《ひまわり》の鮮やかな黄色や、《自画像》の青色が印象的なフィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)。
彼の芸術は、美しい色彩と豊かな表現力で、今なお、世界中で脚光を浴びています。 ゴッホは壮絶な人生を生き、わずか10年ほどの画業で、数々の名画を世に残した天才画家でした。 今回は、ゴッホの芸術に魅了され、世界最大の個人収集家となったヘレーネ・クレラー=ミュラー(1869-1939)のコレクションを紹介致します。
ヘレーネは、19世紀から20世紀にかけてのフランスやオランダの芸術家たちの珠玉の作品を中心とした膨大なコレクションを築きましたが、特にファン・ゴッホの作品に感銘を受け、まだ世間から評価されていない頃から収集を始め、彼の90点を超える油彩画と約180点の素描・版画など、最大の収集家となったのです。
ヘレーネは、どんな画家の作品よりもゴッホの作品に人間の内面が現れていると感じました。
ゴッホの作品は、彼女のコレクションの中心を占め、今も彼女がオランダのオッテルローに設立したクレラー=ミュラー美術館のハイライトとなっています。
本展では、同館よりファン・ゴッホの初期から晩年までの油彩画28点、オランダ時代の素描・版画20点、関連作家の油彩画20点が展示されます。
また、ヘレーネのコレクションに加え、ファン・ゴッホの没後に弟テオ、テオの妻ヨー、そしてその息子へと引き継がれた、ファン・ゴッホ美術館のコレクションから、《黄色い家(通り)》なども特別に出品されます。
ファン・ゴッホの油彩画、素描、版画、合計52点が一堂に鑑賞できる機会となります。
さらに、ゴッホの傑作《夜のプロヴァンスの田舎道》の16年ぶりの来日も見どころです。
《夜のプロヴァンスの田舎道》は、生命力を感じさせる感動作です。
是非この機会に、東京都美術館で、壮絶な人生を生きた天才画家・ゴッホの感動的な作品の数々をご鑑賞ください。
それではシネフィルでも、「ゴッホ展—響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」の構成に従って、代表的な作品を観ていきましょう。
南仏アルルでの「耳切事件」の後、サン・レミの療養院で傷心のゴッホに生命力を与えた「糸杉」。
ゴッホは弟のテオに宛てた手紙でも「〈ヒマワリ〉のように〈糸杉〉の連作を描きたい」と意欲を示していたようです。
ゴッホは、美しく生命力に満ちた「糸杉」を鮮やかな緑色で色彩豊かに、大胆な筆触でうねるように力強く描きました。
本作は、おそらくファン・ゴッホがプロヴァンスで描いた最後の作品で、紺碧の夜空にそびえる糸杉を力強く描いていて、細い三日月や明るい星が夜道を照らし、黄色い馬車や二人の人を映し出しています。
芸術に魅せられて:
ヘレーネ・クレラー=ミュラー、収集家、クレラー=ミュラー美術館の創立者
ヘレーネ・クレラー=ミュラーは、美術批評家で美術教師のヘンク(ヘンドリクス・ペトルス)・ブレマーの講義を受け、美術に関心をもつようになり、1907年から近代絵画の収集を始め、実業家の夫アントンの支えのもと11,000点を超える作品を入手しました。
ブレマーはファン・ゴッホを、作品に精神や感情を付与できる最高の画家だと考え、ヘレーネはこの教えに共感し、ファン・ゴッホの作品に深い精神性や人間性を感じ取り、多くの作品を購入していきます。そして1908年からおよそ20年間で、積極的にファン・ゴッホ作品を集めた世界最大の収集家となりました。
1938年、ヘレーネは多くの人々にコレクションを公開し、後世に伝えるためクレラー=ミュラー美術館を設立したのです。
ヘレーネの愛した芸術家たち:写実主義からキュビスムまで
早くからその公開と後世への継承を意識したヘレーネは、西欧美術の流れにも目を配り、18世紀以前の作品も収集しました。
19世紀半ばから1920年代の作品、写実主義から印象派、新印象派、象徴主義、抽象主義まで近代絵画の流れをたどることができます。印象派を好んだヘレーネは、ルノワールの
《カフェにて》や、《道化師》もコレクションしています。
ジョルジュ・スーラやポール・シニャックを含む新印象派(分割主義)の作品群は、世界最大級のコレクションとなりました。
