前田弘二監督×高田亮脚本×根岸洋之プロデューサー

1930年代の大恐慌下にあったアメリカ社会で、悲惨な現実から逃げ去るように、あるいは人々の空虚を埋めるようにして、風変わりな男女が衝突と和合を繰り返しながら騒動を巻き起こし、過激な早台詞を炸裂させるコメディ・ジャンルが隆盛した。その名も「スクリュボール・コメディ」。株価の大暴落は一夜にして富裕家を路上へと追いやり、家を失った人々がバラックに住み、州から州へと職を求める移動労働者が溢れた時代。当ジャンルの名匠プレストン・スタージェスの代表作『サリヴァンの旅』が描いているように、それまでの格差や価値観が一変し、何が〈まとも〉かが分からなくなった混乱のなかから生まれるその笑いは、いまなお観客にひとときの安らぎ以上の「何か」を与えてくれる。

『婚前特急』『わたしのハワイの歩き方』に続いて、そんなジャンルを愛してやまない前田弘二監督、高田亮脚本、根岸洋之プロデューサーの三人が生み出した新たな傑作コメディ『まともじゃないのは君も一緒』。スクリーンの中で葛藤する二人の魅力的な「変人」は、大恐慌に比肩する未曾有の緊急事態下にありながらも〈まとも〉なフリをし続けている私たちの欺瞞を揺さぶってくる。そんな本作の魅力や背景とともに、スクリュボール・コメディから近年のエロコメまで、常識に反旗を翻し続けるコメディ映画への愛情や意義を自由に語ってもらった。破格のボリュームによる前後編の放談を堪能すれば、本作がさらに味わい深くなること間違いなし。

スクリュボール・コメディに出てくる変人たち

根岸洋之(以下、根岸)
今日はまずスクリューボール・コメディの話から始めて、ラブコメや古い日本映画にも軽く触れながら、お二人のコンビ作品の内実に迫るという流れでいいのかな。

前田弘二(以下、前田)
コメディについて語ること自体初めてですね。高田さん、あります?

高田亮(以下、高田)
ないかもね。

前田
ないですよね。コメディについては『婚前特急』(11)のときも喋ってない。

高田
二人とも自主映画のころ一緒にやっていて、オフビートな作風が多かったけど、もうそろそろオンビートなやつをやろうと。オフビートには山下敦弘さんとかがいたので、すでにその席はもう……。

根岸
埋まってる(笑)。

前田
やる席はもうなくて、恋愛ものも生々しく描く人が出てきたりしていた時期でしたよね。だったら、まったく違うものをと。

高田
それで正統派のドタバタしたものをつくろうとなったのが『婚前特急』ですね。

前田
そうでした。変人じゃないですけど、ちょっと変わった人たちが出てくるっていうところが好きだから、それをやってみようと。

高田
そう、前田監督は変人が好きで(笑)。一番好きじゃない男と最後は結婚しちゃうみたいな、王道のラブコメの中に放り込んでいけばいいじゃないかって、最初はそういうことだったよね?

前田
枠組みがベタというか王道路線。中身で遊ぼうっていうところから、人物がなるべく自由になれたらいいね、みたいな話をしましたね。

高田
それでコメディをやるとなったときに、スクリューボール・コメディを見直したんです。

根岸
見直したってことは、それ以前からスクリューボール・コメディは見てたの?

高田
そうなんです。僕の師匠は大映制作ドラマの「赤いシリーズ」や「夜明けの刑事」を書いていた工藤裕弘という方なんですが、やはり変人が大好きで。彼からスクリューボール・コメディを叩き込まれまして、それっぽい脚本も習作で書いたりしていました。

画像: スクリュボール・コメディに出てくる変人たち

根岸
それはいつ頃の話ですか?

高田
僕が20代の半ば頃、90年代の後半かな。そのときに『赤ちゃん教育』(38)やプレストン・スタージェスの映画などをたくさん見ました。当時「こういう変な人たちこそが面白いんだ」と師匠の解説付きで見て、その感想を言わされるみたいなことを勉強でやらされたんです。実際はその反動でシリアスなものが書きたくなって、殺人鬼の話とかを書いてましたけど。それで前田くんともオフビートなコメディをやってみたりしていましたが、いざオンビートでいこうとなったときに超大変で(笑)。スクリューボール・コメディって、見ているぶんにはすごく楽しいんだけど。

