人はみんな自分の人生をふるいにかけて、愛情と優しさを注ぐ先を定める。そしてそれは美しい、素敵なことなのだ。でも独りだろうと二人だろうと、わたしたちが残酷なまでに多種多様な、回りつづける万華鏡に嵌めこまれたピースであることに変わりはなく、それは最後の最後の瞬間までずっと続いていく。きっとわたしは一時間のうちに何度でもそのことを忘れ、思い出し、また忘れ、また思い出すのだろう。思い出すたびにそれは一つの小さな奇跡で、忘れることもまた同じくらい重要だ――だってわたしはわたしの物語を信じていかなければならないのだから。

(ミランダ・ジュライ『あなたを選んでくれるもの』より)

画像: 夜の葉~映画をめぐる雑感~
#13『ハッピー・オールド・イヤー』とミランダ・ジュライ『あなたを選んでくれるもの』

人生がときめくのは片づけの魔法だけとはかぎらない

「ときめいていないモノは捨てましょう」と説く近藤麻理恵(こんまり)を見つめながら、「俺にはすべてがときめいて見える」と苦笑まじりにジェーは話す。本作の主人公ジーン(チュティモン・ジョンジャルーンスックジン)の兄である彼は、ネットで自作の服を販売して生計を立てているようだが、言葉少なにいつも家の中をうろうろとランニング姿で歩き回るその様子からは、どうみてもお洒落やときめきとは縁遠い感じだ。しかしだからこそ、そんな彼が身の回りの品々一つひとつにまつわる思い出を愛着をこめて語る様は、可笑しみとともにある種の親密さを醸している。何に対して人がときめきを感じるのかは時代の流行りや廃りとは無関係だ。それが意外であればあるほど、そこには何よりも雄弁にその人となりが現れている。ものには関わってきた人々のさまざまな思いが染みつき、その人の歩んできた時間が流れている。ときめきとはあるものを介して、そのような過ぎ去っていった時間がいまここの時間として、再び輝きを放つ瞬間をいうのかもしれない。

であるならば、ジーンにとっては、古いものや思い出で溢れかえった自宅を簡素でモダンなデザイン事務所にリフォームすることがときめきであり、別れた彼女の父に未練を残す母(アパシリ・チャンタラッサミー)にとっては、忘れ形見のようなグランドピアノとともにいることがときめきで、ジーンの元彼であるサニー(サニー・スワンメーターノン)にとってそれは、自分を捨てた相手が着ていたTシャツを手元にとっておくことだった。ものを捨てる人間と、とっておく人間。「断捨離」と呪文のように唱えてものを捨てたとしても、そこに刻まれていた記憶はふとした瞬間に表に出てくる。だからこそ、過去と記憶を背負っていまここを生きる瞬間の輝きは万華鏡のように千差万別で、その人がどのようにものと対峙しているかによって、ときめきの光は無限に屈折の度合いを変えていく。

画像1: (c) 2019 GDH 559 Co., Ltd.

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パフォーマンス・アーティストであり、小説家や映画作家としても多彩な活動を続けているアメリカの作家ミランダ・ジュライは、ある日行き詰まった創作の慰めとして、イーベイやメルカリの前時代版といえる個人売買取引のためのフリーペーパー『ペニーセイバー』に広告を載せた人々を訪ね歩き、彼らが売りに出したモノや生活にまつわる話を聞くうちに、長年老いや人生について思い悩んでいた憂いや煩いと和解するに至る。そのささやかでリリカルな気づきの氷解は、赤の他人にとっては不要と思われる「骨董品」の数々と、その持ち主が語る声に耳を傾けていくうちにもたらされたものだ。

「すべてはただ何ということのない日々で、それが一人の人間の――運がよければ二人の――不確かな記憶力で一つにつなぎとめられている。だからこそ、そこに固有の意味も価値もないからこそ、それは奇跡のように美しい」。こう語るジュライの言葉にはときめきの原石がつまっている。他愛のないものや過ぎ去った日々をありのままに受け入れること。その清らかな姿勢はまた、本作でさりげない存在でありながら一際強い印象を残す、あの哲学者のような骨董屋がたたえていた慎みと思慮深さを思い出させる。骨董屋にかぎらず、前述したTシャツや記録された写真の持つ意味や役割など、本作が長編監督7作目となる俊英ナワポン・タムロンラタナリットは、単純には割り切れない過去や記憶をめぐる人々の心情と逡巡、ときめきがはらんでいる光と影を見事に交錯させながら描いている。

