光が生み出すガラスの多様な表情、オパルセント・ガラス

「自然光だととくに美しい」

ラリックは透明ガラスで光を操る磨りガラスなど様々な技法を駆使し、さらに色ガラス、ガラス表面に着色するパティネ、それに角度に応じて透過する光の波長が変わる、つまり色が変わって見えるオパルセント・ガラスも製品化している。特にオパルセントは元は19世紀の半ばに流行した特殊ガラスで、ラリックが活用したのをきっかけにアール・デコ時代に再ブームを引き起こした素材だ。

画像: ルネ・ラリック 花瓶「バッカスの巫女」オパルセント 1927年 北澤美術館藏

ルネ・ラリック 花瓶「バッカスの巫女」オパルセント 1927年 北澤美術館藏

画像: 同じ「バッカスの巫女」、角度を変えて見ると色が変わる

同じ「バッカスの巫女」、角度を変えて見ると色が変わる

この変化する色やデリケートな風合いがまた、とくに自然光に映える。本来の用途であれば窓辺に置いて、時間帯や天候による光の変化を文字通り「反映」した、その色彩と表情を楽しむモノなのだろう。

近代産業革命後の工業化・現代科学文明が光輝いて見えた時代に、こういう工業的な規格化にある意味逆行するような、不定形で自然回帰的かつ手作り的で人工的なコントロールに収まり切らないなものが、他ならぬ工業化を推進し、その恩恵をもっとも享受していた産業資本ブルジョワジーにこそ喜んで受け入れられたのは、フランスならではのこととしてとても興味深い。

画像: ルネ・ラリック パウダー・ケース「シュヴァリエ・ドルセー」ドルセー社 1920年

ルネ・ラリック パウダー・ケース「シュヴァリエ・ドルセー」ドルセー社 1920年

画像: ルネ・ラリック 花瓶「シレーヌ、小像のある栓」1920年 北澤美術館蔵

ルネ・ラリック 花瓶「シレーヌ、小像のある栓」1920年 北澤美術館蔵

近代化と自然回帰という一見相矛盾した流れが共存するのは、近代のフランス美術では印象派の絵画がすでにそうだったし、動植物に由来する曲線的なモチーフが多用されたアール・ヌーヴォーにも指摘できることであり、ラリックがデザインで用いたモチーフに人魚や牧神などの古代神話や伝説のとくに自然神、それに花鳥・動植物や、古代的な意匠が多いこととも、関連しているとも言える。

画像: ルネ・ラリック 円形蓋物「パフ」1921年 北澤美術館蔵

ルネ・ラリック 円形蓋物「パフ」1921年 北澤美術館蔵

アール・デコ運動自体がモダニズムとして始まったものなのが、古代ギリシャ、古代ローマへの憧れもあり、その傾向を次第に強めて言ったことも指摘できるだろう。例えばアール・デコ建築の最後の華を現代に伝える建造物のひとつが、パリのトロカデロ広場のシャイヨー宮だが、これは1937年のパリ万博のメイン・パヴィリオンとして建てられたもので、モダンである一方で、古代の神殿を意識したような左右の対称性を意識したデザインは、あからさまに新古典主義だ。

画像: ルネ・ラリック 立像「シュザンヌ」1925年 北澤美術館藏

ルネ・ラリック 立像「シュザンヌ」1925年 北澤美術館藏

いずれにしても、オパルセント・ガラスや色ガラスのラリック作品の「本来の見方」、窓辺において色彩と太陽光の戯れが産み出す変化を体感できるのは、これらの作品の所蔵先である北澤美術館でも出来なかった、旧朝香宮邸ならではのぜいたくだ。

いやもちろん、通常の美術館の管理された人工光の環境下でも、ガラス作品の展示には照明に最新の注意が払われる。現代では多種多様な光源も開発され、作品に適した照明デザインの工夫が駆使されるのも当然だ。

それでもやはり、作品のクオリティが高く繊細で微妙な表現が駆使されていればいるほど、この展覧会で楽しめるガラスと自然光が干渉しあうデリケートで複雑な変化に富んだ表情には、やはりかなわないと思ってしまう。

