智の未来仏・弥勒如来と運慶仏の到達点
弥勒如来坐像 鎌倉時代・建暦2(1212)年 無著菩薩・世親菩薩立像 鎌倉時代・建暦2(1212)年頃 いずれも運慶作、国宝 奈良・興福寺蔵 北円堂安置
北円堂の弥勒如来は晩年の作で、その表現は円熟し抑制的であると同時に、悟りに至ることで人間を超えた聖なる存在となった仏、如来の聖性・超越性はどう具象化されるべきなのか、という運慶がその身体的リアリズム、つまり本当の人体をモデルに実在するかのような仏像を造り続けて来た創造のプロセスゆえに必然的に抱え続けた葛藤と疑問の、ひとつの回答ともなっている。
円成寺の大日如来をはじめ多くの運慶の如来、菩薩像では、無著世親像と同様、目に水晶やガラスを裏から嵌め込んで眼差しにリアルさを強調する「玉眼」が使われている。「玉眼」が運慶が発明した技法なのかどうかまでは分からないが、その特徴のひとつ、いわば運慶仏のトレードマークなのは間違いない。
ところが晩年の運慶はあえて如来像ではこの技法を捨て、平安時代以前の木を彫った目、彫眼に彩色というやり方に戻っている。
国宝 弥勒如来坐像(部分) 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212) 奈良・興福寺蔵 北円堂安置
確かに目があまりに生々しくギラギラ光っては、人間らし過ぎて悟りの聖性は感じにくいかも知れない。玉眼の像であっても運慶は瞼を半ば閉じ、目線を下に向けることで、如来の目があまり鋭く輝いて目立ったりしないように工夫はして来ていた。
彫眼の弥勒如来坐像では未来仏らしく、眼はしっかり開いて未来を見つめているかのようだ。
国宝 弥勒如来坐像 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212) 奈良・興福寺蔵 北円堂安置
鎌倉時代の仏像では彫刻技術の見せ所と言わんばかりに凝った衣、平安時代後期に浅い彫りで規則的にパターン化された衣のひだの様式化された表現の定型に抗うかのように、深く彫り込んだひだが不規則に複雑な曲線で入り組んで、それがあくまで身体の線に沿ってリアルで、衣の下の肉体を感じさせるのも、最盛期の運慶の特徴のひとつだ。これは北円堂の諸仏でも無著と世親の衣と袈裟のダイナミックさに健在だが、弥勒如来では整理されてスッキリしている。
前面にはまだひだが細かく彫られているがかなり規則的だし、側面から背中にかけては衣は身体にピッタリ沿ってほとんどひだがない。
国宝 弥勒如来坐像 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212) 奈良・興福寺蔵 北円堂安置
ただ結跏趺坐した足には、いかにも運慶らしい個性がはっきりしている。仏像の足は、おそらくは仏像つまり仏の姿の具象的表象の起源ともなった仏足石(仏の足跡が刻印された石)にちなんでいわゆる扁平足なのが通常で、仏足石ではその平な足底の跡に法輪などの仏を表す様々な記号が彫られるので、仏の足の裏は平坦でないといけなかった。
だが円成寺の大日如来坐像で、運慶は足の裏の筋肉もリアルで立体的に表現し、膝の内側に押し付けられた足の甲の小指が膝の筋肉に押されて内側に曲がっているところまで再現していた。
国宝 弥勒如来坐像(部分) 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212) 奈良・興福寺蔵 北円堂安置
リアルで力強い足の裏の筋肉の表現
北円堂の弥勒如来で足の裏の表現のリアルはさらに突き詰められている。踵は衣に隠れていて、素足がむき出しの前半分が力強く盛り上がっているのが、正面からもはっきり見える。足の指は中程の関節の部分は細く、指先は丸々と太く力強く、足指が膝の裏側に押し付けられて曲がる立体感は円成寺大日如来のそれよりも明確で分厚い。
国宝 弥勒如来坐像(部分) 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212) 奈良・興福寺蔵 北円堂安置
指先まで欠損がない弥勒如来坐像の、人差し指と親指で環を作った右手はとても上品ながら、しっかり指先まで力がこもって緊張感がある。これは手の造形そのもの以上に、腕の位置に起因するのではないか。
上腕はかなり前に向かい、肘の曲げ方も水平よりもずっと上で、前腕から指先までの全体により自然に力が入る角度だ。肩は運慶にしてはひだの控えめな衣の下でしっかり、がっしりしていて、胸の筋肉も明快で腹回りが引き締まった逆三角形の、いわばアスリート体型なのも、円成寺大日如来以来の運慶らしさだ。
国宝 弥勒如来坐像 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212) 奈良・興福寺蔵 北円堂安置
円成寺の大日如来ほどの生々しいまでの肉体の実存感、静岡県伊豆の国市・願成就院の阿弥陀如来坐像(国宝)の重量感や神奈川県横須賀市・常楽寺の阿弥陀如来坐像(重要文化財)の逞しく雄々しいまでの腹と胸に対し、北円堂の弥勒如来は未来仏として悟りに達した姿にふさわしく、スッキリと前を見つめる聖性、仏の悟りの超越性を知性として表現する。
張りのある頬の、ふっくらと言うよりみずみずしく生き生きとした顔は力強く決然とし、小さめの唇は固く結ばれていて唇の端の彫りも深い。それが経年で表面の漆箔(漆の上に金箔を張った処理)の剥落のせいもあって、遠目には微笑んでいるように見えるのも不思議だ。
国宝 弥勒如来坐像(部分) 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212) 奈良・興福寺蔵 北円堂安置
その上に、キリリと彫眼の目が白く見えるのがいかにも知恵・叡智を体現する理知的な如来の姿であり、あたかも「唯識」のような弥勒の智が単に脳内の抽象概念ではなく、思惟と実存する肉体との合致によって成立していることを表しているかのようだ。