雪舟などの「水墨画」は実は中国風の「漢画」。では日本独自の表現とは何か?
全体像はあまりにも広範で多様なのでとても言葉では説明できないがとりあえず、なぜ「やまと絵」つまり「日本風であること」をわざわざ明示した絵画ジャンルが日本美術史にはあるのか、だけは簡単に触れておこう。
日本はいうまでもなく島国で独自の文化が育ち易い環境の一方で、その文化は歴史的に見て古代からずっと中国大陸の強い影響下にあり、絵画も例外ではなかった。「やまと絵」の基本が確立した平安時代前期には一方で宗教上の理由から仏画が多く製作されているが、仏画の意匠は直接には中国から輸入され、起源はインドにまで遡る仏教の約束事に基づく。
特に鎌倉時代以降の武士の時代に好まれるようになり、その後江戸幕府に至るまで武家の「公式絵画」の地位にあったのは禅宗の絵画だ。室町時代の周文や雪舟等楊、桃山・江戸時代の狩野派など、むしろ我々現代人が普通に「日本絵画」と受け取りがちなのは、こうした水墨画などの絵画的伝統の方だろう。しかし実は「漢画」、極めて中国風の様式で、起源は北宋・南宋の中国王朝の宮廷絵画だ。
そうした山水画に描かれているのは奇岩が屹立し広大な湖(洞庭湖、西湖など)があったりする中国の名勝で、その風景を愛でる文人たちや、雄大な風景の中で農耕や漁労に励む庶民も服装は中国服、建築物も中国のそれだ。
本展でも比較対象的に周文の四季山水図屏風などが展示されているが、神護寺の国宝・山水屛風や大阪・金剛寺の国宝・日月四季山水図屛風などと比べると、山の描き方がまったく違うのは単にモノクロームが主体の水墨画と、緑や青の高価な顔料をふんだんに用いた大自然の豊かな色彩がまばゆいカラー画面の違いだけではない。まず山の形がぜんぜん違うのだ。花崗岩が風化したなだらかな山並みが多い日本にはそもそも、雪舟の水墨画のような垂直に屹立した角張った風景はあまりなく、むしろ丸っこくなだらかな、柔らかな風景が多い。
またそんな穏やかな自然のありようも関係しているのか、中国の伝統を継承した禅画・漢画は遠近感の表現が巧みに計算された構築的・立体的な画面構成であるのに対し、「やまと絵」の風景は色彩のインパクトが強いせいもあって意図的にフラットだ。日本人にとってとりわけ大事な水の表現も、波などがあえて様式化・パターン化され、紋様のように処理され、極めて装飾的でもある。