画像: ルネ・ラリック 花瓶「インコ」 一対、1919年 個人蔵 厚手の色ガラスに斜め上から光をあててみると表情が変わるデモンストレーション中。

ルネ・ラリック 花瓶「インコ」 一対、1919年 個人蔵 厚手の色ガラスに斜め上から光をあててみると表情が変わるデモンストレーション中。

このペアの花瓶は皇太子時代の昭和天皇がヨーロッパ外遊中のお土産としてパリで自ら購入したもの。

世界屈指、あるいは世界一の、コレクションを持つ北澤美術館

北澤美術館のラリック・コレクションの質の高さについては論より証拠、例えばこの香水瓶は、香水を売るための容器なのだから大量生産のはずが、現存が2点しか確認されていないという。

画像: ルネ・ラリック 香水瓶「牧歌」コティ社 1911年 牧神とニンフの愛の交歓を描いた凝った図像を裏表の両面に施すため、表側と裏側を別々に金型でプレス成形し、熱溶着で貼り合わせている 北澤美術館藏

ルネ・ラリック 香水瓶「牧歌」コティ社 1911年 牧神とニンフの愛の交歓を描いた凝った図像を裏表の両面に施すため、表側と裏側を別々に金型でプレス成形し、熱溶着で貼り合わせている 北澤美術館藏

どうも試作品しか作られず、製品化は見送られたらしいのだが、製造工程があまりに複雑で難しすぎたからだろうか? 下の写真の香水瓶も、中に浮き上がって見える花の部分が空洞で、ここが香水に満たされるという趣向だ。一見シンプルでモダンな洗練を見せるデザインだが製造はやっかいで、表側と裏側をまず別々の金型で、高い圧力をかけて成形し、その二つを貼り合わせる。広い接合面に気泡や傷が入らないようにぴったり密着させ、冷やす段階でヒビが入らないようにするには、相当に高度な技術的精確さが不可欠になるはずだ。

画像: ルネ・ラリック 香水瓶「カーネーション」1912年 北澤美術館藏

ルネ・ラリック 香水瓶「カーネーション」1912年 北澤美術館藏

ジュエリーで成功していたとはいえ、そのキャリアを棄ててガラスに転じたばかりのラリックにとって、新興の香水会社「コティ」社からの依頼は、いわばガラス工芸作家、ガラス器メーカーとしての事実上の商業デビューだったはずだ。そんな段階ですでに、こんなに複雑で製品化の難しい技術に大胆に挑戦していたのだ。

とはいえ、ルネ・ラリックが芸術家タイプにありがちな完璧主義者で、商売を度外視して超絶技巧の独自の世界を追及していたわけではもちろんない。

画像: ルネ・ラリック 香水瓶「彼女らの魂」ドルセー社 1914年 北澤美術館藏

ルネ・ラリック 香水瓶「彼女らの魂」ドルセー社 1914年 北澤美術館藏

このように洗練されつつも分かりやすく華やかな装飾性があり、大量生産が可能なデザインの香水瓶で、ラリックはしっかり成功し、高級ガラス工芸メゾンとしての地位を確立し、また香水の瓶は晩期に至るまで、ラリックが創意工夫を凝らす重要なジャンルであり続ける。

画像: ルネ・ラリック 香水瓶「三羽のツバメ」、同「カシス」青、赤 1920年 北澤美術館蔵

ルネ・ラリック 香水瓶「三羽のツバメ」、同「カシス」青、赤 1920年 北澤美術館蔵

しかもこの香水瓶のフタの基本デザインは、豊富にバリエーションが作り出せるだけでなく、後にテーブル・ランプであるとかの他の製品に応用することまで可能だった。

画像: ルネ・ラリック 小型常夜灯「忘れな草」ほや「小さな葉」1919年 北澤美術館藏

ルネ・ラリック 小型常夜灯「忘れな草」ほや「小さな葉」1919年 北澤美術館藏

だいたい、製品化に至らないような難しい技術を駆使することもブランド・イメージの高級化にはプラスになるし、長期的には工房の技術をよりあげることにも繋がり、その高度な技術を持つことがまたブランドの高級化と信頼に結実する。現代でも盛んに応用されているブランド戦略だ。

近代の大量生産消費社会の到来を見据え、ジュエリー製作からガラスに転じたこと自体、ラリックが時代の変化に敏感で商売上手だった証左かも知れない。ラリックの工房はその後、上記のふたつの香水瓶で使われた金型のプレス成形技術を完成させたのをはじめ、さまざまな技術革新を展開し、発展させていく。

ルネ・ラリック 香水瓶「青春」1933年 北澤美術館蔵

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