本サイトの記事でも何度か言ってきたように、興福寺は神仏分離令で経済的基盤の寺領を失い大半の境内地も没収されただけでなく、一時は廃寺にもされていた。復興できたのも僧侶が隣接してかつては一体化していた春日大社の神官になっていて、失業はしていなかったことも大きかった。

再興は許されたものの寺領も境内地の多くも失って、経済的に苦境に陥っていた明治時代の興福寺としては、信仰の中枢になる主要なお堂の仏像の保護を優先したのもやむを得なかったと想像される。なにしろかつては今の奈良公園や県庁、地方裁判所、ならまちの一部も興福寺の境内地で、奈良ホテルから見下ろせる大きな日本庭園は最重要の塔頭のひとつで本坊だったこともある、大乗院の敷地で、発掘調査をもとに再現されたものだ。

旧大乗院庭園

興福寺の塔頭の中でも大乗院や一乗院は「門跡」の格式で天皇家の親王や上級貴族の子弟が出家して住職を勤め、後には室町幕府の最後の将軍足利義昭も、将軍になるため還俗する以前は一乗院の僧だった。快慶が興福寺のために何か造仏したという記録は残っておらず、主要な伽藍の仏像には参加していないようだが、記録が必ずしも残っていない子院の塔頭のための造仏であれば、話は違って来る。

千体聖観音菩薩立像 50体のうち 平安時代・12世紀 藤田美術館
興福寺北円堂にあって明治の廃仏毀釈で流出した千体仏のうち50体を藤田傳三郎が入手、うち2体を展示
脚の衣に赤い彩色が残っている

華麗な地蔵菩薩立像は、大乗院や一乗院のような、高貴な出自で経済的にも身分の上でもこのように豪華で手間のかかった特別な像を発注できる立場にあった者が住職の塔頭のために造られて明治時代まで伝来し、塔頭が廃寺になったので興福寺本体に移っていた可能性があり、だとすれば極度に手間がかかったであろう気品のある煌びやかさも説明がつく。

千体聖観音菩薩立像 50体のうち 平安時代・12世紀 藤田美術館
腰に緑の彩色が残る

この像はX線CTスキャンなどの科学調査で、ほぼ一本の材から彫った割り矧ぎ造りであること、内部に文書などが納められていることが確認されている。詳しい来歴はそれらの文書や胎内銘文に書かれているのかも知れないが、ただし800年おそらくずっとこのままなのにあまりに状態がいいこの像では、解体修理はずっと先のことになりそうだ。

日本の伝統社会の身分制は職業世襲、家の血統で職業が継承される社会だった。快慶は興福寺で大仏師を勤めた康慶の弟子だったが、慶派の工房を継承するのはその息子だった同世代の運慶であって、いかに優れた才能があっても快慶はその点では身分的に運慶には敵わず、大寺院の主要な仏像で大仏師を務める立場では基本なかった。その作品には、こと安阿弥陀様の阿弥陀仏の場合、胎内に納められていた文書の調査から名もない庶民を含む大勢の人々の寄進で造仏されたものが少なくないことも判明している。

だが一方で、比較的初期の建久3年(西暦1192年)の作品である醍醐寺の本坊・三宝院の本尊・弥勒菩薩坐像(重要文化財)が後白河法皇の追善供養の造仏だったように、かなり若い頃から天皇家に関わる重要な仕事も手掛けている。天皇家や貴族社会と特別なつながりがあったか、あるいは快慶の端正で優美な作風が気に入られたのか?

藤田美術館のあまりに美しい地蔵菩薩立像も、そうした作品だったと考えられないだろうか? 相当な財力を要する造仏でありながらも異例に小さな像であることも、そうした特別な身分の人々のために造られたと想像できそうな気がする。

快慶 木造地蔵菩薩立像 鎌倉時代・13世紀 藤田美術館 重要文化財

金をふんだんに使い鮮やかな彩色を施した煌びやかなこの像は、それでも資本主義の経済原理に価値観が染まった現代人である我々の目にも、金に糸目をつけないことを誇示するかのような贅沢な、貴族や天皇家の皇子の豊さの象徴として造られたようには見えない。保存状態の良さが普段は閉ざされた厨子に納められて外気に触れることが少なかったからだと仮定するなら、そのことからもこの煌びやかさの意味が財力の誇示とは別のところにあったと考えられる。滅多に人目に触れるものではなかったのだろうし、だいたい財力を誇示するのならもっと目立つ、大きな像にしたはずだ。

西洋ではとりわけ大航海時代以降、金銀財宝は財力と権力の象徴という文化的コードが現代に至るまで支配的だが、その西洋でも中世末期まではキリストや聖人の後光の表現に金を用いていたように、金には特別な宗教的・精神的な意味もあった。

当麻曼荼羅 鎌倉時代・13~14世紀 藤田美術館
観無量寿経の絵説きで、西方阿弥陀浄土(極楽浄土)の光景を描き、周囲には極楽往生を遂げるための観想の修行のマニュアルと、九段階に分かれる救済のレベルが図解されている

東洋の、とりわけ仏教文化では、もちろん金銀が相当な財力がなければ容易に用いることができない素材であっても、それ以上の精神的な、かつての感覚でいえば信仰上の意味が強かった。

たとえば煩悩や恐怖から解放された清浄な極楽浄土は金色に輝く世界と信じられ、それを再現した中尊寺の金色堂などを見ても、惜しげもなく財を投じた豪華さもまた、それが可能な立場のある者たちにとっては、真摯な祈りの表現だったのではないか?

快慶 木造地蔵菩薩立像 鎌倉時代・13世紀 藤田美術館 重要文化財
写真はすべて撮影:藤原敏史 ※主催者の特別な許可を得て撮影・禁転載
Canon EOS R6 Mark II, RF50mm F1.2L, RF85mm F1.2L ©2026, Toshi Fujiwara

またそんな純粋な華々しさ、ただ金を使っているが故の輝きに留まらない、精神性の透き通ったような輝きが、このあまりに美しい地蔵菩薩にはある。

特別展示『浄~きらめく極楽浄土』

会場:藤田美術館
会期:2026年1月6日(水)~3月31日(火) ※会期中は無休
 ※快慶作 木造地蔵菩薩立像の展示は1月31日まで
開館時間:10~18時
入館料:1,000円(19歳以下無料)

✴︎会場内は携帯電話、スマートフォンに限り写真撮影可

公益財団法人 藤田美術館
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