「芸術は見えないものを見えるようにする」この言葉は、幻想的で色彩豊かな作品を描いたスイスの画家パウル・クレー(1879 - 1940)のものです。彼の作風は表現主義、超現実主義などのいずれにも属さない、独特のもので、子供のような絵とも言われていますが、自由な発想、創造力に富んだ絵画でした。
カンディンスキーらとともに20世紀初頭にドイツで前衛芸術家のグループ「青騎士」を結成し、バウハウスで教鞭をとっていた事でも知られています。

「この世では、私を理解することなど決してできない。なぜなら私は、死者たちだけでなく、未だ生まれざる者たちとも一緒に住んでいるのだから。」という衝撃的な言葉は、1920年にクレーの作品を売り出すため、画廊が用いたもので、孤独に瞑想する芸術家としての彼のイメージを広めましたが、同じ時代を生きたほかの多くの前衛芸術家たちと同様に、クレーもまた、仲間たちと刺激を与え合ったり、夢を共有したりしながら、困難な時代を生き抜いたひとりの人間でした。

このたび、愛知県美術館において、「パウル・クレー展 ── 創造をめぐる星座」が開催中です。クレーは、人生の根源的な悲劇性と向き合いながら、線と色彩によって光を呼び起こし、抽象のなかに生命のエネルギーを描き出しました。
本展では、スイスのパウル・クレー・センターとの学術協力のもと、クレーと交流のあった芸術家の作品との比較や、当時の貴重な資料の参照を通じて、多くの人や情報が構成する星座=コンステレーションのなかでクレーを捉え直し、その生涯にわたる創造の軌跡がたどられています。それでは、シネフィルでも時代を追うごとに変化していくクレーの作品、クレーが影響を受けた画家の作品を観ていきましょう。

(カバー画像 愛知県美術館 パウル・クレー展内覧会にて撮影 photo by ©cinefil)

画像: ヴァイマル・バウハウスのアトリエにいるパウル・クレー(1923年)愛知県美術館 パウル・クレー展内覧会にて撮影photo by ©cinefil

ヴァイマル・バウハウスのアトリエにいるパウル・クレー(1923年)愛知県美術館 パウル・クレー展内覧会にて撮影photo by ©cinefil

パリの⾊彩とチュニジアの光

1914年の春、線描を主な表現⼿段としてきたクレーは、友⼈の画家ルイ・モワイエとアウグスト・マッケとともに北アフリカのチュニジアを旅行し、《チュニスの赤い家と黄色い家》などの⾊彩豊かな作品を描き始めます。クレーが滞在中に書き残した日記には、「⾊彩が私を捉えたのだ」と記され、チュニジアの陽光に溢れる風景が彼の作品を色鮮やかなものへと変える転機となったのです。

画像: パウル・クレー《チュニスの赤い家と黄色い家》1914 年 パウル・クレー・センター

パウル・クレー《チュニスの赤い家と黄色い家》1914 年 パウル・クレー・センター

画像: ロベール・ドローネー《街の窓》1912 年 ⽯橋財団アーティゾン美術館

ロベール・ドローネー《街の窓》1912 年 ⽯橋財団アーティゾン美術館

チュニジア旅行の少し前から、クレーはフランスの同時代の美術への関⼼を強め、特にドローネーの《街の窓》の「バッハのフーガ」を思わせる⾳楽のような抽象性を賞賛していました。旅行から戻った直後にクレーが描いた《ハマメットのモティーフについて》は、まさにこのドローネーの作品を想起させる色彩を重ね合わせた抽象的油彩画です。

戦争の破壊と希望

クレーがチュニジアの旅⾏から戻って間もなく、ヨーロッパは第⼀次世界⼤戦へと突⼊し、前衛芸術家のグループ「⻘騎⼠」のメンバーでドイツ国籍のマッケとフランツ・マルクが⾃ら従軍して命を落としました。戦争の先に希望を夢見た友⼈たちの死、前線から伝えられる戦争による破壊、そして⾃らの従軍を経て、クレーは戦争に対する態度を複雑に変化させ、それは作品の制作に反映されていきました。戦時中に⾏われた⾃作の切断と再構成、暴⼒と恐怖の抽象的な表現、そして《アフロディテの解剖学》や《紫と⻩⾊の運命の響きと⼆つの球》に認められる神話的な世界への接近は、戦争によってもたらされたものです。

画像: パウル・クレー《アフロディテの解剖学》1915 年 宮城県美術館

パウル・クレー《アフロディテの解剖学》1915 年 宮城県美術館

画像: パウル・クレー《紫と⻩⾊の運命の響きと⼆つの球》1916 年 宮城県美術館

パウル・クレー《紫と⻩⾊の運命の響きと⼆つの球》1916 年 宮城県美術館

シュルレアリスムの先駆者クレー

アンドレ・ブルトンが1924年の『シュルレアリスム宣⾔』において、クレーをシュルレアリスムの先駆者のひとりとして位置づけたように、第⼀次世界⼤戦後のフランスにおいて、シュルレアリスムの詩⼈や芸術家たちは、彼の作品に着⽬していきました。
クレーがシュルレアリストを⾃称したり、その活動に積極的に加わったりことはありませんでしたが、《⼩道具の静物》に描かれた、⼈知れず⽣命を帯び始める舞台倉庫の道具の姿や、《周辺に》に⽰される植物の細部が⾒せる驚異的な姿への関⼼は、シュルレアリストたちとクレーとの接近を物語っています。