前田
高田さんが監督された『結婚二年前』(03)という作品の中に、一つの家にいろいろな人が集まってきて、好き勝手にそれぞれが喋り続けるっていうシーンがあるんですが、僕はそういうのを今までに見たことがなかった。それで面白いなと思って、そういうノリを自主映画で一緒にやったりしていたんですが、後々スクリューボール・コメディを見て「あ、このエッセンスで書いてたんだ」ってことに気づいた。

高田
そうです。スクリューボール・コメディに出てくる人って、世の中とはちょっと違った理屈を持っていて、みんな変わり者じゃないですか。「俺はもう、こういうことでいいのだ」みたいな人がいっぱい出てきますよね。『パームビーチ・ストーリー』(『結婚五年目』)(42)で急に金持ちのおじさんが出てきて、「じゃあ、君にお金あげるよ」みたいなことをいきなり言い出すとか。

根岸
テキサスのソーセージ王ね……。

高田
はい。それで列車に乗ったらウズラクラブの連中が貸切車輛の中でいきなり銃をぶっ放したりする(笑)。しかもみんな変な名前なんですよね。

根岸
ああ、ハッケンサッカー3世とかね。『レディ・イヴ』(41)のヘンリー・フォンダも、御曹司でビールとエールの違いをやたらと説明したり、「上面発酵と下面発酵は全然違うんだ」とかなんとか説明するくだりがあったりとか、変人ですよね。職業は蛇学者ですし。

高田
そう、最初に蛇のアニメが出てきたり。ヘンリー・フォンダは蛇ばかり研究していて、船のレストランに行くといろいろな女性が色目を使ってくるのにまったく気づいてないんですよね。自分の世界に完全に閉じこもっている感じがスクリューボール・コメディの「あるある」じゃないですか。男性のほうがウブであまり世の中を知らなくて、『まともじゃないのは君も一緒』(21、以下『まときみ』)も完全にそうですけど、女性のほうが世慣れていて、男性を外の世界に連れ出すみたいな構造がありますよね。

根岸
女性上位ですよね。バーバラ・スタンウィックなんて特にそういう「ビッチ」感で飛ばしてくる。

前田
『教授と美女』(41)もそうでしたね。踊り子と百科事典を編纂している世間知らずの学者たちという関係は、『まときみ』にも少し近いですね。

高田
師匠には「男女を逆転させるとコメディになるんだ」みたいなことをよく言われて、叩きこまれました。

ーー逆にそういうアメリカ仕込みの個性が強いキャラクターを日本に移植する際の難しさというのもあると思うんですが。

高田
そうですね。極端にギャグですよ、という感じでやりすぎると嘘っぽいし、『婚前特急』のときにはそれが難しかった。

前田
そうですね。

高田
五股をかけている女性が、ただ五股をかけているのではなく、「時間を有効に使うためだ!」みたいな屁理屈がひとつあると急にコメディっぽくなる。

根岸
チエ(吉高由里子)が「時間を有効に使うため」と言ったときに、親友役の杏が「え?」って表情をしますよね。観客もそう思うだろうというエクスキューズを含ませているというか、スクリューボール・コメディの登場人物が変な理屈を言うとき、それはその登場人物にとってはすごく正しいのだけれど、観客や周りの登場人物にとっては「え?」っていう屁理屈なんですよね。

高田
そうですね。

根岸
だから『レディ・イヴ』のヘンリー・フォンダが、復讐に現れたバーバラ・スタンウィックを見て、ほぼ同じ顔で、服装だけは上流階級の雰囲気にしているけど、全然顔を変えてない、化粧も変えず髪の毛の色さえ変えていないので、「似すぎているのは変だ」って言い切る。

高田
全然変装してないんですよね(笑)。

前田
もし本人だったら変装するはずだから……(笑)。

高田
だから本人じゃないっていう(笑)。

前田
斬新!

根岸
そう。その理屈を客は一瞬信じかけるんだけど、でも「ちょっとおかしくない?」って突っ込みを入れながら見られる。

高田
そうですよね(笑)。そういうことを言うときに、『レディ・イヴ』でいえば執事みたいなまともな人間、普通のアスピリンを麻薬と勘違いしたり、少し行き過ぎている人ではありましたが、そういう世の中側にいる人間をそばに置いておく。だから、まともが行き過ぎた人と世の中を知らない人が言い合ってるんだけど、どっちも可笑しいんですよね。スタージェスはそういうところがすごいです。

前田
だから恋愛というより、どこか男女のバトル感というか、対立構造が面白いなと思います。

根岸
“Sex war Comedy”ともいわれましたからね。

画像1: ©︎2020「まともじゃないのは君も一緒」製作委員会

©︎2020「まともじゃないのは君も一緒」製作委員会

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