀 京都・六波羅蜜寺蔵

重要文化財 康勝作 空也上人立像 鎌倉時代・13世紀 京都・六波羅蜜寺蔵

だがそうした貴族社会の政治的安定が長くは続かなかったのはご承知の通りだ。最初は貴族に雇われて統治の一部分、治安維持などの実力行使を担っていた武家が次第に力を持ち、平清盛が最初の武家政権を確立、しかしその平家の世は清盛の死後まもなく源氏によって滅ぼされ、鎌倉幕府が成立する。

仏教のもっとも重要な禁忌は「殺生戒」、人間どころかあらゆる生命を奪うことを罪とする思想であり、新たに日本の政治的な主役となった武士の本来の職業は、殺人を含む暴力の行使だ。だから勇猛な武士は「神仏も恐れず」となりそうなものだが、逆に鎌倉時代の武士は非常に信心深かった。折りしも今年のNHK大河ドラマはその鎌倉幕府の草創期を描く『鎌倉殿の13人』だが、呪詛や祈祷、夢枕に立つ生き霊といったことが物語上の重要な要素として取り上げられているのは当時の実感に近かったはずで、源頼朝は最初の登場シーンから念持仏の聖観音立像をとても大切にしていたり、自ら読経したり、祈祷の依頼なども欠かさない。これは史実に近く、源氏の天下を作り出すに当たっては戦死者だけでなく陰謀や暗殺で膨大な死者の犠牲があったからこそ、頼朝は鎌倉の鶴岡八幡宮の整備をはじめとして神仏への崇敬を欠かさず、様々な寺社を復興したり創建している。いわば「怨霊対策は万全」だった。

六波羅には平家一門の屋敷が立ち並んだことは先述の通りで、鎌倉時代には幕府の京都における出先機関である六波羅探題がこの地に置かれた。その中心にあたる六波羅蜜寺には、平清盛の姿と伝わる鎌倉時代の僧形の像がある。

画像: 重要文化財 伝平清盛坐像 鎌倉時代・13世紀 京都・六波羅蜜寺蔵

重要文化財 伝平清盛坐像 鎌倉時代・13世紀 京都・六波羅蜜寺蔵

歴史の教科書で清盛を紹介する時の図版でほぼ必ず使われる有名な像だが、記録が残るのは江戸時代からで、様式や構造から鎌倉時代、つまり平家の滅亡後に作られたと推定される。内部の構造は平安末期の作りに近いところがあるそうで、もし清盛が亡くなった直後、源義仲に追われた平家が六波羅一帯の邸宅を焼き払って都落ちする以前の作だというのなら、作られた理由もすんなり理解できるのだが、様式からして作られたのは平家滅亡後の可能性が高く、だとしたら謎の高熱を発して体が焼け焦げたように真っ黒になったという異様な死に様の伝承も含めて、平清盛もまたいかにも怨霊として祟りそうに思える存在だったはずだ。ならばこの像は、怨霊となった清盛を鎮撫するために作られたのかも知れない。

まあつまり、そういう「信心」と言ってしまえばそれまでというか、祟りを恐れるから神仏の加護でその祟りを相殺しようという意識がとても強かったのが頼朝たちの価値観で、運慶はその頼朝にも好まれ、支援もされている。もっとも有名な代表作である東大寺南大門の金剛力士像も、南大門は頼朝が東大寺の復興のために寄進造営したものだ。

平安貴族の救済の祈り以上に、頼朝ら武士の祟りを恐れる信仰は切迫したもので、運慶が生み出した力強さに漲った誇張されたリアリズムは、仏の庇護をリアルに実感できると同時に、その迫力が祟りや魔物を追い払う効果も感じられたのだろうか。

重要文化財 運慶作 地蔵菩薩坐像 鎌倉時代・12世紀 京都・六波羅蜜寺蔵

一方で、承久の乱を経て武家が統治する社会が成立してからも、そもそも戦争と殺人を職業としていた武士が統治者・政治家や官僚として治世を安定させられるようになるまでには、激しい紆余曲折もあった。長らく庶民の生活は平和とは程遠く、疫病や飢饉も相変わらず繰り返された。その一方で農民は貴族の荘園などから次第に解放され、自ら鉄製の農具を所有するようになり、社会階級としての自立が進んで村落共同体が成立し、平安時代には朝廷と貴族社会が主な担い手だった仏教が、民衆にも広く布教されて大衆化したのもこの時代だ。

運慶の工房からやがて独立した快慶の作品の多くが、胎内の文書などからそうした庶民階級のために、大勢の信徒がお金出し合って願いをまとめて作られていたことも、近年の研究で明らかになっている。力強さの運慶と端正で繊細な快慶、作風は異なるものの、彼ら「慶派」の仏像は、貴族的な定朝様の優美さとは異なった、もっと身近な存在としての仏を感じさせるものとして、そうした庶民仏教の中でも重要な役割を担ったのかも知れない。