画像: パウル・クレー《⼩道具の静物》1924 年 パウル・クレー・センター

パウル・クレー《⼩道具の静物》1924 年 パウル・クレー・センター

画像: パウル・クレー《周辺に》1930 年 バーゼル美術館

パウル・クレー《周辺に》1930 年 バーゼル美術館

画像: パウル・クレー《闘っているポップとロック》1930 年 パウル・クレー・センター

パウル・クレー《闘っているポップとロック》1930 年 パウル・クレー・センター

本作では、無表情に続く漠然とした空間の中で二つの奇怪な生き物がもつれ合って戦う姿が描かれています。クレーの作品としては珍しく、明確な輪郭と陰影を伴った自然主義的な描写方法が用いられています。

バウハウスという共同体

1919 年にヴァイマルに設⽴されたバウハウスの初代校⻑ヴァルター・グロピウスは、総合芸術としての建築を⽬指すこの学校に、前衛芸術家たちの参加が不可⽋であると考えました。グロピウスに招かれ、1921 年にクレーは同校の教育を担う中⼼的な存在である「マイスター」に就任し、翌年には、かつて⻘騎⼠の中⼼的存在であったカンディンスキーも同僚となり、ここで2 ⼈は再会を果たしました。
同僚たちとの意⾒の相違や度重なる学校の⽅針転換により、バウハウスは議論の絶えない場となりました。その影響を受けて、クレーの作品は⾊彩をその駆動⼒としながら、様々な展開を見せていきます。

画像: ヴァシリー・カンディンスキー《緑に向かって》1928 年 パウル・クレー・センター(リヴィア・クレー寄贈品)

ヴァシリー・カンディンスキー《緑に向かって》1928 年 パウル・クレー・センター(リヴィア・クレー寄贈品)

本作は、カンディンスキーがクレーの誕生日に贈った作品。絵の具を吹き付けている技法は、クレーが用いていた技法に倣ったものです。

画像: パウル・クレー《⾚、⻩、⻘、⽩、⿊の⻑⽅形によるハーモニー》1923 年 パウル・クレー・センター

パウル・クレー《⾚、⻩、⻘、⽩、⿊の⻑⽅形によるハーモニー》1923 年 パウル・クレー・センター

1923年からクレーは画面を緩やかなグリッド構造に分節して、様々な色彩を布置していく「方形面」と呼ばれる作品の制作を開始しました。それらは多くの場合、暗い下地の上に油彩などの不透明な絵の具で描かれました。クレーは補色を含むあらゆる色彩の関係を運動という連続性のなかで捉えようとしました。綿密な色彩理論によって創られた作品です。

画像: パウル・クレー《蛾の踊り》1923年 愛知県美術館

パウル・クレー《蛾の踊り》1923年 愛知県美術館 

暗い色から明るい色への段階的な移行が垂直・水平方向に重ね合わされて、白く塗り残された上下2つの中心には光のエネルギーが収束しています。クレーはそこに天を仰ぎ見ながら上昇していこうとする女性に擬人化された蛾を重ねています。

画像: パウル・クレー《殉教者の頭部》1933年 パウル・クレー・センター(リヴィア・クレー寄贈品)

パウル・クレー《殉教者の頭部》1933年 パウル・クレー・センター(リヴィア・クレー寄贈品)

ナチズムからの攻撃が急速に強まり、故郷のベルンヘの亡命を余儀なくされた1933年には数多くの肖像画が描かれました。それらはナチズムに苦しめられた人々、とりわけクレー自身の姿を連想させますが、クレーは「反ファシストの芸術などというものはない。あるのは芸術だけだ。」と考えていました。

さまざまな時代に翻弄され、たくさんの画家たちの影響を受けながら、独自の芸術を創造したクレー。影響を受けた画家たちやクレーと交流のあった画家たちとクレーはまるで星座のように西洋美術の空できらめいています。その星座の中でも一段と輝くクレーの星をご覧ください。

愛知会場には約100 点の作品・資料が出品されます。クレーの出⾝地であるスイスのパウル・クレー・センター、バーゼル美術館のほか、⽇本国内各地の美術館からクレーの作品50点以上が集結します。紹介される機会の少なかった、クレーと交流のあった重要な芸術家の作品も展⽰されています。是非この機会にご覧ください。

展覧会概要

展覧会名| パウル・クレー展̶̶創造をめぐる星座
Paul Klee, Solitary and Solidary
会 期| 2025年1⽉18⽇(⼟)― 3⽉16⽇(⽇)[50⽇間]
開館時間| 10:00−18:00 ⾦曜⽇は20:00まで(⼊館は閉館の30分前まで)
休館⽇| 毎週⽉曜⽇(ただし2⽉24⽇[⽉・振休]は開館)、2⽉25⽇(⽕)
会 場| 愛知県美術館(愛知芸術⽂化センター10階)
〒461-8525 名古屋市東区東桜1-13-2
美術館ウェブサイト

アクセス| 地下鉄東⼭線・名城線「栄」駅/名鉄瀬⼾線「栄町」駅下⾞、
オアシス 21 連絡通路利⽤徒歩3 分
チケット| ⼀般 1,800(1,600)円⾼校・⼤学⽣ 1,200(1,000)円中学⽣以下無料
※( )内は前売券および20 名以上の団体料⾦です。
※上記料⾦で本展会期中に限りコレクション展もご覧になれます。

シネフィルチケットプレゼント

下記の必要事項、をご記入の上、「ミロ展」@東京都美術館 シネフィルチケットプレゼント係宛てに、メールでご応募ください。
抽選の上4組8名様に、無料観覧券をお送り致します。この観覧券は、非売品です。
転売業者などに転売されませんようによろしくお願い致します。
☆応募先メールアドレス miramiru.next@gmail.com
★応募締め切りは2025年2月3日 月曜日 24:00
記載内容
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