ジョン・コンスタブル《ハムステッド・ヒース、「塩入れ」と呼ばれる家のある風景》1819-20年頃、油彩/カンヴァス、38.4×67.0cm、テート美術館蔵 ©Tate

イギリスを代表する風景画家、ジョン・コンスタブル(1776-1837年)の日本で35年ぶりとなる大回顧展が三菱一号館美術館にて開催中です。
コンスタブルは生まれ育った英国の田園風景を愛し、刻々と移ろいゆく空の雲や、光を受けて輝く緑の樹々などを描きました。
戸外の光のもとで制作された彼の作品からは清々しいその空気感までが伝わってくるようです。

1歳年長のJ. M. W. ターナーとともに2大巨匠として自国の風景画を刷新し、その評価を引き上げました。
ターナーが絶えず各地を旅して、国内外の景観を膨大な数の素描に収めたのとは対照的に、コンスタブルは、ひたすら自身の生活や家庭環境と密接に結びつく場所を描きました。
故郷サフォーク州の田園風景をはじめとして、家族や友人と過ごしたソールズベリー、ハムステッド、ブライトンなどの光景を生き生きと写し出しました。

本展では、世界有数の良質なコンスタブルの作品群を収蔵するテート美術館から、ロイヤル・アカデミー展で発表された大型の風景画や再評価の進む肖像画などの油彩画、水彩画、素描およそ40点に加えて、同時代の画家の作品約20点が紹介されています。
国内で所蔵される秀作を含む全85点を通じて、自然を見つめ、その大気感までも繊細に描き出したコンスタブルの風景画を是非、ご堪能ください。
それではシネフィル上でも展覧会の構成に従って、いくつかの作品を観ていきましょう。

画像: ジョン・コンスタブル《自画像》1806年、グラファイト/紙、19.0×14.5cm、テート美術館蔵 ©Tate

ジョン・コンスタブル《自画像》1806年、グラファイト/紙、19.0×14.5cm、テート美術館蔵 ©Tate

1章 イースト・バーゴルトのコンスタブル家

コンスタブルは1776年、イングランド東部に位置するサフォーク州イースト・バーゴルトで製粉業を営む父の家に⽣まれました。
フラットフォード周辺の風景は、⼦どもの頃の楽しい記憶と結びつく⼟地であり、このような⾵景の思い出こそが画家を志す最初のきっかけになった、とコンスタブルは後に語っています。
ロンドンのロイヤル・アカデミー美術学校⼊学後も、⾃分が強く愛着を感じる⼟地を描くことにこだわり、夏は毎年、故郷で地元の⾵景を描きました。
当時は「歴史(物語)」画と肖像画が優位に置かれ、⾵景画では⾃活できなかったため、敢えてジェントリ層の肖像画を⼿がけることもありましたが、機会があればいつでも⾵景画の制作に⽴ち戻りました。

画像: ジョン・コンスタブル《マライア・ビックネル、ジョン・コンスタブル夫人》1816年、油彩/カンヴァス、30.5×25.1cm、テート美術館蔵 ©Tate

ジョン・コンスタブル《マライア・ビックネル、ジョン・コンスタブル夫人》1816年、油彩/カンヴァス、30.5×25.1cm、テート美術館蔵 ©Tate

《マライア・ビックネル、ジョン・コンスタブル夫人》は、最愛の妻を描いた作品です。
彼女は海軍裁判所の事務弁護士の娘で、祖父は牧師でした。
1809年頃、二人は恋に落ちましたがコンスタブルの父の反対によって、結婚したのは7年後、コンスタブルが40歳の時でした。
この絵は結婚の3か月前に描かれ、結婚までずっと手元に置いていました。

2章 自然にもとづく絵画制作

1802年からコンスタブルは、太陽の下で自然を描き始めました。
戸外での油彩画制作は、17世紀にイタリアで修業したフランスの画家が訓練の一環として始め、各国に広まった手法です。
これに対してコンスタブルは、「あらゆる創造力がそこから湧き出る源泉」として自然を捉え、その根源的な本質を探るには戸外で描く必要がある、と考えていて、展覧会出品用の絵画などの大型作品を、ほぼ完全に戸外で細部まで描こうとしました。

画像: ジョン・コンスタブル《フラットフォードの製粉所(航行可能な川の情景)》1816 -17年、油彩/カンヴァス、101.6×127.0cm、テート美術館蔵 ©Tate

ジョン・コンスタブル《フラットフォードの製粉所(航行可能な川の情景)》1816 -17年、油彩/カンヴァス、101.6×127.0cm、テート美術館蔵 ©Tate