素描家ファン・ゴッホ、オランダ時代
1880年8月、ファン・ゴッホは画家となる決意をし、まずジャン=フランソワ・ミレーなどの版画作品や教本の素描見本の模写を始めます。
人物画家を目指し、1881年4月にエッテンへ移ると、農作業や手仕事をする人物を描き始めます。同年12月から暮らしたハーグでは、都市風景のほか、生活をともにしたシーン・ホールニクや近くの養老院の男女をモデルに人物素描に注力しました。
画家ファン・ゴッホ、オランダ時代
ファン・ゴッホは、素描で画家になる訓練を重ねたのち、1883年12月に移り住んだニューネンの地で本格的に油彩画に着手します。
この作品は、1881年の冬、ファン・ゴッホがハーグ派の画家アントン・マウフェのアドバイスを受けて制作したもの。多種多様な事物をまとめあげる技術を習得するため、静物画で色彩や質感などを描き分けるようにと、マウフェが勧めたようです。ゴッホはハーグ派に倣ってくすんだ色調で農民の慎ましい暮らしや労働などを描きました。
画家ファン・ゴッホ、フランス時代
1 パリ
1886年2月28日頃、ファン・ゴッホはパリに到着し、画商として働く弟テオと暮らし始めます。パリに暮らす若い前衛芸術家たちと付き合うようになり、また印象派や新印象派の作品、浮世絵版画、アドルフ・モンティセリの絵画などと出会い、まだ自然の残るモンマルトルなどのパリ市内やセーヌ川沿いの郊外をとらえた風景画、肖像画も手がけていきます。約2年ですっかり表現を刷新し、力強く現代的な独自の様式を発展させ、限られた仲間内ではありますが前衛画家として認められるようになりました。
ファン・ゴッホがもっとも新印象派に近い実験をしている作品のひとつ。中流階級向けのレストランで、壁の中央にはファン・ゴッホの作品《サン=ピエール広場、パリ》(1887年)(本展未出品)がかけられています。
印象派や、新印象派と出会い、光を取り入れた明るい色彩、繊細な筆致で描かれています。
画家ファン・ゴッホ、フランス時代
2 アルル
画家としての自信を深めたファン・ゴッホは、南仏に赴き、1888年2月20日にアルルに住居を定めました。
春には花盛りの果樹園を繰り返し描き、夏には麦の収穫に注力しました。真の現代の芸術家は卓越した色彩画家だと考えたファン・ゴッホは、とくに南仏の明るい空の青と、燃えるように鮮やかな太陽の色彩である黄色の組み合わせに熱心に取り組みます。
10月にはアルルにポール・ゴーガンが合流し、影響を与え合いながらともに制作を行いましたが、しばらくすると二人の関係は拗れ、共同生活は2か月ほどで終わりを迎えます。ファン・ゴッホは最初の病気の発作に襲われ、治療が必要と判断し、1889年5月にアルルを離れる決意をします。
南仏アルルの穏やかな気候、明るい太陽のもとでゴッホは、自然の美しさを描き出します。この作品について、ファン・ゴッホは手紙の中で次のように語っています。「ミレーとレルミットの後に残っているものといえば…それは種まく人を、色彩を使って大きなサイズで描くことだ」(テオ宛、1888年6月21日)。
彼は、畑の紫と、空と麦の黄色という、強烈な補色の対比の中に種まく人を描き出そうとします。種まく人は永遠の季節を象徴するもので、農民の生活を映し出すモティーフとして重要なものでした。一方で太陽も重要なモティーフで、それは生命を育み、温もりを与え、ファン・ゴッホが用いる深みのある色彩に不可欠で、神にも等しい存在でした。
この作品は、造形と象徴の両面において、彼にとって重要な意味を持つものとなりました。
画家ファン・ゴッホ、フランス時代
3 サン=レミとオーヴェール=シュル=オワーズ
1889年5月8日、ゴッホは、アルルを離れ、ゴーガンとの決裂による傷心と、その後の病気による発作を癒すために、サン=レミのサン=ポール=ド=モーゾール療養院に入りました。
体調が許せば、花が咲き誇る療養院の庭や周囲の田園風景を前に制作を行いました。色調はアルルの頃より抑えられ、糸杉やオリーヴ園などプロヴァンスの典型的なモティーフに取り組むようになります。
1890年5月16日、彼は療養院を後にし、北仏のオーヴェール=シュル=オワーズに移り住み、村やその周りの美しい風景にインスピレーションをかき立てられ、新しい様式も試みながら制作を続けます。
