展示風景、叡尊坐像を中心に、その深い舎利信仰を再現した展示空間
叡尊坐像のいわば目の前に展示されているのが、かつて平城京の大寺だった大安寺から西大寺に受け継がれた舎利を納めた、見事な透かし彫りの舎利容器と、唐招提寺の金亀舎利塔だ。
国宝 金銅透彫舎利容器 鎌倉時代・13〜14世紀 奈良・西大寺
大安寺に伝来した舎利は、東大寺大仏の開眼法要の導師としてインドから招聘された菩提僊那が、訪日時にもたらしたものだとも言われる。唐招提寺の舎利とは、鑑真が来日時にもたらした三千粒の舎利だ。
国宝 金亀舎利塔 鎌倉時代・13世紀 奈良・唐招提寺
金の亀に載っているのは、鑑真が日本に渡ろうとして船が難波した時に、海に沈んだ舎利を亀が背中に載せて浮かび上がって来た、という伝承に基づく。そんな「奇跡」譚を視覚化・具象化した特別な舎利容器だ。
精緻な金属工芸の蓮台と宝塔の屋根の間、蓮の葉と花びらをモチーフにした優雅な透かし彫りの部分の内部に、白瑠璃(ガラス)に納めた舎利があり、つまり舎利が外から垣間見えるようになっている。西大寺の金銅透彫舎利容器は、繊細で豪華な透かし彫りの中に球形の容器があって、その中に半球の、蓮の花を象って上面がガラスの容器に舎利の粒が納められている。
ガラスや水晶、透かし彫りなどを駆使して、納めた舎利がなんとなくは垣間見えるような舎利容器が、中世に多く造られるようになったのは、仏教の担い手が庶民階級にも広がって釈迦という存在がかつて本当に実在したことのいわば「証拠」に当たるものを見たい、という欲求が強まったというか、キリスト教風に言えば「聖遺物」が、分かり易い布教の重要な道具になったからだろうか? 中世後期のヨーロッパでも聖人の遺体やその一部とされるものをガラス張りに金で装飾した棺に納めて信者に見せるような教会が登場していて、こういうことは洋の東西を問わないようだ。
叡尊の舎利信仰に話を戻そう。
叡尊は鑑真がもたらしたとされる舎利を一粒入手した(三千粒の舎利のひとつ)ことがあり、その由緒正しい舎利のために造らせた金銅の宝塔も、後期では叡尊坐像の隣に展示されている。
国宝 金銅宝塔 鎌倉時代・文永7年(1270) 奈良・西大寺 展示期間 5月20日〜6月15日
最も外側の容器は仏塔を模っていて、まるで建築模型のミニチュアのように精緻な造りで、ムクの鋳造ではなく細かな金属のパーツ組み立てている。開いた扉の内が菱形の格子になっていて、その中に水晶に天蓋がある火炎宝珠が納められる。鑑真に由来する由緒正しい舎利はその上の二層目に、小さな水晶の五輪塔に入れられて納められこの水晶の舎利塔は何重もの布の袋に入れられる。
国宝 金銅宝塔 鎌倉時代・文永7年(1270) 奈良・西大寺 展示期間 5月20日〜6月15日
展示空間に出現したのは、叡尊を中心とする中世の釈迦信仰の、実在する人間だった仏としての釈迦への憧れと崇敬が凝縮したような空間なのだ。
そこにさらに、奈良時代から平安初期の釈迦信仰を代表する(当時、釈迦の生前の生き写しの姿と解釈された、左足を上にした結跏趺坐の)室生寺の釈迦如来坐像と、飛鳥時代に釈迦の生前の説法する姿と考えられていた倚像の釈迦如来、施無畏印を結んだ深大寺の「白鳳仏」の釈迦如来倚像と、古代の仏塔(「塔」は元来「卒塔婆」の意味、サンスクリット語の「ストゥーパ」の漢訳で「お墓」の意味、寺院の仏塔は元来は舎利を安置する施設だった)の遺物の展示が並ぶ。
国宝 釈迦如来倚像 飛鳥時代・7世紀 東京・深大寺
椅子に腰掛けて説法を行う釈迦は、飛鳥時代には生前の釈迦の弟子たちを前にした姿として信仰された
その「釈迦を慕う」の章に一つだけ近世絵画が展示されている。伊藤若冲の「動植綵絵」だ。
国宝 動植綵絵 伊藤若冲筆 江戸時代・宝暦9年(1759) 国(皇居三の丸尚蔵館) 展示期間 5月20日〜6月15日
全三十幅のうち、雪中鴛鴦図、大鶏雌雄図。動植綵絵三十幅は本来、釈迦三尊像とセットで観音菩薩の三十三応現身と同数の三十三幅の仏教絵画であり、様々な生命の有り様が釈迦如来に付き従うものとして描かれている
この全30幅・10年がかりの大作は「奇想の画家」の超絶技巧の代表作としてばかり注目されがちだが、実は仏教絵画、伊藤若冲なりの「祈りのかがやき」の形なのだ。
本来この30幅は15幅ずつに分けて、若冲自身の筆になる釈迦三尊像(相国寺に伝来した宋の仏画の精緻な写し)の左右に掛けられるために描かれた。合計33で観音菩薩の三十三応現身に対応し、相国寺では観音菩薩の法要のために用いられて来た。
さまざまな生命の形を詳細に観察して緻密に、高価な絵の具までふんだんに用いて(この33幅の絵は若冲が私費で描き相国寺に奉納したもの)技巧の限りを尽くして描写したのは、この世の全ての衆生・命に仏性が宿り、この現実の世界こそが仏の世界でありその中心が釈迦如来が悟りで到達した「法」つまり宇宙の根本原理だとする、若冲の思想の表現なのだ。
あらゆる生命の中、大自然の中に仏性が宿る、という思想は、ふと気づくと室生寺の、平安初期の釈迦如来坐像のシャープで潔い一刀一刀で如来の姿を大木から彫り出した、その木の質感と生命感が緻密な翻波式衣紋の緻密ながら勢いのある彫刻でかえって際立ち、かつ二等辺三角形のシルエットの抜群の安定感がどっしりとした大木、ひいては不変にして普遍たる大自然をも表しているかのような、あの独特の美しさにも、通ずるものではないか?
国宝 釈迦如来坐像 平安時代・9世紀 奈良・室生寺
翻波式衣紋のシャープな彫りと正三角形に近い二等辺三角形に収まる全体のシルエットが産み出す重量級の安定感が、実際の大きさよりもひとまわりもふたまわりも大きく見せる大迫力の存在感。
その二つの仏の姿=世界・大自然・宇宙の有り様の霊性の表現が、半壁ひとつだけを隔てて並んでいる。