本作はフラットフォードの橋の脇から、コンスタブル家の製粉所を遠方に眺めた情景で、コンスタブルが結婚してロンドンに行く直前に、画家になるきっかけとなったこの地に「愛情を込めた別れ」として描いた作品です。
馬に乗る少年は画家自身の姿であると見なすことができます。
青い空に広がる雲の様子や川の水面の透明感、光を受けた緑の樹々のきらめきが繊細に写実的に描かれています。

3章 ロイヤル・アカデミーでの成功

1816年末に結婚したコンスタブルは、ロンドンでの家庭生活を維持するために、肖像画制作に励みますが、風景画を最も重視する姿勢は変わらず、ロイヤル・アカデミー展でさらなる注目を集めようとして、より大判の、幅が約6フィート(約185㎝)あるカンヴァスにサフォークの風景を描き始めました。
この意欲あふれる試みによって、1819年、画家はロイヤル・アカデミーの准会員に選出されます。
コンスタブルはロンドン中心部から高台のハムステッドにも住まいを借り、この地の小道や木々、人目につかない一角を描写しましたが、最も強く惹きつけられたのは、視界いっぱいに広がる荒野とダイナミックに変化する空でした。

画像: ジョン・コンスタブル《ハムステッド・ヒース、「塩入れ」と呼ばれる家のある風景》1819-20年頃、油彩/カンヴァス、38.4×67.0cm、テート美術館蔵 ©Tate

ジョン・コンスタブル《ハムステッド・ヒース、「塩入れ」と呼ばれる家のある風景》1819-20年頃、油彩/カンヴァス、38.4×67.0cm、テート美術館蔵 ©Tate

本作は、砂や砂利の採取場として長年利用されてきた荒野(ヒース)に、広大な空が広がる風景で、コンスタブルがハムステッドで好んで描いた構図でした。
コンスタブルの友人の画家で最初の伝記作者となったレズリーは、「空はイングランドの夏の日の青色をしていて、大きいが威圧的でない銀白色の雲が浮かんでいる」と、称賛していました。

画像: ジョン・コンスタブル《雲の習作》1822年、油彩/厚紙に貼った紙、47.6×57.5cm、 テート美術館蔵 ©Tate

ジョン・コンスタブル《雲の習作》1822年、油彩/厚紙に貼った紙、47.6×57.5cm、
テート美術館蔵 ©Tate

1820年代初頭にコンスタブルは、このハムステッドで、刻一刻と移り変わる空の研究をし、きわめて表現力豊かな雲の油彩習作を無数に手がけています。
粗い筆触で自然の風景を表現する技法は、のちにフランスを中心としたモネなどの印象派の先駆けともいえます。
同じように空や雲に魅了され、その表現を追求した18世紀以降のイギリスの画家の作品も、ここで紹介されています。

4章 ブライトンとソールズベリー

結核を患う妻の療養のため、コンスタブルは1824年以降、イングランド南岸サセックスの海辺の町ブライトンに何度も足をのばしました。
1827年のロイヤル・アカデミー展で発表した大型作品には、荒天の下の波打ち際で、流行りの服を身にまとった観光客と昔ながらの漁師が混在する、ブライトンの賑やかな海辺を描き出しています。
ブライトンが家庭の事情で訪れる場所だったのに対して、画家にとってソールズベリーは、同地の大聖堂に関わる聖職者であるジョン・フィッシャー主教およびその甥のジョン・フィッシャー大執事と親交を育んだ土地でした。
大聖堂に隣接する主教の公邸や大執事の自宅に滞在したコンスタブルは、あたりの川沿いに広がる眺望を描いています。
また、1828年に妻が世を去ると、その翌年、この地で大規模な大聖堂の眺めを描くことに没頭し、喪失の悲しみを癒やそうとしました。