サン=レミ時代よりも強い色彩を採用し、様式的な筆触を抑え、より自由な筆遣いをするようになりました。しかし、7月27日に自らを撃ち、2日後に弟テオに看取られ、生涯を閉じたのです。
サン=レミでファン・ゴッホは、ミレーやドラクロワなどの版画を油彩で模写しましたが、この作品は自らがかつてオランダ時代に制作した版画《永遠の門》を模写したものです。 若いころ、彼は悲しみに暮れる人々という主題を好んで描いていましたが、療養院での生活はしばしば憂鬱になり、また絶望もし、自分の健康状態は良くなるどころか悪化したと感じていたので、この作品の主題は彼にとってはとても身近なものでした。
本作は、ゴッホがサン=レミのサン=ポール=ド=モーゾール療養院に入り、約1年を過ごした中で描かれた作品です。
そこでの生活は穏やかな環境と心の平安を彼に与えてくれるものでした。
彼は入院後直ちに療養院の庭を描き始め、そこで見つけた自然のモティーフから、圧倒的なまでの春の生命力を感じ、それを画面に記録したのです。
鮮やかな緑色の色彩、グラデーションをつけてうねるような筆触で描いています。
ファン・ゴッホ美術館のファン・ゴッホ家コレクション
オランダにあるもう一つの素晴らしいコレクション
ヘレーネがコレクションを築いているときも、今日においても、ファン・ゴッホ家のファン・ゴッホコレクションが、圧倒的に世界最大のものです。
200点を超える油彩画、500点ほどの素描、膨大な手紙、ほかの芸術家の作品群などを含むこのコレクションは、1973年、アムステルダムに開館したファン・ゴッホ美術館に永久貸与されています。
本作はアルルへ移住してから半年ほどして、ファン・ゴッホとゴーガンが共同生活を送った、有名な黄色い家を描いた作品です。
ゴーガンを中心に、キリストの十二使徒になぞらえ、12人の芸術家たちが共同制作をする「南仏のアトリエ」を夢見ていたファン・ゴッホでしたが、その願いは2か月ほどで砕かれ、「耳切事件」によって幕を閉じます。
ゴーガンを深く敬愛していたファン・ゴッホでしたが、二人の個性の違いは如何ともしがたく、その緊張にファン・ゴッホの神経は耐えることができませんでした。
わずか10年ほどの間に自然派の農民を描く作風から、印象派の影響を受け、色鮮やかな美しい風景を描くようになったゴッホ。
ゴーガンとの共同生活の後、「耳切事件」を起こすなど、壮絶な人生でしたが、最後には、生命力あふれる《糸杉》を描き、独自の世界を築きました。
ゴッホの感動的な芸術を是非、ご堪能ください。
(美学美術史学科専攻)米澤美也子
展覧会概要
展覧会名 「ゴッホ展―響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」
会場 東京都美術館 企画展示室
会期 2021年9月18日(土)~12月12日(日)
休室日 月曜日
※ただし、11月8日(月)、22日(月)、29日(月)は開室
開室時間 9:30~17:30(入室は閉室の30分前まで)
観覧料 一般 2,000円 / 大学生・専門学校生 1,300円 / 65歳以上 1,200円
※本展は日時指定予約制です。詳細は展覧会公式サイトをご覧ください
※高校生以下は無料(日時指定予約が必要です)
※身体障害者手帳・愛の手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳・被爆者健康手帳をお持ちの方とその付添いの方(1名まで)は無料(日時指定予約は不要)
※いずれも証明できるものをご持参ください
※オンライン・プレイガイドでの購入が難しい方を対象に東京都美術館のチケットカウンターにて当日券を販売します。ご入場いただける直近の時間枠にてご案内します。ただし、ご来場時に予定枚数が終了している場合があります。
主催 公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都美術館、東京新聞、TBS
特別協賛 サイバーエージェント、TBSラジオ
協賛 NISSHA
協力 KLMオランダ航空会社、ヤマト運輸
後援 オランダ王国大使館
展覧会公式サイト https://gogh-2021.jp
お問い合わせ先 TEL:050-5541-8600(ハローダイヤル)