ロック・クライミングの中でも最も危険なものが、本作で紹介されるフリーソロ。
滑落を防ぐロープやハーケンなどの安全器具を使わず、己の肉体だけを使い、岩肌のわずかな凸部や裂け目に手足をかけたり、押し込んだりして登っていく。時にはスイングしたり、飛びついたりと、死と隣り合わせの難行苦行であり、わずかな気のゆるみも命取りになる。たとえ気を張っていても、風や急変する山の天気、体力の減退、さまざまな不確定要素がクライマーを危険に陥れる。
本作「フリーソロ」はアレックス・オノルドが、カリフォーニア州ヨセミテ国立公園に垂直にそそりたつ975メートルの岩壁エル・キャピタンに、挑戦するさまを記録したドキュメンタリーだ。
『ナショナル・ジオグラフィック・ネットワーク』が17年に発足させたナショナル・ジオグラフィック・ドキュメンタリー・フィルムズの製作作品で、アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門でオスカーを獲得している。
監督は2015年のヒマラヤ・メルー中央峰登頂を記録した「MERU/メルー」を撮ったジミー・チンとエリザベス・チャイ・ヴァサルヘリィの夫婦。チン自身も優秀なクライマーであり、撮影も担当している。
幼い頃は引っ込み思案で、出不精だったオノルドは、少年時代に山へ登り始めてからアウトドア派に転向。もっとも人と群れることは好まず、それがフリーソロをやるきっかけとなったようだ。さまざまな場所の絶壁を征服し、いまだ誰も成功していないエル・キャピタンに目標を定めてからも、数年は「まだその時期ではない」と先送りにしていた。
2016年春、まずロープをつけて、先輩クライマーとともにエル・キャピタンを登って、頂上までの詳細なルートのチェックを行い、帰ってからきちんとメモとして記録した。同年夏にはモロッコのタギアで練習し、秋にエル・キャピタンの序盤の難所で9メートル下に滑落して足首をねんざしてしまう。翌2017年の6月3日早朝、オノルドは何の気負いもなく飄々と岩壁に取り付き登り始める。
チンはベテランのクライマー兼カメラマンのチームを率いて、オノルドの登山に同行、あるいは先行して撮影地点を確保し、前人未踏の“登り”を記録。地上場面ではオノルドに密着し、彼の訓練風景、恋人、母親、友人らとの交流を紹介して、オノルドの人間性を浮き彫りにしようと試みている。撮影クルーは重いカメラを抱え、ロープに繋がれているとはいえ、危険な作業であることは言うまでもない。強大な自然に挑むちっぽけな人間の映像が、山登りに興味のない観客にもインパクトを与えるのは、エル・キャピタンの荘厳さとオノルドの真摯な冒険心が画面から伝わってくるからだろう。
『フリーソロ』
エリザベス・チャイ・ヴァサルヘリィ監督特別インタビュー
公開を前にして、エリザベス・チャイ・ヴァサルヘリィ監督と短時間ではあるが、電話インタビューを行えたので、以下に紹介しよう。
Q 監督としてジミー・チンとエリザベス・ヴァサルヘリィ、二人の名前がクレジットされています。撮影現場におけるお二人の役割分担はどうなっていましたか。
A ジミーはクライマーであると同時に映像製作者でもあります。山を登りながら撮影をするという経験を何年も積んでいます。撮影時のリスク・マネジメントから、撮影の技術面まで把握している。私はこの作品を通じて、観客にどういう物語を伝えたいのか、登場する人たちのさまざまな感情を映し捉えるのが役目。作品全体の物語性、メッセージ性をしっかりと捉えたいと努めました。
Q 撮影期間は。
A 今三歳半の息子が、生後三、四か月のことから始めましたから、2015年の10〜11月頃からです。撮ろうと思ったのは2月にさかのぼります。その間が空いているのは、オノルドのフリーソロを撮影することが、倫理的に正しいことかという論議を続けていたからです。
Q オノルドを対象にしたドキュメンタリーですが、同時に撮影クルーもまた彼の冒険に同行して山を登っており、オノルドだけでなく、クルーもまた対象となってますね。
A 撮影クルーは全員プロのカメラマンでありクライマーです。彼らにとって都会を歩くより、ロープやハーネスを装着して山を登っている方が危険が少ないといえます。危険なのはロープの操り方を間違えてアレックスに影響を与えたり、石を落としたりすることです。アレックスが安全に最大の注意を払っているように、クルーもとても慎重に行動しています。
クルーを撮影に入れたのは、映画にも出てきますが、フリーソロの現場を撮ることが倫理的にいかがなものかという判断をしなくてはならず、自分たちの中で葛藤があり、そのことについて話し合ったことを記録したかったからです。どんなドキュメンタリーも対象者に対してリスペクトしなくてはいけません。もう一つ言いたいことは、クルーが観客の代わりとして登場することで、観客が共感しやすくなるということです。
Q 撮影の苦心談をお聞かせください。ヨセミテではドローン撮影が禁止されているとのことですが。
A 空中撮影のシーンはヘリコプターを使いました。クルーは全員優秀なクライマー兼カメラマンですけど、失敗は許されない。アレックスの死につながるかもしれないですから。50〜70ポンドはする三千フィート分のロープ、重いカメラ機材、予備のレンズ、食べ物、飲み物を持ち、本人よりも早く登山し、本人が来るのを待っている。全部で14〜15時間は拘束される。アレックスがルートの下調べをし、何度も動きを練習したように、クルーも練習を重ねて撮影。彼らの技術的な凄さが映像に出ています。彼らのことをどんなに褒めても褒めたりないくらいです。
私からの質問ではなかったが、宣伝会社から日本の観客へメッセージを依頼されて次のように述べている。
美しい風景もたくさん出てきますし、登場人物の人間関係も面白いと思います。人とのコミュケーションでアレックスが少しずつ心を開き、不可能を可能にしていく姿を観ていただきたいです。彼にとってはエル・キャピタンという山が最大の挑戦でしたが、すべての人にそれぞれのエル・キャピタンがあると思います。達成できそうにない夢も努力次第で達成できるということを是非スクリーンで鑑賞し感じてほしいです。
『フリーソロ』本予告
アカデミー賞®受賞!(長編ドキュメンタリー部門)
トロント国際映画祭観客賞受賞
英国アカデミー賞受賞 全世界で45賞ノミネート、19賞受賞!
ロッテントマト驚異の99%フレッシュ!
監督・製作:エリザベス・チャイ・ヴァサルヘリィ、ジミー・チン(『MERU/メルー』)
出演:アレックス・オノルド、トミー・コールドウェル、ジミー・チン、サンニ・マッカンドレス
撮影監督:ジミー・チン、クレア・ポプキン、マイキー・シェイファー
音楽:マルコ・ベルトラミ(『クワイエット・プレイス』『LOGAN/ローガン』)
主題歌「Gravity(原題)」:ティム・マッグロウ
2018年/アメリカ/100分/原題:Free solo 日本語字幕:畑アヤ子 字幕監修:平山ユージ
提供:ニューセレクト
配給:アルバトロス・フィルム