画像: ジョン・コンスタブル《チェーン桟橋、ブライトン》1826-27年、油彩/カンヴァス、127.0×182.9cm、テート美術館蔵 ©Tate

ジョン・コンスタブル《チェーン桟橋、ブライトン》1826-27年、油彩/カンヴァス、127.0×182.9cm、テート美術館蔵 ©Tate

画像: ジョン・コンスタブル《草地から望むソールズベリー大聖堂のスケッチ》1829年?、油彩/カンヴァス、36.5×51.1cm、テート美術館蔵 ©Tate

ジョン・コンスタブル《草地から望むソールズベリー大聖堂のスケッチ》1829年?、油彩/カンヴァス、36.5×51.1cm、テート美術館蔵 ©Tate

5章 後期のピクチャレスクな風景画と没後の名声

妻の死からわずか数か月後の1829年2月、画家のもとに、ロイヤル・アカデミーの正会員に選出されたという吉報が届きます。
公的な評価を確立し、批評家らの反応に縛られずに主題と技法を選ぶ自由を得たコンスタブルは、これ以降、過去に描いたサフォークやハムステッドの風景に再び取り組みはじめます。
後期には画中のモティーフを思いのままに配置し直すなど、想像力を駆使した「ピクチャレスク」な絵画の制作を手がけました。
自身で選んだ代表作の版画化に際しては、濃淡が豊かに表現できるメゾチントを採用し、その解説文のなかで「自然のキアロスクーロ」と呼ぶ効果の重要性を強調しました。
画家によれば、この効果は、風景画に生命を吹きこみ、より大きな表現力をもたらす光と影の力のことを意味します。
1830年代には風景画の歴史と意義についての講義を行い、ロイヤル・アカデミー美術学校で後進の指導にあたるだけでなく、夏季展覧会の選考委員会に2度加わるなど、画壇の重鎮としての役割を果たしました。

画像: ジョン・コンスタブル《ウォータールー橋の開通式(ホワイトホールの階段、1817年6月18日)》 1832年発表、 油彩/カンヴァス、130.8×218.0cm、 テート美術館蔵 ©Tate

ジョン・コンスタブル《ウォータールー橋の開通式(ホワイトホールの階段、1817年6月18日)》 1832年発表、 油彩/カンヴァス、130.8×218.0cm、 テート美術館蔵 ©Tate

コンスタブルの本作とターナーの《ヘレヴーツリュイスから出航するユトレヒトシティ64号》はかつて1832年のロンドンのロイヤル・アカデミーの展覧会で並べて展示されたことがある「因縁の対決」なのです。
コンスタブルの《ウォータールー橋の開通式(ホワイトホールの階段、1817年6月18日)》は、彼が今まで展覧会に出品した作品の中でも最もサイズが大きく、構想期間も長いものでした。
西洋美術の歴史の中で、風景画よりも歴史画のように「ピクチャレスク」(絵画のような)物語的なものは、崇高で価値が高いとされていましたが、コンスタブルは、ありのままの日常的な自然を写した風景画を描いてきました。
ところが本作でコンスタブルは、ドラマティックな歴史画的な風景画に挑戦したのです。

画像: J.M.W.ターナー《ヘレヴーツリュイスから出航するユトレヒトシティ64号》1832年、油彩/カンヴァス、91.4×122.0cm、東京富士美術館蔵 Ⓒ東京富士美術館イメージアーカイブ/DNPartcom

J.M.W.ターナー《ヘレヴーツリュイスから出航するユトレヒトシティ64号》1832年、油彩/カンヴァス、91.4×122.0cm、東京富士美術館蔵 Ⓒ東京富士美術館イメージアーカイブ/DNPartcom

ターナーは、コンスタブルとは異なり、以前から「ピクチャレスク」な風景画を描いていました。
画業の早い時期から海の絵を得意とし、ロイヤル・アカデミーの評価も高かったのです。
1832年の展覧会でのコンスタブルとの競合的な展示が、今回の日本での展覧会でも繰り広げられることになりました。
是非この機会に、イギリス風景画の2大巨匠の作品を見比べてください。

展覧会概要 

展覧会名 テート美術館所蔵 コンスタブル展
会期 2021年2月20日(土)~5月30日(日)
開館時間 10:00〜18:00
※入館は閉館の30分前まで
※緊急事態宣言発令中(3月中)は夜間開館を中止とさせていただきます。
休館日 月曜日
※但し、祝日・振替休日の場合、会期最終週と3月29日、4月26日は開館
※新型コロナウイルス感染症予防の観点から、会話をお楽しみいただく企画の「トークフリーデー」は中止とさせていただきます。
入館料 一般1,900円 高校・大学生1,000円 小・中学生無料

主催 三菱一号館美術館、テート美術館、朝日新聞社
後援 ブリティッシュ·カウンシル
協賛 DNP大日本印刷
協力 日本航空
お問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
※諸事情により、開催時間や会期等について変更する場合がございます。

「テート美術館所蔵 コンスタブル展」@東京シネフィルチケットプレゼント

下記の必要事項、をご記入の上、「テート美術館所蔵 コンスタブル展」@東京シネフィルチケットプレゼント係宛てに、メールでご応募ください。
抽選の上5組10名様に、招待券をお送りいたします。
この招待券は、非売品です。
転売業者などに転売されませんようによろしくお願い致します。

☆応募先メールアドレス miramiru.next@gmail.com
*応募締め切りは2021年4月19日 月曜日 24:00

1、氏名
2、年齢
3、当選プレゼント送り先住所(応募者の電話番号、郵便番号、建物名、部屋番号も明記)
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また、抽選結果は、当選者への発送をもってかえさせて頂きます。

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