日本人を魅了する「燕子花図屏風」の色彩とやきものの色彩、そして上代錦の色彩
「燕子花図屏風」で使われている色は、日本でも珍重され愛されて来た中国陶器の「三彩」の3色にも通じる色の組み合わせであり、金に通じる黄色は黄瀬戸のような日本の陶器の色でもある。
緑は、安土桃山時代の一時期に大流行した織部焼きの釉薬でもある。
そして群青の、濃い青は、磁器にコバルトで絵付けをした染付の色でもある。
根津美術館は「鉄道王」との異名でも知られた大実業家で、国会議員にもなり、教育の重要性に注目して学校の創立にも尽力した根津嘉一郎のコレクションが基になっている。
「青山」という号を名乗る茶人でもあり、近代数寄者の代表的な人物の1人だ。当然ながら陶磁器はそのコレクションの重要な一部で、展示室2には陶磁器の色彩と「燕子花図屏風」の色彩の共通点を示す、実に豊かな実例の展示が並ぶ。
またこの色彩をめぐる日本史の旅とあたかもシンクロするように、2階の展示室5でテーマ展示として同時開催されているのは、飛鳥時代や奈良時代の、日本で織られたり唐から輸入された古代の錦の特集だ。
ここでも、鮮やかな緑も観られる。
だがより印象的なのは、「燕子花図屏風」には用いられていないもうひとつの、日本の伝統文化の中の重要な聖なる色彩の、赤・朱色だ(ちなみに「朱」も音読みは「シュ」だが訓読みの、やまと言葉の読みは「アカ」)。
赤・朱は古代以来、魔除け・厄除け・特に疫病を払って健康を守る色として、日本では使われて来た。今でも春日大社をはじめ朱塗の神社の建物はすぐに思いつくが、1階に展示されていた「春日本地曼荼羅」に描かれていた東大寺の仏塔も朱塗だった。
現存する五重塔の多くが、現状では木材の色が大部分露出しているが、奈良時代の薬師寺東塔や、飛鳥時代の法隆寺五重塔にまで遡っても、よく見ると創建当時の朱の痕跡が残っていたりする。法隆寺といえば有名な「百済観音」も、衣や光背には鮮やかな朱の彩色が残っている。