和歌と物語の日本人のプライベートな「こころ」が投影されたやまと絵・土佐派と王朝文化

「公式・正式」イコール「漢文」「中国風」に対して、プライベートでパーソナルな心理や感情の表現が、和歌に代表される日本固有の、漢文ではなく日本語・やまと言葉の、仮名まじりで書かれて来たもの、といささか大雑把に分類してしまうなら、絵画では狩野派が継承した「漢画」に対してそれに当たるのが「やまと絵」の伝統だ。

画像: 伝 土佐広周「柿本人麿像」室町時代15世紀 小林中氏寄贈 根津美術館蔵

伝 土佐広周「柿本人麿像」室町時代15世紀 小林中氏寄贈 根津美術館蔵

例えば、今回展示されている室町時代の土佐派の作品と伝わる柿本人麻呂(人麿)の像は、「三十六歌仙絵」佐竹本(本サイトで京都国立博物館の特別展を紹介 https://cinefil.tokyo/_ct/17316863 )などにも見られる人麻呂の描き方の定型に乗っ取ったものだ。「万葉集」の歌人・柿本人麻呂(西暦664〜724)は、「歌聖」として崇拝された中でも特に神格化された人物で、人麻呂を祀る神社も少なくなく、「ヒトマロ」で「火、止まる」という読みの音の語呂合わせから一部の民間信仰では火災を防ぐ神様にまでなっている。

伝 土佐行秀 「羅陵王図」室町時代15世紀 植村和堂氏寄贈 根津美術館蔵

儒教の理論化された、非常に論理的な世界観・道徳観の一方で、その論理的道徳の枠組みには収まり切らない直感的で感情的な「こころ」の問題、直接の言葉にはできない、行間から立ち上るような微妙な感情の推移や人情、情念の世界を歌い上げ、美化・芸術化したのが「万葉集」や「古今和歌集」などの和歌や、「源氏物語」に代表される物語文学だと位置付けるなら、そうした文化が確立された平安朝の調和と秩序が院政・源平騒乱と鎌倉幕府の成立、さらには承久の乱で、実態権力の政治としては崩壊して行くのと並行して、だからこそ、そうした和歌や物語に込められた日本人の感情の、嘆きや悲しみや無常感の諦念、人の世を支配する因縁や宿命、人間の業への恐れなどの一見ネガティブな思いすら含めたものを、美しい憧れの対象として保っていこうとする流れが、日本の中世文化史には見い出せる。

画像: 伝 土佐光元「源氏物語画帖」桃山〜江戸時代 16〜17世紀 福島静子氏寄贈 根津美術館蔵

伝 土佐光元「源氏物語画帖」桃山〜江戸時代 16〜17世紀 福島静子氏寄贈 根津美術館蔵

後鳥羽上皇が藤原定家に「新古今和歌集」の編纂を命じたのは鎌倉幕府の成立後で、この歌集には新興の武家勢力に政治的実権をどんどん奪われつつあった朝廷のリベンジの一貫としての政治的文化事業の側面をもち、その定家が今日でもカルタ遊びで親しまれる「小倉百人一首」を個人でまとめたのは、その後鳥羽院が承久の乱で鎌倉側に敗れて島流しになった後だ。

そこには怨霊になりかねない激しさを持った後鳥羽院の恨みや無念を慰め、鎮撫する意味合いすら読み取れるかも知れない。しかも「百人一首」には後鳥羽院以上に怨霊になりかねない源平動乱期の悲劇の天皇・崇徳院や、定家を和歌の師として仰ぎ、定家もその才能に共感と愛情を抱いていたのが、若くして暗殺された鎌倉幕府三代将軍・源実朝の歌も、納められている。

画像: 土佐光起 「藤原家隆像(「二三四帖」のうち) 江戸時代17世紀 個人蔵

土佐光起 「藤原家隆像(「二三四帖」のうち) 江戸時代17世紀 個人蔵

古い時代ほど現存する作品が少ない、という事情もあるのは間違いないが、平安時代の「王朝文化」を直接に描いた絵画作品は、実はその平安朝の栄華が脅かされた鎌倉時代以降の方が圧倒的に多い。そして安土桃山時代から江戸時代にかけて、戦国時代には困窮を極めていた朝廷や公家たちが経済的には信長、秀吉、そして徳川幕府の潤沢な支援を受けられるようになると、王朝文化を描いた土佐派の絵画製作も再び盛んになった。また上流武家階級でも「源氏物語」が女性の必須教養となり、嫁入り道具などの意匠にも盛んに使われるようになったことで、朝廷・公家関係だけでなく武士からの需要も増えることになる。

「やまと絵」の系譜の、土佐派にとって重要な画題には、他にも室町時代以降流行して主流になった禅宗的な中国風の山水画に対して、日本の風景をおおらかでフラットなタッチで描いた山水の風景画と、そうした純日本的な風景描写も取り込まれて中世の日本で独自の豊かな発展を遂げた絵巻物がある。

画像: 伝 土佐光信 「蛙草紙絵巻」(部分) 室町時代16世紀 根津美術館蔵

伝 土佐光信 「蛙草紙絵巻」(部分) 室町時代16世紀 根津美術館蔵

「蛙草紙絵巻」に見られるやまと絵の様式の山の描き方

今回の根津美術館の展示では、土佐派のコーナーの土佐光起の物語絵巻に併せて、2階のテーマ展示室でも「お伽草子」を絵物語化した絵巻物が2件展示されている。

書物を巻物の形にすること自体はもちろん古代に中国や朝鮮半島から伝わった慣習だろうし、文書やお経だけでなく、絵画を長尺に描いた画巻も、その中国などアジア各地に見られる。中国・宋的な伝統を継承した雪舟の絵画でも、傑作の一つが「山水長巻(四季山水図)」(国宝、山口・毛利博物館蔵)だ。

だがそうした長尺の絵に文章を交えて、物語を巻物の進行順に時系列で視覚化した物語絵巻は、平安時代の特に後期から独自の目覚ましい発展を遂げた、日本固有の表現と言えるものだ。

この展示では室町時代に発達して今でも親しまれている日本の「むかし話」の源流である「お伽草子」を物語絵巻にした室町時代の作品との比較で、「絵巻物」の伝統から安土桃山時代・江戸時代の土佐派に至る流れの一端も感じ取ることができそうだ。

画像: 「賢学草紙絵巻」上巻 (部分)室町時代 16世紀 根津美術館蔵 清水寺の若い僧侶が、生まれたばかりのある姫と恋に落ちるというお告げを受けた。修行の妨げになることを恐れた僧は、いっそ大人になる前に殺してしまおうと考え、赤ん坊の胸を刺してしまう

「賢学草紙絵巻」上巻 (部分)室町時代 16世紀 根津美術館蔵
清水寺の若い僧侶が、生まれたばかりのある姫と恋に落ちるというお告げを受けた。修行の妨げになることを恐れた僧は、いっそ大人になる前に殺してしまおうと考え、赤ん坊の胸を刺してしまう

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