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あらゆるものをブラックホールの暗闇へと葬り去るゴミ袋は無敵だとジーンは言う。だが最終的に彼女が下した決断は、破壊王サノスの称号を兄に託し、自らの手を汚すことなく家の中に溢れたモノたちを捨ててもらうことだった。兄がひとり黙々と思い出の品々を捨て去る一方で、ジーンもまたひとりホテルの一室で新年を迎える。壁掛けテレビとベッドがひとつ置かれた清潔で空虚なホテルのベッドには、散り散りに破かれた一枚の家族写真が捨てられている。やがて清掃係によって片付けられたその跡に、ただ真っ白なシーツだけが全面に光り輝き、スクリーンの矩形を浮かび上がらせる。ゴミ袋の闇からベッドシーツの光へ。それは不可視と可視、映画=物語と現実の鮮やかな対比と転換を映し出している。

私たちはいつだって自分という物語の主人公として、つねに「最善の選択」をなすと同時に、回り続ける現実という万華鏡に嵌めこまれたちっぽけなピースにすぎない。忘却の前には記憶があり、捨てるためには記録しなければならない。ラストシーン、過去と未来のあいだにとどまり続けながら持続するジーンの表情は、観る者の心に深く刻み込まれるに違いない。なぜなら、そこには喜びも悲しみも内包した映画だけが可能にする永遠の時間=ときめきが流れているのだから。

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共感度 MAX の「断捨離」ムービー『ハッピー・オールド・イヤー』予告

画像: 共感度 MAX の「断捨離」ムービー『ハッピー・オールド・イヤー』予告 youtu.be

共感度 MAX の「断捨離」ムービー『ハッピー・オールド・イヤー』予告

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〈STORY〉
デザイナーのジーンは、スウェーデンに留学しミニマルなライフスタイルを学んで帰国する。かつて父親が営んでいた音楽教室兼自宅の小さなビルで、出て行った父を忘れられずにいる 母、オンラインで自作の服を販売する兄と三人で暮らす彼女は、家を改装しデザイン事務所にすることを思い立つ。理想的な事務所にすべく、モノにあふれた家の“断捨離”を進め 一度は全てを手放そうとする彼女だったが、洋服、レコード、楽器、写真といった友達から借りたままだったモノを返して廻ることに。友達の反応は千差万別で、なかなか思うように “断捨離”は進まない。そんな時、かつての恋人エムから借りたカメラを見つける。処分に困りながらも小包として送るが、受取を拒否され返ってきてしまう...。

【スタッフ】
監督・脚本・プロデューサー:ナワポン・タムロンラタナリット
撮影監督:ニラモン・ロス
編集:チョンラシット・ウパニキット
ラインプロデューサー・衣装デザイン:パッチャリン・スラワッタナーポーン
音楽:ジャイテープ・ラールンジャイ
製作:GDH559

【キャスト】
ジーン:チュティモン・ジョンジャルーンスックジン
エム:サニー・スワンメーターノン
ミー:サリカー・サートシンスパー
ジェー(ジーンの兄):ティラワット・ゴーサワン
ピンク(ジーンの友人):パッチャー・キットチャイジャルーン
ジーンとジェーの母:アパシリ・チャンタラッサミー

原題:ฮาวททู งิ้ ..ทงิ้ อย่างไรไม่ใหเ้ หลอื เธอ(英題:Happy Old Year)2019年/タイ映画/113分/
字幕翻訳:横井和子/字幕監修:高杉美和
配給:ザジフィルムズ、マクザム
協力:大阪アジアン映画祭
後援:タイ国政府観光庁
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第15回大阪アジアン映画祭 グランプリ(最優秀作品賞)
第49回ロッテルダム国際映画祭 Voices Main Programme選出
第10回北京国際映画祭 パノラマ部門正式出品
第25回釜山国際映画祭 A Window on Asian Cinema正式出品
第14回アジア・フィルム・アワード 主演女優賞・衣装デザイン賞ノミネート

12/11(金)シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次ロードショー

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