重要文化財 康勝作 空也上人立像(部分・頭部) 鎌倉時代・13世紀
京都・六波羅蜜寺蔵

そんな新しい時代の文脈の中で、かつての民衆への布教に尽力した「市聖」だった空也上人は、いわば鎌倉仏教の庶民化の先駆者として重要性が増したはずだ。また「南無阿弥陀仏」と念仏をとなえて救済の仏・阿弥陀如にすがるという信仰の理念そのものが、法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗を先取りしていたともいえる。法然の弟子で「踊り念仏」の一向宗を創始した一遍はとりわけ空也上人への崇敬の思いが強かったという。国宝の「一遍聖絵」では空也上人立像によく似たいでたちの、首から鉦鼓を下げた一遍が描かれ、踊り念仏では撞木でその鉦鼓を叩く。巻第七(東京国立博物館蔵)には、一遍が京都市中の空也ゆかりの市屋という土地に、櫓を立てて踊り念仏を行った時の場面がある。

画像: 【参考】国宝 法眼円以筆 「一遍聖絵」巻第七 (部分) 鎌倉時代・正安元(1299)年 東京国立博物館蔵 京都市中、空也ゆかりの市屋で踊念仏を行う一遍たちと、取り巻く様々な階級の人々【この特別展の展示品ではありません】 出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-10944?locale=ja)

【参考】国宝 法眼円以筆 「一遍聖絵」巻第七 (部分) 鎌倉時代・正安元(1299)年
東京国立博物館蔵
京都市中、空也ゆかりの市屋で踊念仏を行う一遍たちと、取り巻く様々な階級の人々【この特別展の展示品ではありません】
出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-10944?locale=ja)

恐らく空也もそうであったように、一遍たちの周りにも、牛車に乗った貴族から武士、庶民、浮浪児、娼婦、物乞いと、あらゆる階級の人たちが入り混じっている。少し離れてハンセン病を患った人たちもいて、高僧がその人々に施し物を運んでいる。六波羅蜜寺の最も有名であろう仏像、空也上人立像も、このような仏の救済を求める庶民をはじめとするあらゆる階層の思いを反映して、作られた像ではないだろうか?

空也上人立像が有名なのもよく教科書で紹介されているからでもあり、口から小さな仏像が飛び出しているような造形が珍しく、子供にも分かり易いからかも知れない。小さな6体の阿弥陀仏の立像で、空也が「南無阿弥陀仏」をとなえると、その漢字6文字のひとつひとつが仏の姿になったことを表している。仏画では同じ表現の先例もあるが、立体で、彫刻で表現しているのはとてももの珍しく見える。

画像1: 重要文化財 康勝作 空也上人立像(背面) 鎌倉時代・13世紀 京都・六波羅蜜寺蔵

重要文化財 康勝作 空也上人立像(背面) 鎌倉時代・13世紀
京都・六波羅蜜寺蔵

これまでも六波羅蜜寺に行けば宝物館で見られる像だ。そこで見た時の筆者自身は正直なところ、口から出た仏ばかりに目が行ってしまい、あまりなんとも思わなかったことは告白しておく。

それが今回の展覧会で改めて見ると、ひたすら愕然とさせられる。丁寧な照明がこの像の細部まで際立たせていることもあるのだろう、なによりも目を見張らされるのは、その精緻なリアリズムだ。

画像3: 重要文化財 康勝作 空也上人立像 鎌倉時代・13世紀 京都・六波羅蜜寺蔵

重要文化財 康勝作 空也上人立像 鎌倉時代・13世紀 京都・六波羅蜜寺蔵

口から仏像が出ていることの特異さは、語弊を恐れずに言えばある意味そんなに重要ではないというか、そこに目を取られて見落としてはいけないのはむしろ、その後ろにある顔の際立って精緻で、生き生きとした描写と、その澄んだ表情の美しさだ。

また今回の展示では真後ろからも、360度どの角度からも見られるが、後ろ姿までまったく隙のない迫真の写実性に圧倒される。

画像2: 重要文化財 康勝作 空也上人立像(背面) 鎌倉時代・13世紀 京都・六波羅蜜寺蔵

重要文化財 康勝作 空也上人立像(背面) 鎌倉時代・13世紀
京都・六波羅蜜寺蔵

大地を踏み締め、歩みを前に進める脚の、ふくらはぎの筋肉やアキレス腱、くるぶしの圧倒的な描写。足に履いた草鞋の編み目や、衣のすその座り皺も克明に再現されていて、上衣と下の衣の、それぞれの生地の質感の違いまで分かる。

伝承では、空也上人は鹿を可愛がっていたのが、その鹿がある日、狩人に殺されてしまった。悲しんだ上人はその鹿のツノを杖にし、皮を革衣に仕立てて身につけたという。上衣に比べて硬質な感じの下の衣の皺は、その鹿革の衣の固さを表しているのだろう。

画像: 重要文化財 康勝作 空也上人立像(部分・左腕) 鎌倉時代・13世紀 京都・六波羅蜜寺蔵

重要文化財 康勝作 空也上人立像(部分・左腕) 鎌倉時代・13世紀
京都・六波羅蜜寺蔵

その杖の鹿のツノも、迫真のリアルさで質感まで表現されているが、それ以上に目を見張らされるのはこの杖を持つ手に浮き出た血管の描写だ。

This article is a sponsored article by
''.