画像3: ©︎2020「まともじゃないのは君も一緒」製作委員会

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『まときみ』の脚本と演出

前田
でも、その急なドライブ感っていうのもまたスクリューボール・コメディの面白さだと思っていて。今回の『まときみ』も、何でもないようなやり取りを延々と繰り返していきながら、急に美奈子さんでグッとメロドラマに行くじゃないですか(笑)。

根岸
『まときみ』は主演の成田凌くんと清原果耶さんが早台詞を完璧にこなせたっていうのが、スクリューボール風に見える所の一つになっていた気はします。

高田
すごかったですね。

前田
脚本自体がスクリューボール・コメディというより、脚本のリズムやテンポのなかで早口が出てくる。本人たちには「早口で言ってくれ」なんて頼んでいませんからね。

高田
あ、そうなんだ。

前田
そう。だからさっきも言いましたが、そこはもう芝居のなかで「思いつきで喋ってる感じでやってくれ」と指示していったら、自然とそうなった。まあ、僕も早口なんだけど(笑)。

根岸
やはり高田さんの台詞の量が多いですから。

前田
楽譜的なんですよ。だから台詞を言いやすいように作り変えちゃうと、面白味がなくなってしまう。さらにいえば、人物の流れが一見、アドリブ的なんですが、そこを外すと物語が成立しなくなる。だから自由に見えて、ガチガチな演出が入ってる(笑)。話していることと思っていることが違っていたりするから、自由なようで一番難しい。そういう縛りのなかでつくってますから、実際、現場でいろいろと遊んでもらおうと思ったけど、遊べないと分かって(笑)。

根岸
撮影が終わった後で成田くんが、普段は撮影中でもたまに飲んだりするけど、清原さんが完璧に台詞を覚えてきているので「清原さんには負けられない」と、家で台詞を完璧に覚えて大変だったと言ってました(笑)。

前田
しかも噛み合わないやり取りを覚えなきゃいけないという(笑)。

高田
流れでは覚えられないからね。

前田
そうなんですよ。そこはやっぱりコメディの面白さというか、こう言って相手がどう言うのか分からない、っていうのが延々と続くんですよね。大変だなと思って(笑)。

高田
そうそう。よく脚本家が「登場人物が勝手に喋り出して」なんてことおっしゃいますけど、今回の作品ではまったく喋り出しませんでした(笑)。

前田
普通の会話じゃないからね。この脚本を読んだときに思ったのは、芝居の温度を低めに生々しくやったら成り立たないし、かといって熱量を高めて、強めたところでこの良さは出ないなと。じゃあどれぐらいかといえば、ちょっと浮いた自然体。面白い所でもあるんですが、「何この感じ、どれぐらいなんだ?」っていうのが一番難しいジャッジでした。つくりすぎてしまうと漫才っぽくなってしまう。

根岸
そうね、やりすぎると確かに。

前田
そう。温度を抜いちゃうと今度はローになりすぎるから、ちょっと浮かせておいて自然体でいく。

高田
本人にとっては普通のことを言ってるつもりで「俺が正しいんだ」「私が正しいんだ」と話しているけど、別に相手を説得して勝とうとするような熱量じゃなくて、「あんたが分かってないから教えてやるよ」ぐらいの熱でいかないといけない(笑)。ああいうのは難しいよね。

根岸
『婚前特急』との違いもそこにあるのかな。『婚前特急』はわりとゲーム的な構造が明確なので、そのなかで二人が喧嘩するシーンはテンションも高くて、感情的に言い争ったり、殴り合ったりする。でも『まときみ』はどちらかといえば台詞で踊り合う、楽譜を交わしていくみたいな面白さや音楽的な妙がある。

前田
だから家も出てこないし、お互いの家庭環境も分からないという状態で始まる。ベースが、ホームがないんですよ。もう予備校しかないっていうくらいの手ぶらな自由さ、大きな仕掛けを作らずに、どこまでこの映画のドライブ感を楽しめるかという。

根岸
そこの面白さですよね。

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高田
香住は理論武装してるけど、それは彼女の偽物の姿でしかないっていうのはかなり話したよね。それが引き剥がされていくお話だから、彼女の家とか本性とか、彼女の人となりが最初から見えているとすべて台無しになる。あくまでも偽物の姿だから。

根岸
普通の日本映画だと、例えば家に帰って自分の部屋に閉じこもっている香住の姿が絶対に出てくるんだけど、それが一切ないのが痛快でしたね。ただ、学校の友達との関係性は少し見えますけど。

前田
見えますけど、そこを描きつつ後はノンストップで行き切るっていう所を一番大事にしていました。

根岸
予備校講師である大野も、可愛い女の子とデートする場面で「定量的に言ってくれないか」と数学の語彙を使うことによって、「この人やっぱりあれだな」という姿を見せてしまう。

高田
どちらも世の中の立ち位置なんですよね。香住は学校の友達の中で馴染めていないし、大野は恋人ができない。どちらも世の中でこのように上手くいってません、だから部屋は必要ないんじゃないかって所をすごく慎重に考えたんだよね。他の人たちも世の中の側にいる人たちだから、あんまり個性を強めにすると世の中の側にいるということが薄まってしまう。だからこそ、宮本はステージに立っているときが彼なんだと。みんなを味方につけて、そのなかで堂々と世の中の側にいるんだっていうね。香住たちはそれに負ける」

根岸
小泉さんが楽しくやってくれて良かった。よく引き受けてくれたなあと。

前田
ほかに脚本で面白かったのは、香住が大野に普通ぶって教えるけれど、彼はまったく何も知らないから、その理屈が通用しないまま反応が返ってきてしまうところ(笑)。逆に、大野のストレートな感情によって彼女自身が動かされていく。このバトルが一周すると、スクリューボール・コメディになるのかなという感じはしましたね。

根岸
『パームビーチ・ストーリー』のウズラクラブや、『教授と美女』の七人の小人たちである辞書を編纂している教授陣。あれに若干近いのが、今回のスナックのおじさんたちだったかなと。スナックのおじさんたちはある種リアルな実像だけど。

前田
若い子とおじさんたちって面白いですもんね(笑)。

根岸
うん。いろいろなタイプのおじさんがいるああいう感じは、スクリューボール・コメディだともっと変人かもしれないけど、リアルに夕方4時ぐらいから酒を飲んでいる人たちというあの佇まいが、意外と主人公の辛い気持ちに対する柔らかい受け皿になっている。まあ、日本的といえばそうなんだけど。

前田
昔懐かしい喜劇的な感じのね(笑)。

根岸
だから、あのくだりはスクリューボール・コメディ的ではないけど、おじさん集団が出てくる配分によって、和風な感じで上手く着地ができたのかなという印象はありましたね。あのシーンがあるのとないのとでは、映画の印象はだいぶ違いますから。

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